大阪城の鎮守・玉造稲荷神社にて
2011 年 11 月 20 日
大阪城の鎮守・玉造稲荷神社にて。秀頼公の銅像が出来てました。いつのまに?驚いたww
太閤秀吉は無類の女好き(戦国時代は男色も盛んだったんですが秀吉はそっちの方のエピソードは皆無。一度、美形男子をお世話役にしたら「お前に姉妹はいないか?」と質問してまったく手をつけなかったとかw)で、色んな女性に手を出しまくってますが、明確に懐妊したのは淀殿だけ。明らかに怪しい。「もしかして秀頼は秀吉の子ではないのでは?」というのは当時から噂されていたことでした。また秀頼は2メートル近い大男で、禿鼠、猿みたいな秀吉とはまるで似てなかった。では誰の子か?諸説ありますが、淀殿の幼馴染の大野治長あたりが可能性として考えられるとか。真相は不明ですが。
ただただ哀れなのは、おそらくは秀頼は実子ではないと知りながらも、よろしく後見をお願いすると家康以下の五大老の手を取り、泣く泣く頼み込んだという病床の秀吉。「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪花のことも 夢のまた夢」。夏の陣による豊臣家滅亡、大坂城炎上を予感していたかのような辞世の句が、これまた儚い。そこに天下人の気概はなく、人の子の切なさのみが残る。じつは大阪人が好きなのは、太閤秀吉のサクセスストーリーとか「成り上がり」ではなく、この「成り下がり」だとぼくは思ってます。判官贔屓。
カテゴリー: 雑感