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2022 年 12 月 23 日 のアーカイブ

陸奥家ファミリーヒストリー。高知の郷土研究家・明神健太郎の『土佐太平記』の「序」(結城有)に陸奥龍彦のことが掲載されていました。

2022 年 12 月 23 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。高知の郷土研究家・明神健太郎の『土佐太平記』の「序」(結城有)に陸奥龍彦のことが掲載されていました。結城有という郷土研究家を指導した師匠として紹介されている。

明神健太郎のことが気になったので調べてみたら高知県立文学館の広報誌『藤並の森』で明神健太郎について書かれた猪野睦さんのコラムを発見しました。明神健太郎は佐川町で佐川の歌人たちの歌集を作ったり、佐川文化の担い手であったという。1985年に79歳で亡くなっている。

明神健太郎を取材した猪野睦さんも高知の詩人・郷土研究家らしい。壺井繁治賞、高知県文化賞を受賞し、高知ペンクラブの重鎮であったという。しかし残念ながら2018年に88歳で亡くなっている。

高知の郷土研究家の知の系譜。陸奥龍彦もその中にいるということでしょう。


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高知の郷土史家・明神健太郎氏の著書『高吾北文化史』に陸奥龍彦のことが少しだけ掲載されていました

2022 年 12 月 23 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗の兄である陸奥龍彦について。

高知の郷土史家・明神健太郎氏の著書『高吾北文化史』に陸奥龍彦のことが少しだけ掲載されていました。「明治、大正の国学者」とか。これはもしかして陸奥龍彦関連の著書などがあるかも知れない・・・と思って高知の図書館などを検索しても何も見つからず。これまた現地にいくしかないかなぁ。

越智町・亀ケ森の春日神社に白く美しい2匹の蛇神さまがいて、陸奥龍彦翁はそれを目撃したとあります。龍彦翁の目撃談のあとの小田恵寛氏の数珠に白蛇が巻きついたエピソードが神妙不可思議で面白い。


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陸奥龍彦(僕の曽祖父・陸奥利宗の兄)のこと(『佐川町史』より)

2022 年 12 月 23 日 Comments off

久しぶりの陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局の書記、宇治山田市役所の主事などをやっていましたが、利宗はじつは次男坊で、長兄がいました。陸奥龍彦という。

この人物もどういう人物か?一切、不明でしたが陸奥家の郷土である高知県佐川町の『佐川町史』にその名前を発見しました。「宮之原塾」門下で「学者」で「陸奥龍彦(越智)」とある。越智というのは地名、村名で陸奥家の本拠地です。そこの出身ということが明示されている。

佐川郷は山内家の家老・深尾家の所領地で昔から文教に力をいれていた土地とか。「宮之原塾」というのは「宮原寺」(明治維新後の廃仏毀釈でなくなったそうです)にあった私塾で寺子屋のようなもののようです。

この宮之原塾のあとに佐川町に出来たのが「名教館」という郷学校(元は深尾家の家塾)で、宮之原塾と名教館は教師が同じだったりして分校、兄弟校のような位置づけであったとか。そして、この名教館で学んだのが植物学者・牧野富太郎。来年のNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルですなw

牧野富太郎(文久2・1862年生まれ)と陸奥龍彦(慶應3・1867年生まれ)に直接の面識はないかもしませんが世代も場所も近い。「友人の友人」ぐらいの関係性にはなるかも知れませんw

ちなみに『牧野富太郎自叙伝』にも名教館のことが記載されている。「佐川山分学者あり」(山分=山程、沢山といった意味らしい)といわれるほど佐川には学者、儒者がいたという。そのうちのひとりが陸奥龍彦ということになります。

この名教館は他にも宮内大臣の田中光顕、広井勇(港湾工学の父)、ブラジル移民の父・水野龍(東京・銀座「カフェ・パウリスタ」創業者)などを輩出している。いまは玄関部分だけ移築されて保存されているとか。いつか行ってみたい。


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