■コミュニティ・デザインからコモンズ・デザインへ
ぱぱっとレジュメまで作りましたよw この通り、話するかどうかわかりませんがw
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■コミュニティ・デザインからコモンズ・デザインへ
◎コミュニティ 家族(血縁)、集落、村、町(地縁)、講、学校、会社(社縁)etc
◎コモンズ 入会地、入会山、共有地、共有山
◎ヤマアガリ 「村に食うことに困り、租税もおさめることができないというものがあると、その山に入らせて百姓をさせ、一人前にたちなおるようにさせました。これを『ヤマアガリ』といっております。共有山へは、西日本では、どんなに貧しいものでも、身分の低いものでも行くことができたのですが、東の方では、被官とか水のみといわれる身分の低い百姓は権利がなくて、御館や本百姓のゆるしがないと行けないところが多かったのです。」 ※『宮本常一著作集7 ふるさとの生活、日本の村』(未来社)
◎道道外才人(歩き筋) 行者、山伏、聖、毛坊主、御師、巫女、比丘尼、遊女、猿回し、傀儡子、人形回し、万歳、タタラ師、マタギ、サンカ、博労、杜氏、木地師などなど…。生業未分化なジプシーと違い、日本の歩き筋は職業分化(職人化)していた。また特異な生業技術をもっていた彼らはコミュニティを遍歴しながら体得した知識や情報を閉鎖性の強かった定住者社会に齎す文明の伝播者でもあった。内財人ではなく外財人。※参考文献 網野善彦『中世における天皇支配の一考察』、渡辺久雄『木地師の世界』
◎「日本全国入山勝手次第」(木地師御綸旨) 9世紀に近江国蛭谷(現:滋賀県東近江市)で隠棲していた小野宮惟喬(これたか)親王(文徳天皇の第一皇子でありながら、母方が紀氏であったので立太子されず。母方が藤原氏の弟が清和天皇となる)が、周辺の杣人(そまく)に木工技術を伝授したところから始まり、日本各地に伝わったと言う伝説がある。 蛭谷(ひるたに)、君ヶ畑近辺の社寺に残っていた『氏子狩帳』などの資料から木地師の調査、研究が進んだ。木地師は惟喬親王の家来、太政大臣小椋秀実(おぐらひでみ)の子孫を称し、諸国の山に入り山の7合目より上の木材を自由に伐採できる権利を保証するとされる「朱雀天皇の綸旨」の写しを所持し、山中を移動して生活する集団だった。実際にはこの綸旨は偽文書と見られているが、こうした偽文書をもつ職業集団は珍しくなかった。綸旨の写しは特に特権を保証するわけでもないが、前例に従って世人や時の支配者に扱われることで時とともに実効性を持ち、木地師が定住する場合にも有利に働いた。木地師は木地物素材が豊富に取れる場所を転々としながら木地挽きをし、里の人や漆掻き、塗師と交易をして生計を立てていた。中には移動生活をやめ、集落を作り焼畑耕作と木地挽きで生計を立てる人々もいた。そうした集落は移動する木地師達の拠点ともなった。幕末には木地師は東北から宮崎までの範囲に7000戸ほどいたと言われ、 明治中期までは美濃を中心に全国各地で木地師達が良質な材木を求めて20〜30年単位で山中を移住していたという。
※参考文献 宮本常一 『山に生きる人々』
◎「コモンズ破壊」としての地租改正(明治6年・1873) 日本国の土地はすべて「官有地」か「私有地」となる。土地の所有者がおらず納税が困難な入会地は「持主不明」ということで、事実上、政府に「官有地」や「御料林」として没収された。地租改正反対一揆が頻発し、自由民権運動などにも影響を与えた。とくに入会地の官有地編入に抗議して3万人が実力行使に及んだという明治14年(1881)の「群馬県入会地騒擾」は有名。※「共」は、すべて「公」に含まれてしまった。「共」よりも「公」の方が上位に来る。「公共」問題。結果、国民には「共意識」(自治精神)がない。すべて「公任せ」(官僚頼み)。
◎「コミュニティ破壊」としての市区町村合併(村切り) 過去、日本政府は「明治大合併」(明治22~23年。市町村数71,314→15,859)、「昭和大合併」(昭和31~36年。市町村数9,868→3,472)、「平成大合併」(平成11~18年。市町村数3,232→1,821)と3度の大合併を行っている。
◎ナショナリズム コモンズを破壊し、コミュニティを破壊し、近代国民国家意識(ナショナリズム)を植え付けた。近代国民国家は、しかし、セーフティネット機能も有している。国民皆保険、生活保護、障害者福祉などなど…。※「国民」であれば誰でも享受できる特権。「国民」でなければ享受できない。
◎タックスヘイブン 東西冷戦構造が資本主義陣営の勝利に終わり、近代国民国家という枠組みを超えて資本主義が肥大化・メタボ化(グローバル資本主義の蔓延)。企業の多くは無税都市、無税国家に拠点を移して、近代国民国家に税金を納めなくなった(タックスヘイブン問題)。結果、近代国民国家のセーフティネット(国民皆保険、生活保護、障害者福祉…)が機能不全に陥り、「弱者切り捨て」「自己責任」の格差社会へ。
◎コミュニティ・デザイン 劣化していく近代国民国家や超巨大なグローバル資本主義はセーフティネットになり得ない。どうすれば新しいセーフティネットが構築できるのか?そこで「コミュニティ・デザイン」(コミュニティ再生、コミュニティ回帰)が始まっている。しかしコミュニティは万能ではない。最大の問題は基本的に閉鎖的構造をしていること。コミュニティの当事者のみの救済(セーフティネット)でしかない。※「コミュニティ難民」(アサダワタル氏提唱)の問題。
◎コモンズ・デザイン 「他者」のための場作り。そんなことが可能なのか?と思いながら陸奥賢は日々、悪戦苦闘している。大阪七墓巡り復活プロジェクト、まわしよみ新聞、直観讀みブックマーカー、当事者研究スゴロクなどは陸奥なりのコモンズ再生、コモンズ回帰の模索であり、社会実験。最大の問題は「他者」(幻想)のためなので儲からないこと。