喜多川諦道
2023 年 9 月 13 日
ジャニー喜多川は1931年生まれだが、1933年、2歳の頃には家族と共に大阪に移住し、終戦まで育っている。太平洋戦争中は一時、和歌山に疎開したが、育ちとしては大阪人といってもいいだろう。
父の喜多川諦道(たいどう)は大分出身の高野山真言宗の僧侶だが、若き頃に渡米して布教活動に専念している。帰国後、大阪に住んだが大阪では夫婦ぜんざい屋やおかき屋をやっていたという。戦後は一時期、プロ野球チーム「ゴールドスター」(千葉ロッテマリーンズの前身)のマネージャーを務めたりもした。ジャニー喜多川は父の経歴のこともあり、少年野球チーム「ジャニーズ」を結成している。
高野山真言宗が海外布教に意欲的だった時代にエリート僧として米国で活躍したのが喜多川諦道であった。米国時代に結成した「ボーイスカウト第379隊」は当時、人種差別を許さない平等主義のボーイスカウトとしてアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトにも表敬されたという。
戦後、喜多川一家が住んでいたのが大阪市南区新川町二丁目。現在でいえば難波中三丁目で、なんばパークスと大阪体育館のあいだ。夫婦ぜんざい屋は九郎右衛門町にあった。現在でいえば西道頓堀界隈となる。
喜多川諦道は晩年まで大阪でぜんざい屋を営んでいたという。
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