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四天王寺まち歩き。一乗院。

2022 年 2 月 20 日

四天王寺まち歩き。一乗院。こちらは伝教大師を奉る。金属供出で銅像が無くなり、大阪大空襲で焼失したが、近年、再建された。

聖徳太子は天台宗の根本経典である『法華経』について、日本で初めての解説書(法華経義疏)を著した人物。さらに最澄さんは聖徳太子は中国の天台宗開祖である天台智顗の師匠・南嶽慧思(515〜577)の生まれ変わりであると固く信じ込んでいた。

太子の転生伝説が興味深いのは、どうもこの伝説は日本発ではなくて中国発のものであること。慧思という人は天台本覚思想(衆生は誰でも仏になれる)と弥勒下生信仰(弥勒菩薩は未来世ではなく今生に現れて衆生を救済する)を広めた人であるそうで、それが現世への生まれ変わりの思想となったのかもしれない。

要するに慧思伝説が中国から遠く日本にやってきて、太子伝説と結びついたようなところがある。あの鑑真(688〜763)が、わざわざ日本にやってきたのも、この慧思伝説を信じたから…というような説もある。

なので最澄さんが慧思伝説=太子伝説を信じるのもわかるし、また、いまは四天王寺は和宗総本山であるが、戦前までは天台宗寺院であった。四天王寺に最澄さんのお堂があるのは、そういう意味でも至極当然。

ちなみに、面白いというとアレですが、聖徳太子は敏達天皇3年(574)に生まれて、推古天皇30年(622)に亡くなったとされるから、慧思がまだ生きてるうちに太子は生まれてるんですが、まあ、そういう細かいことは抜きや。信じるいうんはそういうこと。

四天王寺は、古代大阪(上町台地)は、日本からだけ見ててもわからんいうことです。大陸から、半島からみな、わからん。港町ですからな。そして想像以上に古代のアジア・ネットワークは盛んで、いろんな情報、文化、文物、信仰、宗教、人物が行き来していた。平安時代は山背は、ひきこもりの時代(だから国風文化が栄えるわけですが)に突入していくw それ以前の日本は、大阪は、実に国際的で、ダイナミックな時代だった。


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