曽祖父・利宗は大蔵省の官僚であったことがわかり、日本全国各地を転々としていて大正2年(1913)2月から「東京市芝区高輪台町28番地」に住んでいた。古地図を調べると浄土真宗本願寺派の證誠寺の敷地であったようで、この寺院は現在もそのまま当地にあるので訪ねてみました。
陸奥家ファミリーヒストリー。父が11月に亡くなり、遺品として陸奥家の戸籍があり、それが僕のものとなったので、父も生前に知りたがっていた曽祖父(父にとっては祖父)の痕跡を調べています。
いろいろとリサーチすると曽祖父・利宗は大蔵省の官僚であったことがわかり、日本全国各地を転々としていて大正2年(1913)2月から「東京市芝区高輪台町28番地」に住んでいた。古地図を調べると浄土真宗本願寺派の證誠寺の敷地であったようで、この寺院は現在もそのまま当地にあるので訪ねてみました。
突然の訪問でしたが、ご住職がいらっしゃったので、少しお話を聞くことが出来ました。土岐さんという方で、先祖は美濃の豪族で有名な土岐氏(清和源氏系)の後裔とか。寺の開祖は親鸞聖人との邂逅から浄土真宗の僧侶となり、代々、子孫が法灯を受け継ぎ、現在のご住職で第三十世になられるそうです。
「大正時代に曽祖父が住んでいた番地がこちらになりまして…」とお伝えすると、かつて寺院の敷地を国に寄進して、家が何軒か建っていたとか。戦後は国に寄進した敷地をまた寺側が買い取ったらしく、いまは駐車場になっている場所だそうです。家が一軒だけ残っていて(屋根の感じは古く戦前の建物かも?もしかしたらこの家が利宗が住んでいた家かも知れない。詳細はわからないですが…)、遠巻きながら、かつての家が建っていた場所を撮影させて頂きました。画像の2枚目がそれで、利宗が住んでいたのは、おそらくはこの辺りでしょう。
残念ながら東京大空襲で寺院は焼失し、現在の本堂なども戦後の再建で、昔の資料などはあまり残っていないとか。縁起書などもないということでしたが『住職継職奉告法要』を一部頂きました。本来は門徒さんに配るもので、中には寺院の縁起などが書かれている貴重なものです。特別なご配慮に深く感謝いたします。ありがとうございました。
結局のところ、利宗がどういう経緯で、高輪に住んだのか?はいまいちわからないのですが、寺の敷地ですから、日夜、お参りしたことでしょう。僕も本堂をお参りして阿弥陀さんを合掌礼拝させて頂きました。南無阿弥陀仏。