「大阪七墓巡り2014」レジュメその①「死生観光の旅」
■2014/8/15(金)夜23時より「大阪七墓巡り2014」
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「大阪七墓巡り2014」レジュメその①
■死生観光の旅
アフリカのモシ族は、誰かが死ぬとコミュニティの中で公式に埋葬されるまで「クリタ」と呼ばれる女性がその死んだ人の代わりに生活をする。死んだ人の家で、その人の服を着て、その人として生活する。その後、「クレ」と呼ばれる埋葬の日にはクリタが頭をそり、儀式を終了する。
アイヌ民族は人は死んだら「下界」にいくと考える。下界は現世とそう変わらない世界で、しかし、現世が昼なら下界は夜、現世が夏なら下界は冬・・・とアベコベの世界。だから人が夏に死んださいは冬の恰好に。冬に死んださいは夏の恰好で埋葬する。
北欧のヴァイキングは戦争こそが最大の喜びであり、人間の価値、生きがいという思想が強い。だから死んでも戦場に行って、そこで永遠に戦えるという。また昼は戦い、夜は酒宴で大騒ぎ。その戦場のことを「ヴァルハラ」と呼ぶ。
『魏志倭人伝』によれば、3世紀の倭人は「人が死ぬと棺の中にいれ、土で封して塚をつくる。その後、十余日は肉をたべない。喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒につく」とある。
古代エジプト人は人が死ぬと魂が抜け、死者の国にいくと考えられた。魂は永遠不滅で、いつか再生することが可能とも信じられた。だから「ミイラ」を作って、いつか魂が返ってきて再生することを願う。ちなみに「猫のミイラ」なんてのもあった。
ジプシーは人が死ぬと「そんな人間はこの世にいなかった」ということになる。名前も口にしない。思い出話もしない。遺品も残さない。つまり「誰も死なない」。この世には常に生きている人間しかいないとする。
アメリカ・インディアンは「肉体が魂を持っているのではなく、魂が肉体を持っている」と考える。死によって肉体がなくなることで、魂は新しい肉体を得て別の世界にいくと考える。また新しい死後の生のために、遺体のそばには、その人の生前の所持物や、大事にしていた道具や武器、料理の道具が置かれる。
チベット密教では人は死ぬと大空を舞う鳥に運ばれて魂が天に導かれるとする。だから死体は食べやすいように切り刻んで、鳥に食わせる。俗にいう「鳥葬」。
イスラム教では「審判の日」に大天使ガブリエルがやってきてラッパを吹くと死者は全員蘇ると固く信じられている。さらに復活後に「アラーの審判」があり、善行を積んだものは平安を。しかし悪行を積んだものは永遠の苦しみを与えられる。
ブラジルのヤノマミ族は、産み落とされたばかりの子供はまだ人間でなく「精霊」とされる。子供を人間として迎えるか、精霊のまま天に還すかを母親が決める。子供を天へ送るときは、へその緒がついた状態でバナナの葉にくるみ、白蟻の塚に放り込む。蟻が子供を食べつくすのを見計らい、塚を焼いて精霊になったことを神に報告する。 寿命や病気などで民族が亡くなった場合も同じことが行われる。「蟻葬」ともいう。
オーストラリアのアボリジニは人が死ぬと、まず土葬をし、10ヶ月位して土を掘り返し、白骨化した骨に残った肉を削ぎ取り、森に持って入り、親族で焼いて食する。死者の残った肉を食することで、その人のパワーを引き継ぐと考える。
フィリピン・マノボー族は、死んでも何も変わらない。「イブー」という死の国があるが、それは現世の延長線上にある世界という。そこで結婚したり、子供を産んだり、仕事をしたりして、日常の生活が永遠に続いていく。
フランス・ブルターニュの民間信仰では、人が死ぬと魂が抜け、それはハエになる。アイルランド民間信仰では魂はチョウになる。フィリピン・スーロッド族はコオロギになる。
エスキモーのイヌイット族は肉体は滅びても魂は永遠だという死生観のもと、生まれてきた子に死んだ人の名前をつけ、死者の魂を再び宿らせる。
道教では人が死ぬと魂は抜け、残った肉体は「魄」(ぱく)となる。これが恨みを残したりすると魂のない魄の妖怪=「キョンシー」(僵尸)になる。
スイスでは遺灰を使ってダイアモンドにする会社がある。スウェーデンでは遺体を粉末にして堆肥にする会社がある。アメリカでは遺灰をカプセルにして宇宙に飛ばして流れ星にする会社がある。
アメリカには蘇生が可能になる未来まで人間を冷凍保存する会社がある。すでに70人ほどが冷凍保存されている。全体は12万ドル。頭部のみは5万ドル。