大阪まち歩き大学。天王寺七坂のひとつ。源聖寺坂。
ここは昔、妖怪がでた。上町に住む住民が坂を降りて下寺町、黒門、なんばあたりで買い物をする。コンニャクを買う。そのあと、また坂を登って家に帰ると、なぜかコンニャクだけが無くなっている。住民は「あ!源聖寺坂のタヌキにやられた!」と悔しがったという。源聖寺坂にはタヌキがいて、そいつはコンニャク好きで、いつのまにか盗まれるとか。
戦後は坂の途中の、曲がり角あたりに猫婆(ねこばば)がいたという。これはほんまに実在する人間の老婆で妖怪ではなくてホームレスであったらしい。こどもたちがそうやって囃し立てて怖がった。昔は坂道にホームレスがよく住処にしていたという。
上町でもなく下町でもない。「坂の途中」の「曲がり角」はアジール空間が発生する。源聖寺のタヌキやネコババアのような妖怪伝説、都市伝説もスルリと生まれてくる。
天王寺七坂というのは、そういう都市の闇を内包していた場所です。人の世の闇。人間の闇。
鹿児島。吉野。鎮守神社。僕の曽祖父・陸奥利宗と曽祖母・ヲカが結婚して新居を構えたのが「鹿児島郡吉野村吉野497番」だった。現在の鹿児島市吉野町。
曽祖父・利宗は明治12年(1879)2月14日に高知県・吾川郡池川村に誕生し(陸奥家は宇和島伊達藩士の流れと聞いている。このへんは伝聞だが。家紋は宇和島笹)、大蔵省専売局の官僚となって全国を転々としていたが、明治40年(1907)4月10日に元・薩摩藩士の小山田家の娘ヲカと結婚している。
この小山田家は薩摩藩の砲術指南役の家柄で、どういう経緯で利宗とヲカが出会ったのか?よくわからない。当時、利宗は28歳で同年11月4日には長男・武夫が同地で生まれている。結婚の日と出産の日が近いので俗にいう出来ちゃった婚というやつであろう。僕は次男の文夫(東京生まれ)の孫になるが祖父の兄が武夫となる。
こどもが生まれるとなれば、おそらく、こちらの吉野の氏神の鎮守神社にお参りにきたのではないか?と推測している。何故ならば鎮守神社は安産の神様として有名らしいので。
安産の神様になったのは島津歳久の切腹事件が由縁という。歳久は島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の三男で秀吉と確執があった。最終的に秀吉の圧力から家を守るために長男・義久は断腸の思いで歳久を討伐することを決定し、歳久も覚悟して自害を試みた。
ところが酒を飲みすぎた歳久は中風で刀が持てない。しょうがないので石で腹を掻っ捌き、切腹を果たした。その際に「女性のお産もこの苦しみに匹敵する。だからお産の苦しみを癒す神となろう」と宣ったとされる。鹿児島では安産の神様=お石さま=島津歳久であるらしい。
吉野は狩猟の名所として知られたらしいが歳久もよく吉野にきて狩猟を楽しんだとか。憩いの場所、休憩ポイントとなったのが鎮守神社で、やがて安産の神様「お石さま」ゆかりの場所として信仰を集めるようになった。
苦しみや痛みや怒りが転じて、逆にその災難を除ける守り神となる。怨霊が御霊となる。残念さま信仰ですな。
しかし刀が持てないから石で切腹というのが意味不明で恐ろしい。刀よりも余計苦しいのではないか。ちょっと他に聞かれないエピソードであろう。薩摩隼人、おそるべし。
あと酒はほどほどに。中風、怖いw
【いわき時空散走】平リサーチ!いわきといえば磐城高校。その磐城高校の正門に至る道に脇道があり、そこを降ると(胡摩沢というエリアに至るようです)さわの湯鉱泉。「弘法大師ゆかりの湯」も驚きですが「勉学環境最良・学生歓迎」の文字が心躍る。
磐城高校はいわき市内はもちろん福島県内でも有数の名門進学校。高校入試に落ちて浪人になる子も大勢いたらしく、そういう失敗を恐れてか「勉学環境最良」の鉱泉旅館ができたのかもしれない。
目指すべき磐城高校のお膝元の鉱泉旅館で閉じ籠って勉学に励み、入試に臨む。その場合の利用客は、いわき市内ではなくて福島県内からの磐高入学希望者でしょう。大学受験の利用者もいただろうし、受験戦争時代には数多のドラマがあったと推察します。
城山(平城跡)はあちらこちらに湧水、井戸水があり、それらも鉱泉らしく、それで車を洗ったりすると鉱泉成分が白く結晶して車に付着してしまうとか(←城山にある某菩提院の某霜村住職さんのお話による)。
あまり知られてませんが、いわきは密かに温泉天国、温泉大国で。実は新潟大学の調査では市町村別ではいわきは日本最多の温泉数(42ヶ所)を誇るとか。文字通り「日本一の温泉都市」がいわきだったりします。
そういう魅力が残念ながら世間に伝えられてない気がして非常にもったいないことです。「いわき温泉(鉱泉)42ヶ所巡礼」とかやってみたいw
栄山荘さんは現在も営業中なのかな。
http://sawanoyu.web.fc2.com/index.htm
建物も立派ですし、鉱泉は当然、湧出しているでしょう。入ってみたいなあ。
【いわき時空散走】湯本リサーチ!湯本でも温泉町の方ではなくて炭鉱町の八仙、朝貝を巡る。今回は小松 理虔さんのお母さんの思い出話をお聞きするということで、リケンさんにもご協力いただきました。ありがとうございます!
じつはリケンさんのお母さんが生まれ育ったのが、このエリアでリケンさんも祖父母の家があるので思い出深いところだそうです。
湯本川の川遊び、豚小屋、八仙の炭鉱住宅の十軒長屋(30棟もあったらしい)、浅貝のピンクアパート、防空壕、共同浴場、水神さんの桜祭り、フラガールの練習場、子種さんの畑のことなどリケンさんのお母さんのお話がめちゃくちゃ超絶面白くて抱腹絶倒のまち歩きになりました。
また途中、お母さんのご友人の店があり、思い出話の中で、ご友人のお姉さんが女子野球チームに所属していたという情報を入手。コンタクトをとってみると残念ながらお姉さんは一年前にご逝去なさったということで女子野球チームのお話はお聞きできませんでした。
しかし遺品整理をしている中で古写真が出てきたらしく「それはもういらないもので処分しようとしていた」ものを拝見していたら見事に女子野球チームの写真を発見!お借りすることになりました。まだ確認は取れませんが場所はおそらく浅貝球場で「八仙」「美人チーム」と書かれた女子野球チームが写っているものです。
この女子野球チームが興味深い点は、じつは湯本、常磐ハワイアンセンターの「フラガール」の原点が常磐炭鉱の女子野球チーム「コールシスターズ」だという説があること。コールシスターズに携わっていたのがハワイアンセンターの創設者である故・中村豊さんで中村豊氏は女子野球チームの成功からフラダンスチーム結成を考案したという話があります。
この「八仙美人チーム」(チーム名もよくわからない)とコールシスターズの関係性、コールシスターズとフラガールの関係性、その辺をいまリサーチ中です。何か常磐炭鉱、湯本の女子野球について情報をお持ちの方がいたら是非ともご連絡ください。
【いわき時空散走】赤井・平窪リサーチ。上平窪にあるのが利安寺大日堂さん。ここは小川江筋を考案した澤村勘兵衛の墓がある。
ここも何回か江尻 浩二郎さんに連れられて訪れている。大体、いわき時空散走は江尻さんのツアーの後追い、フォロワーみたいなところがありますw 先達はあらまほしき。
利安寺さんを改めて再訪して感じたのがシイノキの巨木の見事さ。実はいわきはシイノキの北限だという。調べたらハマギクなどは南限だという。他にもいわきは北限、南限のものは多い。いわきを境にして植物相、動物相、生物相、社会相(?)が変わる。
関東のバックヤードとか東北のハワイ(=湯本)とか、いわきは北関東なのか?南東北(と言い方はあまりしないが)なのか?というのは、いわきという風土の特殊性、面白さの根源です。中央と地方の相剋のようなものも感じる。複雑な都市です。大人な都市ともいえます。
【いわき時空散走】赤井・平窪リサーチ。平窪の安養寺さんへ。
昔、平窪には西洗寺という寺があったという。そこのお坊さんは賭け事、ギャンブルが大好きで賭け事に勝つと負けた相手にカラシを食べさせたとか。
ある日、どこかのお坊さんと賭け事をして勝ったが負けたお坊さんはカラシを食べすぎて、なんと激辛で悶死してしまった。その後、村にはタタリが起こるようになり、そのタタリの石がこちらの石。
平窪の村人からは「からし坊主」といわれ、タタリの石には「海雲法師」と刻まれている。
なんやようわからん民話(怪談?妖怪話?)で首を傾げるが、まあ、どこか愛嬌があって良い。からし坊主。
【いわき時空散走】湯本リサーチ。八仙にある子種神社の井戸。この井戸は湯本にとって非常に重要でした。
実は湯本は温泉水は豊富に湧出しますが、これは硫黄やら硫酸ナトリウムやらが溶けているので生活用水には使えますが、あまり飲料水には適さない。真水をどう確保するか?が湯本住民の長年の悩みの種であったそうで、しかし貴重な真水が出たのが八仙の子種神社であった。
湯本の住民はわざわざ八仙までやってきて子種神社さんの真水を運んで、それで生命を繋いだ。八仙の水で子々孫々が潤う。子種の神さまとなるのも必然だろう。今も湯本には子種神社さんの氏子さんがいはるらしい。
湯本(温泉街)に鎮座した温泉神社と八仙(近代以降は鉱山街となる。鉱山も真水は必須ですから)に鎮座した子種神社。温泉水の神さまと真水の神さま。この両社の関係性も面白い。
ちなみに八仙の子種神社の真水(鳥居から上がったところが本来の場所)は残念なことに現在は枯れてしまっているとか。湯本トンネルを貫通したさいに真水の水脈が破壊されてしまったらしい。いまは井戸だけが鳥居前に安置されている。