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2012 年 6 月 のアーカイブ

梅田墓地跡(梅田貨物駅線路前)で、歌う

2012 年 6 月 25 日 Comments off

自分でいうのもなんですが、知恵熱が出そうなぐらい、というか実際、出た(現在37.2度)ぐらい、やっていて、面白かったww

写真は七墓パフォーマーのアサダワタルくん。梅田墓地跡(梅田貨物駅線路前)で、歌う。

次回は
7/8(日)13:00~
【大阪七墓巡り復活プロジェクト】
第3回トークセッション&公開ワークショップ~葭原墓地編~
http://www.facebook.com/events/230761470377088/
です!

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A’ワーク創造館の企画「イベント・企画デザイナー養成講座」

2012 年 6 月 20 日 Comments off

明日はNPO法人大阪府高齢者大学校の今年新設の実践研究部「大阪のまち歩きガイド科」で講師の仕事。来年3月まで、人生の先輩方に僭越ながら大阪のまちの歴史的変遷、文化、物語などを講義しております。70歳、80歳でも勉学に勤しむ。その勤勉意欲にほんまに頭が下がります。さすが日本の高度経済成長を支えてきた方々ですな・・・。
http://osaka-koudai.com/

7月5日はA’ワーク創造館の企画「イベント・企画デザイナー養成講座」で講師します。これも毎年恒例なんですが、やっていて面白いです。生徒がバラエティに飛んでいて、いろんな友達ができます。ご興味ある方はぜひとも!^^
http://www.adash.or.jp/?p=2800


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江戸の二大アジール

2012 年 6 月 19 日 Comments off

大阪に七墓というアジールがあるように、江戸にも二大アジールがあります。浅草と品川です。

浅草は「小塚原刑場」と「吉原遊廓」。奥州街道(日光街道)という街道沿いにあって、さらにその先には境界としての荒川があり、非人頭の「車善七」の本拠地でもありました。

品川は「鈴ヶ森刑場」と「品川遊郭」。こちらは東海道沿いで、境界線としては多摩川が流れ、こちらも非人頭の「松右衛門」の本拠地。車善七と松右衛門のふたりで、江戸の全非人の80パーセント以上を掌握していたといいますから、江戸の闇社会を牛耳っていたのが浅草と品川でした。

さらに浅草は江戸城の東北(鬼門)に当たり、江戸城と浅草のあいだには徳川家の祈願所であった寛永寺があって、江戸の聖地であり、守護の要です。ちなみに寛永寺には、4代家綱、5代網吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の計6人の徳川歴代将軍が眠っていて、鎮護の神となっています。

また品川は江戸城の南西(裏鬼門)にあたって、江戸城と品川のあいだには、これまた徳川家の菩提寺である増上寺があり、聖地化されています。こちらも2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂と6人の徳川歴代将軍が眠っていて、これまた鎮護の神扱いです。

あと徳川将軍が眠っているのは江戸の真北にある日光東照宮で、こちらに初代家康、3代家光がいます。この2人は徳川将軍の中でも特別扱いなんでしょう(といいますか、日光に家康を祀り、さらに自分も入ったのが家光。日光―寛永寺―増上寺というラインは、家光が画策した江戸鎮護の結界なんですな)。一庶民となった最後の将軍・15代慶喜は、谷中霊園で普通の人扱いであるのも、そういう象徴といえます。

奇妙なのが江戸城から鑑みて裏鬼門(品川)方向には東京タワーがありますが、鬼門方面(浅草)に建てられたのが今度の東京スカイツリーであること。どこまで計画的で、誰がそういう意図をしたのか不明ですが、土地の霊(ゲニウス・ロキ)というのは、そういう表れ方をして、まちというものを形作っていく。その証左といえます。


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アサヒ・アート・フェスティバルの二次会にて近藤誠一文化庁長官のご挨拶

2012 年 6 月 17 日 Comments off

アサヒ・アート・フェスティバルの二次会にて。近藤誠一文化庁長官のご挨拶。「行政対応で困ったことがあったら私あてにメールください」に全員拍手喝采!

日本の現代アートの夜明けは近い?

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ベンヤミンの『パサージュ論』

2012 年 6 月 15 日 Comments off

ベンヤミンの『パサージュ論』を読んでたら目から鱗の記述が。
http://www.amazon.co.jp/dp/4006001010

「かつてパリがその教会や市場によって規定されたのとまったく同様に、いまや地誌的(トポグラフィッシュ)な観点を10倍も100倍も強調して、このパリをそのパサージュや門や墓地や売春宿や駅・・・などといったものから組み立ててみること。さらには、殺人と暴動、道路網の血塗られた交差点、ラブホテル、大火事といったこの都市のもっと人目につかない深く隠された相貌から組み立ててみること。」

「上町台地(ベンヤミンがいうところの教会=宗教的)史観」や「船場(市場的)史観」のみで語るのではなく、悪所、無縁、垣外、アジールといった「人目につかない深く隠された相貌」から、大阪という都市構成を鑑みること。都市の光と闇の交錯、虚実の皮膜、その境界線上を、ふらふらと逍遙するところにフラヌール(遊歩者)の醍醐味がある。

大阪七墓巡りの狙いもここにあります。ベンヤミンはやっぱり鋭い。


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このたび6月6日から特定非営利活動法人 「こえとことばとこころの部屋」COCOROOM(http://www.cocoroom.org/)の理事に就任しました。

2012 年 6 月 6 日 Comments off

このたび6月6日から特定非営利活動法人 「こえとことばとこころの部屋 COCOROOM」の理事に就任しました。

動物園前商店街(通天閣と飛田を繋ぐ商業エリア)、太子墓地(無縁所、大阪七墓)、釜ヶ崎(日本最大の日雇労働者のまち)、飛田(日本最大の遊郭・飛田新地)、てんのじ村(戦後大阪を代表する芸人コミュニティ)、新世界(官僚主導アーバンリゾートの先駆)といった個性的なまちのマージナルにあって、様々なプロジェクトと、実験と、試行錯誤を繰り返しながらも、ゆるやかで、静かで、切実な日々の生活を繰り返してきたアートNPO「ココルーム」も、すでに10年の活動歴を誇ります。その活動の軌跡は文字通り奇跡(笑)の連続で、ココルームの活動そのものが大阪現代アートシーンの10年史そのものといえます。こういう場で、10年という空間の節目に、ぼくが理事になったのも、なにかの縁(無縁大慈悲!)なのかもしれません。

任期は2年ですが、ぼくの力などたかが知れてますが、ココルームという大河の流れに寄り添いながら、それでいて「次の10年」(時代状況はますます混迷混沌の様相を深めていますが・・・)という大きなベクトルを暗示する澪標(みをつくし)となれれば・・・と思っています。今後とも皆さん、ココルームをよろしくおねがいしますm(_ _)m とりあえず、お茶を飲みにきてください^^ 喫茶呼。


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このあいだの「大阪七墓巡り復活プロジェクト」のプレトークにご参加いただいた應典院の秋田住職からご感想をいただきました

2012 年 6 月 4 日 Comments off

このあいだの「大阪七墓巡り復活プロジェクト」のプレトークにご参加いただいた應典院の秋田住職からご感想をいただきました。すごい望外のお言葉です・・・深謝。
http://www.outenin.com/

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正直に言うが、都市における宗教文化の再生には、職業宗教者を抜きでやった方がいい。厚顔な坊さんが出てきて、さも精神的リーダーのようにふるまわれると、ろくなことはないのであって、人々は説教師を求めているのではない。いや、宗教のエキスはもっと別のところから、例えば意外にも市民による表現の遊びなどからこぼれ出てくるものなのかもしれない。演劇、現代美術、音楽…手法は何でもいいが、肝心なところはひとつ。それは、死者との交流である。

 昨日の夜、釜ヶ崎にある怪しげな一室で、不思議な集会があった。大阪七墓巡り復活プロジェクトのプレトークだ。江戸期の大阪で流行った七墓巡りの由来については専用のFBを見てほしいが、当夜そこに登場した3人の案内人、陸奥賢、岸井大輔、オカモトマサヒロという異才たちのトークが滅法おもしろかった。浄土教、日想観、アジール、無縁所、河原者、芸能、死者祭礼、無縁墓…何故かハンナ・アーレントまで、次々連打される言葉の応酬に惹きこまれた。

 この企画は、近世都市大坂の周縁に配置された七墓を、往時に従い、夜を徹して巡るのだが、その本題は無縁仏の供養であり、死者との交流である、という。失礼ながら、宗教の素養などありそうにない3人が(皆40歳前後?)、すでに都市宗教のオリジンが何たるかを見抜いている。供養とは死者との対話であり、数々の祭礼(儀式や芸能も)とはそのための回路だったのである。

 近松が浄瑠璃にも描いた七墓巡りは、いわば死者に伴われた男女の道行だ。今風に言えば、若い男女のデートコースなのだが、近松の描く心中ものに熱狂した往時の人々には、生死を衝き動かす彼岸の旅だったに違いない。いつの時代にも、エロスとタナトスが満たされなければ、都市の活力は生まれないのだ。

 私がいちばん関心を持ったのは、七墓巡りの際、それぞれの跡地で行われる、アートによる供養だ。語りや詩の朗読、演劇、歌、ダンス、音楽といったパフォーマンスを墓前に捧げるという。そもそも芸能の始源とは、死者と生者の共振体であったのだが、伝統的な儀礼を逸脱して自由な形態から何が生まれるのだろうか。これは應典院の思想にもつながって、興味深い。

 ここには、プロの宗教者はいらない。既存の枠組みを超え、新しい祭礼を創り出すことで、市民たちが無意識に失われたオリジンを回復しようとしている。宗教といわない宗教…。パフォーマーたちもまた、いつもの舞台とは違う体験を得て、死者の声に気づくことだろう。

 それを新しい宗教のエキスとは、持ち上げ過ぎかもしれない。だが、自由な解釈も創造も、参加さえ厭う、体制的な教団仏教からは考えようもない、もうひとつの宗教文化が垣間見えるとしたら、こんな遊びも見過ごすことはできないのである。


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芝居小屋と刑場

2012 年 6 月 2 日 Comments off

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江戸時代、千日前は墓地であり、死刑場でした。江戸でいえば小塚原のようなとこで、磔柱が立ち並んで、獄門台には見せしめのために罪人の首が並びました。焼き場の煙は絶えず、昼でも人が通るとこやなかったそうで、大体、明治初期まで、そういう光景が続きました。

千日前から少し北に向かうと、そこは所変わって道頓堀。ここは江戸時代は「道頓堀五座」というて、芝居小屋が並んでいました。船場の旦那衆が芸妓を連れて、道頓堀川戎橋を渡って、藤十郎の歌舞伎や近松の浄瑠璃を楽しみにやってきた。

ここで非常に興味深いことは、道頓堀で一番、大きな芝居小屋は角座ですが、この道頓堀角座の楽屋からは千日前獄門台の罪人のさらし首が見えたということ。

大坂の芝居は、世話物で和事です。江戸芝居のような英雄悪漢傾城傾国が大活劇を繰り広げる!という荒事はしまへん。主人公は何の変哲もない一庶民で、金と色と欲と義理と人情の板ばさみ。犯してはならぬ罪咎に悩み、苦しみ、傷つけられ、最後は天網恢恢疎にして洩らさずの過酷な運命の裁きで、千日前の獄門台へと涙涙に送られていく。

大坂庶民は、道頓堀角座で、罪人たちのドラマに涙しました。そして、その裏には、実際に千日前の獄門台が控えていて、芝居の主人公たち=哀れな罪人たちの末期が、リアルに、そこにあったんですな。ある意味、千日前刑場は最高の舞台演出であり、また裏を返せば、道頓堀の芝居は千日前の罪人たちに対する鎮魂劇であり、レクイエムだったわけです。

芝居なのか。真実なのか。わからない。虚実の皮膜こそが、もっとも面白い。芝居小屋と刑場。道頓堀と千日前というまちは、両隣りにあり、そういう関係です。大阪のアジールは、だから、恐ろしく、哀しく、美しい。

※画像は『好色入子枕』に所収されている「千日前墓場の亀屋忠兵衛刑死の図」


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無縁万歳

2012 年 6 月 2 日 Comments off

無縁社会、無縁仏、無縁大慈悲・・・結局、ぼくらは無縁こそがスタンダードなんだということで。だからでこそ「大坂七墓巡り」や「コモンズ・デザイン」なんてのも生まれてくるいうことですなww

契りあれば 難波の里に 宿りきて 
波の入り日を 拝みつるかな
藤原家隆

無縁万歳。


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