ホーム > 雑感 > 鹿児島。吉野。鎮守神社。僕の曽祖父・陸奥利宗と曽祖母・ヲカが結婚して新居を構えたのが「鹿児島郡吉野村吉野497番」だった。現在の鹿児島市吉野町。

鹿児島。吉野。鎮守神社。僕の曽祖父・陸奥利宗と曽祖母・ヲカが結婚して新居を構えたのが「鹿児島郡吉野村吉野497番」だった。現在の鹿児島市吉野町。

2024 年 2 月 6 日

鹿児島。吉野。鎮守神社。僕の曽祖父・陸奥利宗と曽祖母・ヲカが結婚して新居を構えたのが「鹿児島郡吉野村吉野497番」だった。現在の鹿児島市吉野町。

曽祖父・利宗は明治12年(1879)2月14日に高知県・吾川郡池川村に誕生し(陸奥家は宇和島伊達藩士の流れと聞いている。このへんは伝聞だが。家紋は宇和島笹)、大蔵省専売局の官僚となって全国を転々としていたが、明治40年(1907)4月10日に元・薩摩藩士の小山田家の娘ヲカと結婚している。

この小山田家は薩摩藩の砲術指南役の家柄で、どういう経緯で利宗とヲカが出会ったのか?よくわからない。当時、利宗は28歳で同年11月4日には長男・武夫が同地で生まれている。結婚の日と出産の日が近いので俗にいう出来ちゃった婚というやつであろう。僕は次男の文夫(東京生まれ)の孫になるが祖父の兄が武夫となる。
 
こどもが生まれるとなれば、おそらく、こちらの吉野の氏神の鎮守神社にお参りにきたのではないか?と推測している。何故ならば鎮守神社は安産の神様として有名らしいので。

安産の神様になったのは島津歳久の切腹事件が由縁という。歳久は島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の三男で秀吉と確執があった。最終的に秀吉の圧力から家を守るために長男・義久は断腸の思いで歳久を討伐することを決定し、歳久も覚悟して自害を試みた。

ところが酒を飲みすぎた歳久は中風で刀が持てない。しょうがないので石で腹を掻っ捌き、切腹を果たした。その際に「女性のお産もこの苦しみに匹敵する。だからお産の苦しみを癒す神となろう」と宣ったとされる。鹿児島では安産の神様=お石さま=島津歳久であるらしい。

吉野は狩猟の名所として知られたらしいが歳久もよく吉野にきて狩猟を楽しんだとか。憩いの場所、休憩ポイントとなったのが鎮守神社で、やがて安産の神様「お石さま」ゆかりの場所として信仰を集めるようになった。

苦しみや痛みや怒りが転じて、逆にその災難を除ける守り神となる。怨霊が御霊となる。残念さま信仰ですな。

しかし刀が持てないから石で切腹というのが意味不明で恐ろしい。刀よりも余計苦しいのではないか。ちょっと他に聞かれないエピソードであろう。薩摩隼人、おそるべし。

あと酒はほどほどに。中風、怖いw


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