味噌ダレ、おかわり自由
名古屋名物。矢場とん。目の前で店員さんにトンカツに味噌ダレをドバドバかけられました。ご飯まで味噌ダレでビタビタ。
さらに「味噌ダレ、おかわり自由ですので足らなかったらいってください」といわれ、名古屋人の味噌ダレ好きに戦慄を覚える…。
名古屋名物。矢場とん。目の前で店員さんにトンカツに味噌ダレをドバドバかけられました。ご飯まで味噌ダレでビタビタ。
さらに「味噌ダレ、おかわり自由ですので足らなかったらいってください」といわれ、名古屋人の味噌ダレ好きに戦慄を覚える…。
『ファーザー』鑑賞。認知症の父と、介護する娘の物語。
母方の祖母は和歌山の豪農の娘で、家には何人も使用人がいたとか。ええしのお嬢様やったんですな。堺大空襲で焼け出された祖父が、一族の家財道具を積み込んで、和歌山まで買い出しにいき、そこで祖母と出会い、駆け落ち同然で堺にやってきて所帯を持った。祖父は、一族のみなさんから「今日食うのに困ってるのに口増やしてどないすんねん」と飽きられたとか。まあ、笑い話です。
祖父を亡くし、祖母は晩年、アルツハイマーになった。僕が中学生の時に祖母に会いに老人ホームにいくと、祖母は僕を見るなり「◯◯どん」と呼びかけてきて、唖然としたことがある。アルツハイマーの影響で、祖母は童女時代まで記憶が退行。幼い時のことはよく覚えてるんですな。それで中学生の僕をみて、なんと昔の使用人と間違えた。
さらに「おはじきで遊ぼう」というようなことをいわれて、なんと返していいのか当時の僕にはサッパリわからず、唖然、茫然と立ち尽くした。そのまま、何も言えずに、部屋から出たように思う。あまりのショックで、正直、以後の記憶がない。
しかし僕は祖母の異様さを受け止めきれなかったが、今から思うに、祖母のボケは、幸せそうなボケではあった。楽しい童女時代であったのだろう。それはいろんな苦労があった彼女の人生の、救いのように見えなくもない。
ボケてイヤな人間になる人もいるし、退行して子供のようになる人もいるし、「ありがたボケ」のようになる人もいる。選べない。どうせボケるなら愛されるボケ老人になりたいが、まあ、そこまで生きるかどうかもわからんしなあ。