「一宮七墓」「十十王申す」「大阪七墓巡り」「堺七墓巡り」などの「失われた幻の巡礼」がテーマです。
2022 年 7 月 6 日
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小野さんと、いわきで十十王申す復活プロジェクトを一緒にやっている江尻 浩二郎さんと僕の3人で、ちょっとオンライントークをしましょう!と企画されました。
「一宮七墓」「十十王申す」「大阪七墓巡り」「堺七墓巡り」などの「失われた幻の巡礼」がテーマです。ご興味ある方はぜひとも!( ´ ▽ ` )
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歩くことに取り憑かれた3人によるオンライントークイベント(無料)が突発的に企画されました。私はこの1カ月、急速にのめり込んでいる岐阜〜尾張郷土芸能「七墓」について担当します。
最近読んだ本で印象的だった「巡礼」に関する一節。なぜ人は歩くのか、あるいは巡礼するのか。
「巡礼へとおもむくとき、人は世界との係累──家族、愛するもの、地位、あれこれの義務──を置き去りにし、歩く群れのひとりとなる。成就したことと捧げたものを除いては、巡礼者たちを隔てるものはない。ターナー夫妻は、巡礼をひとつの境界的な状態と論じている。自らのアイデンティティの過去と未来の間隙にあって、それゆえに既成の秩序から遊離し、可能性のうちに漂う状態。リミナリティ =境界性はラテン語 liminすなわち「敷居」に由来する。その一線を、巡礼者は象徴的にも現実にも踏み越えてゆく。」
—『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット著
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カテゴリー: 雑感