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十返舎一九の墓があった東陽院

2014 年 3 月 14 日

十返舎一九の墓があった東陽院の場所を発見しました。今回の東京滞在中にリサーチできるかな・・・。

■『戯作者撰集』(石塚豊芥子編・天保末頃~弘化初年成立、後、嘉永期まで加筆)
十返舎一九 寛政七乙卯年より通油町書肆仙鶴堂が裏に住せり【初め橘町又深川佐賀町にも住居す】姓は重田、名は貞一、駿河の産なりと云。俗称与七。墨川亭曰、一九、幼きとき市丸と呼ぶ。故に市を一に作り雅名とす。弱冠の頃、東都に出、或侯舘【一説に小田切侯江都尹にておはせし時/その舘にて注簿たりしといふ】に仕へ、そのゝち大坂へ登り、彼地に往て志野流の香道に称誉あり。十返舎の号は黄熟香の十返をとりて然よぶといへり。其頃のことにや、並木千柳、若竹笛躬と倶に木下蔭の繰戯曲を編述したるよし。後、故ありて自ら香道に遊ぶ事を禁ず。寛政六寅年、復び東都に来て始めて稗史両三部を著述して耕書堂が梓に上せて発市せり。天保二辛卯年、病て没す。浅草土富店善龍寺【俗にぬけ寺と云】地中にて東陽院【墓石は惣乱塔裏門方より二側目にて東三軒目】戒名 心月院一九日光信士【天保二辛卯八月上旬七日】石塔左り方に辞世「此世をばどりやおいとまにせん香とともにつひには灰左様なら」

■東京七墓巡り復活プロジェクト

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