「とらわれるな」というお釈迦さんの、仏教の物語は深い。家や血や親子ですらも、解体し、脱構築し、フラットに関係性を捉え直し、新しい価値、意義、世界観を提示してくれる。
まだまだ続くよ應典院コモンズフェスタ2017!ぼくの企画やないですが、NPOそーねの一ノ瀬さん、酒井くん、應典院主事の齋藤佳津子さんらの企画が今週末にあります。カンタンにいうと、おかんについて考える会とかw
個人的には、ぼくは中学の頃に「おとんはキチガイ。おかんはヨーカイや」と思いまして。いや、ほんまに。それで、反抗期というやつなんでしょうが、親の考える成長路線には真っ向から対立。高校も行かず、15歳ぐらいからバイトに明け暮れて、家を飛び出して、友人や彼女のところに転がり込む…というような10代20代で、親とか家とは精神的絶縁状態にあったんですが、30代後半になると、ぼくもいろいろと心境の変化もあり、しかし、なによりも、親が老いましたな。ビックリするぐらい、老いた。いまでは意味不明なボケたメールがきて、それに首を傾げながらも、テキトーに返信するぐらいの精神的繋がりはあります。まあ、でも、これ以上、近づく気はないですな。話してると、やっぱり、あまりにも世界観がちがいすぎて、ストレスになる一方ですわw
古いというのは、世代がちがうというのは、こんなにも、断絶を生むものなのか?時代が速すぎるからか?それとも、あの親、この子やからか?親子ってのは、血というのは、家というのは、なんともかんとも、ややこしい。
しかし、じつは、そういうものと決別した人が、お釈迦さんで。お釈迦さんは、その人生をつらつらと考えてみると、我が子に「悪魔」(羅睺羅、ラーフラ)なんて超絶DQNネームをつけて、妻を捨てて家を飛び出して、家庭人としては最低の、とんでもないダメダメ男(?!)なんですが、そんなお釈迦さまが作った仏教という智慧の体系は、だからでこそ、血とか親子とか家といったものに関して、西欧近代主義(それはやっぱり「父なる神」や「神の子イエス」を崇め奉る…という垂直的なキリスト教から派生したもので)とは、まったく違ったアプローチが可能やし、多義的な有り方を許容できるんやないか?という気がしてます。
「とらわれるな」というお釈迦さんの、仏教の物語は深い。家や血や親子ですらも、解体し、脱構築し、フラットに関係性を捉え直し、新しい価値、意義、世界観を提示してくれる。
應典院、お寺で、仏教という観点から、親子について考える。ご興味ある方は、ぜひともm(_ _)m
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コモンズフェスタ2017では、1月22日(日)に、第68回寺子屋トーク「それでも母が大好きです~細川貂々さんと語るハハムスメ~」を開催。『ツレがうつになりまして。』で著名な、漫画家・イラストレーターの細川貂々さんをお招きして、潜在的に存在した「母の支配」をどう見つめ、捉え直すのか、皆さんとともに深めていきます。
そもそも、2014年9月に行った第67回寺子屋トーク「仏教と当事者研究 in Outenin」では、みずからの抱える課題を「当事者として研究する」視点が示され、その直後のコモンズフェスタ2015にて、母と娘の関係性について語り合った「母と娘の幕の内」を開催しました。今回の試みは、両企画の2年ぶりの続編と言って良いでしょう。NPOそーねの一ノ瀬かおるさんが対話者として、應典院寺町倶楽部の齋藤佳津子が進行で参加しています。
母と娘の関係性を通して、父と息子の、あるいは人と人の関わりについても、再考を迫るものとなるはずです。多くの方のご参加をお待ちしております。
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