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陸奥家ファミリーヒストリー。国立国会図書館の『職員録』を調査して曽祖父・陸奥利宗の大蔵省時代の経歴が見えてきました。

2021 年 12 月 30 日

陸奥家ファミリーヒストリー。国立国会図書館の『職員録』を調査して曽祖父・陸奥利宗の大蔵省時代の経歴が見えてきました。明治35年に採用されたようで以下のように転々と各地の専売局を転々として勤務しています。

明治35年(1902)徳島県三好郡池田村・池田専売局
明治36年(1903)・明治37年(1904)鹿児島・出水市上出水村・出水専売局
明治38年(1905)~明治41年(1908)鹿児島市・鹿児島煙草製造所
明治42年(1909)東京市京橋区銀座三丁目・東京第一製造所
明治43年(1910)茨城県水戸市・水戸専売局
明治44年(1911)~大正2年(1913)北海道函館区・函館専売局

曽祖父は、このあいだに鹿児島で結婚し、僕の祖父である文夫(1909年生まれ)は東京・銀座第一製造所勤務時代に生まれている。実際に祖父は四谷区で出生届を出されているので、当時は利宗と文夫は四谷あたりに住んでいたようです。四谷から銀座まで出勤していたわけですな。

戸籍だけではわからなかったですが『職員録』を調べて判明して意外だったのは利宗は徳島・三好、出水市、水戸市などでも勤務していた時代があったということ。最後は函館で勤務し、東京にやってきて、高輪・證誠寺~大井町あたりに住むようですが、実はこの2回目の東京時代(大正3年・1914年~大正6年・1917年)はなぜか大蔵省職員録には利宗の名前が見当たらない。

利宗は大蔵省を辞めたのか?それともどこかに出向したのか?戸籍から東京に住んでいたことは確かですが、そのあいだの仕事、経歴が不明です。その後、『職員録』によれば、いきなり大正7年(1918)になって宇治山田市の書記として登場する。以後、宇治山田市の主事まで務めて、しかし、これも昭和2年(1927)までしか記録がない。

1902〜1913 大蔵省時代(12年)
1914〜1917 ???
1918〜1927 宇治山田時代(10年)

1927年時点で利宗は48歳。宇治山田市役所を辞めてからも何らかの仕事をしていたと思われますが、よくわからない。その後の記録では昭和17年(1942)の『伊勢年鑑』で吹上町の町内会で副会長をやっていた記録を発見したので、63歳までは宇治山田市で生存していたことが確認できてます。

宇治山田は太平洋戦争で米軍の空襲で被害を受けています。伊勢神宮(外宮)があったので宇治山田市は「神都」なんて自称し、それがゆえに米軍に徹底して狙われました。戦災地図をみても吹上町(宇治山田駅の駅前で一等地でした)は焼失エリアに含まれているようです。利宗の家もおそらくは空襲で燃えてしまったでしょう。もしかしたら利宗自身も空襲で死んでいる可能性もあります。※祖父、父からは曽祖父が空襲で死んだというような話は聞いたことがないですが…。詳細がわからない。

いずれにせよ転々とした人生であったし、おそらく利宗の墓は宇治山田にあると思われます。生まれ故郷(高知県吾川郡池川村出身)は宇治山田からはちと遠い。やはり一度、宇治山田にいくしかない。

※画像は宇治山田空襲被害地図。

※1914〜1917は第一次世界大戦と被る。兵役ではないと思いますが…。わからない…。


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