祖父
祖父・陸奥文夫は明治41年(1908)生まれ。2005年に97歳で亡くなりましたが、若い頃は満州事変(1933年。祖父25歳)で馬賊と戦って(中国兵よりも馬賊の方が圧倒的に恐ろしかったとか)、太平洋戦争末期は37歳(父はすでに生まれている。2歳。祖母と伊勢に疎開してました)で、呉の海軍指定の軍需工場で働いてました。
幼い頃に、祖父に戦争のことを聞いたことがありますが、祖父は満州事変の兵隊なんで「おれは勝ち戦しか知らん」と豪語して、それ以上、多くは語らなかった。この映画に登場する呉の港や町や工場群をみて「ああ。あそこで祖父は働いていたんやな。生きていたんやな・・・」と思うと感慨深しいもんがありましたな。朝日遊廓なんかにも行ったかも知れない(女性にはモテたようで「お前みたいな道楽者は結婚せんといかん!」と無理矢理、祖母と結婚させられたらしい。時代ですな)。
映画をみて祖父に呉空襲のことをもっと聞いておけばよかったなとちょっと後悔しましたが・・・聞いたことがあったが、その答えが「おれは勝ち戦しか知らん」やった気もする。となると、祖父は呉空襲については語りたくなかったのかも知れない・・・。個人的には映画をみて、空襲の激しさ、数に驚きましたな。祖父がなんにも語らんかったので、これほどとは思ってもみなかった。そして、文夫、よくぞ死なずに、生きてかえってきたもんです・・・。
呉といえば、広島にも近い。祖父に広島原爆について聞いたこともあります。「沖合から広島方面に、でっかいキノコ雲が上がってくるのをみた。大きかったな」。それだけでした。映画にも広島原爆の描写がありましたが、生々しかったですな。祖父も、呉で、あの光と風と雲を体感していた。そして呉の焼け野原の中で玉音放送を聞いた。祖父もまた、すずのように泣いたか?それはわかりませんが。