日帝時代の面影をかなり強く残す家屋です。約2キロ四方の敷地で、約600戸の家屋があり、うち400戸(元監獄の官吏の家屋。家族が多かった)が合法エリアで、200戸が不法占拠エリア(単身者が多かった)でした。