アメリカ先住民族の話。それまで何百年間とインディアン部族同士で戦争を続けてきた。しかし、16世紀末頃に伝説のインディアン酋長「デガナウィダ」と、大戦士「ハイアワサ」の呼びかけで五部族が会議を行い、その結果、すべての武器を土に埋めることにした(戦争と武力の放棄)。それが恒久平和同盟である「イロコイ連邦憲章」。
じつはアメリカ合衆国憲法の制定には、この「イロコイ連邦憲章」の影響がすこぶる大きい。フランクリンやジェファーソン、トマス・ペイン、ワシントンなどが、イロコイの部族会議に参加したり、学んだりしている。そこでインディアンたちの優れた合議制や平和思想などを学んだ。インディアン(環太平洋的・東アジア的)な母性文化と、ヨーロッパの男性文化が混交して産まれたのが、アメリカ合衆国憲法だったりする。
いまだにニューヨーク州オンタリオ湖界隈に「イロコイ連邦」はあって、アメリカ合衆国からも自治を認められている。かつては、アメリカ合衆国大統領は就任するとイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習だった(インディアンが行くんやないですよ。アメリカ大統領が行く)。それは1963年のジョンソン大統領まで続いたが、ジョンソン以降は残念ながら終わってしまった。
象徴的なのが、イロコイ連邦訪問をやめたジョンソン大統領辺りからアメリカは軍産複合体に完全に乗っ取られてしまうこと。そしてベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争、テロとの争い・・・など、終わりのない戦争の時代に突入していく。アメリカはアメリカの中にある平和思想(インディアン精神)を復活させねばならない。
日本国憲法第9条は日本単独で作ったわけでもないし、アメリカの完全なる押し付けでもない。どっちが作ったか?と論争することは不毛でしかない。あれは要するに日本とアメリカの「合作憲法」であるから。敗戦でつくづく戦争が嫌になった日本。そしてアメリカ人のDNAの中には、じつはイロコイ連邦憲章に学んだ戦争と武器放棄の平和思想があり、それがあの瞬間に奇跡のようにシンクロした。
「日本とアメリカの合作」としての「平和憲法」。合作だから、素晴らしいし、近代国家の枠組を超えたものとなっている。その歴史的価値づけは近代国家主義者にはわからないだろう。もし太平洋戦争の悲劇に、なにか人類史的な前向きな意味づけを与えられるとするならば、平和憲法を産みだしたことに他ならない。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
国家単独のものとしては、この憲法は歪んでいるといえる。しかし、美しい。じつにユニークだともいえる。この平和憲法を変える(=「普通の国」になる)とは、一体、どういうことなのか?もう一度、我々は深く、よく、考えなければならない。
http://www.asahi.com/articles/ASG944G3XG94ULZU00J.html
1961年デビューで現役最年長ロック・グループになっているのが「Beach Boys」(Beatlesは1962年デビューですでに解散。Rolling Stonesは現役ですが、1962年デビュー)。そのリーダーのブライアン・ウィルソンはロック史上最高の孤高の天才です。元々は「ペンデルトーンズ」というバンド名やったんですが、契約会社のキャピトルの意向で、勝手に「ビーチボーイズ」というバンド名に変更させられた。ここからすでにブライアン・ウィルソンの悲劇はスタートしていて、安易なバンド名で、安易なイメージ戦略を作られて、安易なサーフィン・ソングを大量生産することを求められた。そこに収まっていれば優秀な職人ライターとして平凡な一生を終えたかも知れませんが、ブライアンはそうではなくて、ガーシュウィンのようなアメリカを代表する偉大なる音楽家、芸術家になろうとした。
1950年代のロック・シーンはアメリカのエルヴィス・プレスリーの時代で、ところが1960年代は俗にいう「イングリッシュ・インベンション」。イギリスのビートルズが時代の寵児だった。アメリカのビーチボーイズは、イギリスのビートルズとお互いの音楽性、芸術性、創造性をぶつけ合って、熾烈な戦いを繰り広げる。おそらく70年近いロックの歴史の中でも、もっともエキサイティングでスリリングな瞬間がこの時代だろうと思います。ただビートルズにはレノン&マッカートニーという最強コンビに付け加え、さらにはジョージ・マーティンという敏腕プロデューサーがいたが、ビーチボーイズはブライアン・ウィルソンただ一人。「バンドリーダー兼シンガーソングライター兼プロデューサー」という孤立無援状況の中で、1967年、ついにブライアンは発狂する。スタジオに火をはなとうとしたり、キャピトル重役夫人をみて「悪魔がきた!」と絶叫したりして、『スマイル』という伝説の傑作アルバムの制作を中止。それからは自宅に引き込まって、ドラッグと過食症で、ぶくぶくに太っていった・・・。
ちなみに当時、完全におかしなってるブライアンの伝説の映像がこちらの「Surf’s Up」.。レナード・バーンスタインが司会をしていたテレビ番組のドキュメンタリーで、バーンスタインですらも「じつに奇妙で難解な曲だ・・・」と唸ったという傑作中の傑作です。下がそのロング・バージョン。
https://www.youtube.com/watch?v=e-ZjIdyWu-U
https://www.youtube.com/watch?v=s3TRns_zssM
ビーチボーイズとビートルズのもうひとつ決定的に違う点は、ビートルズは赤の他人の寄せ集まりなんですが、ビーチボーイズは「家族経営」であったこと。メンバーのほとんどが兄弟とか親戚。他者同士のビートルズはお互いメンバーが嫌になれば解散すればよかった。しかし家族経営のビーチボーイズは解散という手段を取ることができない。ファミリーバンド(だからでこその素晴らしいハーモニーバンドでもあるのですが)であることもブライアンの悲劇で、血族同士の争いというのは、まさしく血みどろの状況になる。ブライアンの次弟のデニスは男前で女関係が激しく、同じくビーチボーイズ・メンバーである従兄弟のマイク・ラブの非嫡出子のショーン・ラブと4度目の結婚をしようとして猛反対される・・・といった骨肉の争いエピソードなんかは、まさしくビーチボーイズ的現象といえます。
70年代、80年代のライブでは伝説の名演も多いが、じつはメンバー間は最悪の精神状態で、ライブ中に観客にわからんように、お互い、密かに嫌がらせしまくってたとか。ブライアンは完全におかしくなっていて、自分がいまどこにいるのかもわからない状況なのにライブに出されてキーボードの前に座らされる。メンバーがこの曲をやるぞ!と演奏しだすのに、ブライアンだけまったく別の曲を弾いている。メンドクサイのでキーボードの電源を抜かれて、単なる客寄せパンダ、お飾りとして扱われた。当時のライブ映像も残ってますが、ブライアンみてるとライブ中なのに、フラフラ歩きだしたりして、もう、ここまで来ると悲劇というか完全に喜劇です。泣いていいのか、笑っていいのかわからん・・・。
それからもブライアンはユージン・ランディという謎のセラピストに洗脳されたり、弟デニスが酒とドラッグにはまって溺死したりとか、いろいろと波瀾万丈エピソードが続くんですが、関係者の必死の努力で、1990年代ぐらいから徐々に復活。ぼくは1999年の「Imagination Tour」の日本公演(大阪フェスティバルホール)でブライアンに生サインをもらいました。いや、正確にはブライアンには会えてないんですが・・・。
どういうことか?といえば、ブライアンのアルバムの「magination」を買って応募すると、バックステージにご案内というキャンペーンを当時やっていて、ぼくはそれに当選したんですな。それで大阪公演が終わって、関係者に案内されて「ここでおまちください。ブライアンが来ますから」といわれて、当時21歳のぼく(うわぁ!自分で書いてて驚いたww あれから15年か・・・)は、もう感動でドキドキでコチコチで「なにをしゃべったらええんやろか・・・」と固まっていたら、いつまでたってもブライアンが来ない。関係者もそのうち「あれ?」ってなりだして、いろいろとバタバタと確認したら、ブライアン、いつのまにか逃げるようにホテルに帰っていったと・・・。関係者は平謝りで、ぼくも最初は「ええ!!?」ってなりましたが「ああ。そうか」と思って、諦めて、あっさり帰りました。要するにまだ精神状態、全開やないんやなと。ファンとしては辛かったですな。ライブは最高のパフォーマンスでしたが、ムリしたんやないやろか?と・・・。
後日、関係者からライブ・パンフが届いて、そこに小さく「brian wilson」とサインが書かれていて、このサインの小ささなんかも、ブライアンの微妙な精神状態を表している気がしましたな。ただ、ぼくは、まったくモノには拘らない人間なんですが、これは、ちょっとした、ぼくの宝物です。画像がそれで、「ライブ・パンフのサイン」と「ゲスト・シール」です。
・・・というわけで、十三・シアターセブンにて「ブライアン・ウィルソン ソングライター」やってます。ご興味ある方はぜひともw
http://brianwilson-movie.com/
http://www.theater-seven.com/2014/movie_brianwilson.html
西日本新聞社ニュースカフェさんの企画で、10月12日(日)と13日(月祝)に「九州まわしよみ新聞サミット2014」を開催することになりました!当日はぼくも行きますが、まさか、こんなサミットが開かれる日がくるとは思ってもみなかったです…日本初となる記念すべき第1回目の「まわしよみ新聞サミット」。九州だけに限らず、日本全国各地からの参加者を募ります。ご興味ある方はぜひともご参加してください!m(_ _)m
■九州まわしよみ新聞サミット2014
https://facebook.com/events/357000787798694/
西日本新聞ニュースカフェ事務局は、日本新聞協会が主催する「新聞週間」(10月15日~21日)にあわせ、九州各地で「まわしよみ新聞」を行っている編集長やその協力者、また、まわしよみ新聞に興味のある方たちが一堂に集まる「九州まわしよみ新聞サミット2014」を開催します。大阪から「まわしよみ新聞の父」である陸奥賢さんをお招きしてのスペシャルなサミットです。新聞の新たな価値や面白さを日々発信するみなさんと一緒に「まわしよみ新聞」をやりながら、その魅力と可能性を語り合いましょう。
日 時:2014年10月12日~13日
会 場:西日本新聞社10階1号・2号会議室
(福岡市中央区天神1丁目4-1)
参加者:九州まわしよみ新聞編集長・協力者、
まわしよみ新聞に関心のある全国の方
参加費:500円(材料費、飲み物代含む)
<タイムスケジュール・内容(仮)>
◆1日目(前夜祭)
日時:10月12日(日)18:00~
会場:もつ鍋 楽天地 天神本店
(福岡県福岡市中央区天神1−10-14)
内容:まわしよみ新聞の発案者、
陸奥賢さんを囲んでの懇親会
◆2日目(サミット)
日時:10月13日(祝・月) 10:00~18:00
会場:西日本新聞社 10階1号・2号会議室
内容:まわしよみ新聞ワークショップ
各編集局活動報告会
意見交換会
表彰式
<参加申し込み方法>
(1)まず、Facebook イベントページの参加ボタンをクリック
(2)つぎに、イベントページに投稿をする。
1日目の前夜祭のみ参加・・・①
2日目のサミットのみ参加・・・②
両日参加・・・①②
<お問い合わせ>
西日本新聞社地域づくり事業部ニュースカフェ事務局(担当:安武・二島)
電話:092-711-5506 fax:092-711-8120
mail:social@nishinippon-np.jp
【まわしよみ新聞創刊2周年記念!】9/29(月)19時より「まわしよみ新聞編集長養成講座」
https://www.facebook.com/events/825372957508165
まわしよみ新聞創刊2周年記念!ということで、まわしよみ新聞編集長養成講座をやります。「なぜ、まわしよみ新聞をやっているのか?作るのか?」という「想い」の共有から、実際に参加者全員で「まわしよみ新聞」を作成しながら「まわしよみ新聞」の作成のコツ、場の運営のノウハウなどをお教えします。この講座を受けると「あなたも明日からまわしよみ新聞編集長(ファシリテーター)になれる!」というものです。受講者にはまわしよみ新聞実行委員会名義の公式の「修了証」も発行!ご興味ある方はぜひともご参加してくださいm(_ _)m
■集合日時:9/29(月)19時~22時
■集合場所:未定(詳細が決まり次第、告知します)
■参加費:1000円+まわしよみたい新聞
■定員:10名
■講師:むつさとし(まわしよみ新聞オーナー)
※まわしよみ新聞とは?
~オープンソースで「いつでも、どこでも、だれでもできる」が合言葉!むつさとし(観光家/コモンズ・デザイナー)が考案した大阪(應典院生まれ・釜ヶ崎育ち)発信の「メディア遊び」です~
http://www.mawashiyomishinbun.info/
静岡県浜松市中区山手町で「まわしよみ新聞」を実施しはるそうです^^ ご興味ある方はぜひとも~!^^
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■山手町子ども会
http://yamatekodomokai.hamazo.tv/e5564883.html
ひろばは「積み木遊び」と
「まわし読み新聞を作ってみよう!」
をやります。
「まわし読み新聞を作ろう」とは、新聞を使って楽しむワークショップです。新聞をまわしよみして好きな記事を切り抜きプレゼンをして最後に壁新聞を作ります。(考案者は大阪在住陸奥賢さん)
http://www.mawashiyomishinbun.info/about/
○読む力、プレゼン力、構成力が身につく知的な遊びです
○中学で新聞に作ってまとめる学習が多くなりますが、その練習にもなるかもしれません(^O^)
今回は4年生以上が対象です。大人(父も歓迎)や大きい兄弟もお時間あえばぜひご参加下さい。いろんな年代の人がいるほうがおもしろさも増します。
持ち物 ハサミ、のり、ピグマックスなどのペン、家でとっている新聞(ない方はいいです)、水筒
来週月曜日の8月25日に東京でまわしよみ新聞を実施します!ご興味ある方はぜひともご参加してください〜^ ^
■第3回 まわしよみ新聞 とうきょう支局
0825(月) 19:00~@千代田図書館
https://www.facebook.com/events/1906297989509191/
先日、福岡県の福智町の「としょかん友の会」のみなさんがまわしよみ新聞をやってくれましたが、そのご報告記事です。17名の参加で、できあがった新聞は現在、公民館にて掲示されているとか。通りすがりの人が「まわしよみ新聞?へぇ。面白いなぁ」となって活動が広まっていくことを期待してますw みなさん、ありがとうございました~!^^
『まわしよみ新聞のすゝめ』クラウドファンディング。満願成就いたしました。
総額は「90万3000円」。寄付サポーターは「135名」。キッカケではなくて個人的に振込みますという方も30名近くいはるので、最終的な金額は100万円弱。寄附サポーターも150名を超えました。ちょっとぼくの想像以上の結果でした。まわしよみ新聞てほんまに愛されてますね・・・ww 本当にありがとうございますm(_ _)m
まわしよみ新聞は、ずっと「草の根」でやってきました。「行政の助成金を取ろう」とか「企業のスポンサーを獲得しよう」といった方法論は選択しなかった。このプロジェクトは「公」や「私」といった大きな組織やコミュニティを拠り所にするのではなく、オープンフリーソースで、「他者」が寄り集まる「共」(コモンズ)を目指す・・・と当初から想定したからです。これがそもそもムチャなんですが、コモンズ・デザイナーを名乗る以上、やってやる!とww
そういうぼくにとってクラウドファンディングというのは、とても魅力的な方法論に思えました。まずアイデアや企画があって、それを開示し、賛同者を募る。この賛同者はぼくのことを知っている人もいれば、全く知らない「他者」もいたりしますが、寄附という行為を通じて、ゆるやかに連動・連帯していく。
クラウドファンディングは、他者が集いますが、寄附行為によって、それぞれに当事者性が芽生えてきます。ぼくは今回「本作り」ということでクラウドファンディングをやってみましたが、世間では「アート作品を作りたい」「映画を撮影したい」と色々とプロジェクトがあるようです。自分が企画段階から関与した本、映画、作品というものが世の中に出てくる。それが世間に認められる。世の中を面白くする。社会をよりよいものにしていく。これはなかなか面白い仕組みです。本、映画なんてのよりも、もっと大きなプロジェクトだってでてくるかも知れません。「みんなが集える場を作ろう」「こういう人材を育てよう」「新しいまちを作ろう」・・・場づくり、ひとづくり。まちづくり。そういったプロジェクトも不可能ではありません。
いずれにせよ、みなさんのご支援のおかげで『まわしよみ新聞のすゝめ』資金は集まりました。あとは制作をがんばるのみ。近況報告しますと、ぼくはすでに6万文字ほど原稿を書きまして、9割方、完成しています。加藤種男さん、釈徹宗さんの対談も収録。あとは寄稿者のみなさんがどれだけ早く原稿を挙げてくれるか・・・だったりしますww 9月29日(まわしよみ新聞2周年記念日)の完成はむつかしいかも知れませんが、10月中にはみなさんのお手元に本を贈りたい・・・と思っております。
いましばらくお待ちくださいm(_ _)m
※「しまった!寄附忘れてた!!」という方へ
本の制作は徐々に進めますが、まだ寄附は間に合いますので、FBでメッセージをお送りください。振込口座をお教えします。何卒、よろしくお願いしますm(_ _)m
「大阪七墓巡り2014」にご参加いただいた佐野さんが、一隊がどこのルートを通ったのか?マッピングしてくれましたw かなり正確だと思います。じつは最初の梅田から南濱に向かうさいに地下街を通過しようと思ったら24時を回っていて閉鎖されていて、結局、お初天神、太融寺を経由していきました。そのへんもよくわかりますww
佐野さん、ありがとうございます~!^^ 画像と記事は佐野さんの投稿よりm(_ _)m
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皆様おつかれさまでした。まだまだ足の痛みは続くようですが記憶のあるうちにと、歩いた道を書き出してみました。細かい道は覚えていないところも多く、ご指摘があれば書き込んでいただけないでしょうか。こんなことなら、ランニングアプリのようなものを仕込んでおけば良かったと後悔しております(そしたら自動的にこういうのが生成されたはずなので!)
赤い★が墓所、緑の●が休憩したコンビニです。