小嶋慎太郎さんがなんと「福岡市役所」で「まわしよみ新聞」を発行してくれました!「まわしよみ新聞」は日本全国各地で発行されていますが、「市役所」ってのは初めてのケースだろうと思います^^; ついに行政の中にまで「まわしよみ新聞編集局」ができるとは・・・もうここまできたら市長とかにもやってほしいですなw 小嶋さん、ありがとうございました~!^^
以下は小嶋さんの記事より。
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昨日、まわし読み新聞福岡市役所支局を開局しました!!今回はお試しということで、市役所の自主研究グループの4名1班でやってみました。新聞はもちろん西日本新聞さんご提供です。参加者の反応も上々。次もやりたい、市政だよりを使ってやってみたい、自分の職場でもやってみたいなど、発展の兆し!!福岡市役所支局の支局が誕生しそうです♪
AAF2014にて。無縁都市ブリコラージュ(大阪七墓巡り、東京七墓巡り)のプレゼン。撮影はるうちゃん。るうちゃん、ありがとう〜!
小嶋慎太郎さんがなんと「福岡市役所」で「まわしよみ新聞」を発行してくれました!「まわしよみ新聞」は日本全国各地で発行されていますが、「市役所」ってのは初めてのケースだろうと思います^^; ついに行政の中にまで「まわしよみ新聞編集局」ができるとは・・・もうここまできたら市長とかにもやってほしいですなw 小嶋さん、ありがとうございました~!^^
以下は小嶋さんの記事より。
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昨日、まわし読み新聞福岡市役所支局を開局しました!!
今回はお試しということで、市役所の自主研究グループの4名1班でやってみました。新聞はもちろん西日本新聞さんご提供です。
参加者の反応も上々。次もやりたい、市政だよりを使ってやってみたい、自分の職場でもやってみたいなど、発展の兆し!!福岡市役所支局の支局が誕生しそうです♪
東京でもついに編集長養成講座。みなさんの「まわしよみ新聞」を楽しみにしてます!^^ おもろい新聞を作ってください~!
■3/14(金)18時30分より東京都墨田区の「ユートリヤ(すみだ生涯学習センター)」にて「第6回まわしよみ新聞編集長養成講座」開催!
https://www.facebook.com/events/248060815376663/
十返舎一九の墓があった東陽院の場所を発見しました。今回の東京滞在中にリサーチできるかな・・・。
■『戯作者撰集』(石塚豊芥子編・天保末頃~弘化初年成立、後、嘉永期まで加筆)
十返舎一九 寛政七乙卯年より通油町書肆仙鶴堂が裏に住せり【初め橘町又深川佐賀町にも住居す】姓は重田、名は貞一、駿河の産なりと云。俗称与七。墨川亭曰、一九、幼きとき市丸と呼ぶ。故に市を一に作り雅名とす。弱冠の頃、東都に出、或侯舘【一説に小田切侯江都尹にておはせし時/その舘にて注簿たりしといふ】に仕へ、そのゝち大坂へ登り、彼地に往て志野流の香道に称誉あり。十返舎の号は黄熟香の十返をとりて然よぶといへり。其頃のことにや、並木千柳、若竹笛躬と倶に木下蔭の繰戯曲を編述したるよし。後、故ありて自ら香道に遊ぶ事を禁ず。寛政六寅年、復び東都に来て始めて稗史両三部を著述して耕書堂が梓に上せて発市せり。天保二辛卯年、病て没す。浅草土富店善龍寺【俗にぬけ寺と云】地中にて東陽院【墓石は惣乱塔裏門方より二側目にて東三軒目】戒名 心月院一九日光信士【天保二辛卯八月上旬七日】石塔左り方に辞世「此世をばどりやおいとまにせん香とともにつひには灰左様なら」
■東京七墓巡り復活プロジェクト
https://www.facebook.com/tokyo7haka
「大阪さばのゆ温泉大学」にて「まわしよみ新聞」実施!カレーもおいしゅうございました。さばのゆなんでサバの絵を描きましたw ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました~!^^
■3/10(月)19時から「さばのゆ温泉」で「まわしよみ新聞」実施!
https://www.facebook.com/events/612848328765102/
「DECO(江之子島A&Iマネジメント)」さんからのご依頼で4月、5月、6月と3か月連続で「まわしよみ新聞編集長養成講座」を実施することになりました。3回連続ではなくて1回だけの参加でOKですので。恐ろしい勢いで日本全国各地に広がってる「まわしよみ新聞」。別に誰でも簡単に作れて、ぼくの編集長養成講座なんてうけなくても、勝手に作っていただいてもいいんですが、「やり方を教えてほしい」という人が多くいるのも事実なんで、それではぼくのやり方でよろしければ教えますよ・・・ということで、やっております。まぁ、でも手前味噌ですが毎回、大爆笑です。これは決してぼくのトークが面白いのではなくて参加者が勝手に「まわしよみ新聞作り」で大盛り上がりするんですよね・・・。ご興味ある方は、ぜひともご参加してください!^^
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大阪から全国に拡がっている『まわしよみ新聞』。大阪市西区江之子島で3/6の実施に続いて、むつさとし氏を迎え、3ヶ月連続で行ないます(1回だけの参加でOKです)。
■4/24(木)19時より阿波座にて「DECO まわしよみ新聞編集長養成講座」開催
https://www.facebook.com/events/554968387951001/
■5/22(木)19時より阿波座にて「DECO まわしよみ新聞編集長養成講座」開催
https://www.facebook.com/events/610807715661034/
■6/26(木)19時より阿波座にて「DECO まわしよみ新聞編集長養成講座」開催
https://www.facebook.com/events/558490874259130/
「なぜ、まわしよみ新聞をやっているのか?作るのか?」という「想い」の共有から、実際に参加者全員で「まわしよみ新聞」を作成しながら「まわしよみ新聞」の作成のコツ、場の運営のノウハウなどをお教えします。この講座を受けると「あなたも明日からまわしよみ新聞編集長(ファシリテーター)になれる!」というものです。受講者にはまわしよみ新聞実行委員会名義の公式の「修了証」も発行します。ご興味ある方はぜひともご参加してください。
「なぜ、まわしよみ新聞をやっているのか?作るのか?」という「想い」の共有から、実際に参加者全員で「まわしよみ新聞」を作成しながら「まわしよみ新聞」の作成のコツ、場の運営のノウハウなどをお教えします。この講座を受けると「あなたも明日からまわしよみ新聞編集長(ファシリテーター)になれる!」というものです。受講者にはまわしよみ新聞実行委員会名義の公式の「修了証」も発行します。ご興味ある方はぜひともご参加してください。
facebookの参加ボタンではなく、申込フォームからの送信をお願いします。
■日時:4/24(木)19時~22時
■場所:阿波座ライズタワーズマンション1Fマークスタジオ
大阪府大阪市西区江之子島2-1-21
※地下鉄阿波座駅8番出口より西へ徒歩2分
■参加費:1000円+まわしよみたい新聞
■定員:各20名
■講師:むつさとし(まわしよみ新聞オーナー)
☆申し込みフォーム https://ssl.mypl.net/inquiry/entry?fid=347&div=amagasaki
※まわしよみ新聞とは?
オールフリー&オープンソースで「いつでも、どこでも、だれでもできる」が合言葉!「コモンズ・デザイン」(共的空間設計)によって開発された大阪生まれの新しい市民メディアの「エトス」(型)です。
http://www.mawashiyomishinbun.info/
岸和田は「岸の和田氏」のことで、この和田氏とは楠木一族の家臣です。楠木正成は山城に立て籠もってのゲリラ戦が上手く、どうも山の民(和田)のイメージが強いですが、じつは海の民(岸の和田)をも掌握していた。つまり、岸和田のだんじりファイターは楠木系の子孫や一族でして。実際、だんじりの彫りもんの題材も、やたらと『太平記』もんが多い。「桜井の子別れ」とか「湊川出陣」とか。
「楠木正成」はまた「楠正成」と書く場合もあります。これは誰も指摘しているのを読んだことがないですが、ぼくは二文字姓(楠木)は「日本名」で、一文字姓(楠)は南宋との交易のさいの「中国名」ではないか?と思っているんですな。日本人はしばし大陸と交流するさいは、二文字姓から中国風の一文字性に変えていたそうで、例えば遣唐使で中国に渡り、現地で亡くなって墓碑が発見された「井真成」などは「井上真成」や「葛井真成」が正式な日本名ではないかと予想されています。つまり楠木一族(楠一族)は、海の民(岸和田)を通じて大陸と通じていたと。そうでないと正成に宋学(尊王攘夷)イデオロギーが濃厚な理由が説明出来ないんですな。
また正成が兵庫港(国際港)で戦死しているのも非常に興味深いなぁと思ってまして。正成は湊川で戦死しましたが、ほんまは兵庫港から逃げて再起を図ろうと思えば可能だったのではないか?しかし、それを、どうも、止めた。北朝に敗北したというよりも、正成の中の尊王攘夷イデオロギーが挫折したという感が強いです。イデオロギーに生きる人はイデオロギーが挫折すると死ぬ。その一例ではないかと。実際に「赤坂城の戦い」では正成は落城で焼死したふりをして、実は生き延びていて、1年後に劇的に再起しました。「千早城の戦い」では500名で山城に立て籠もり、数万の北朝方と100日間ほど戦い抜いたとか。これほどのことは平気でやってのける人物が湊川の戦いごとき、切り抜けれなかったわけがないと思うんですな。退路は、生還路はあった。
しかし赤坂城、千早城の時はまだ「建武の新政以前」で正成には後醍醐帝と新しい政治を作るというイデオロギーがありましたから。イデオロギーのためならゲリラ戦や死んだふりぐらいは当然やります。しかし「建武の新政以降」は正成は自分のイデオロギーが間違っていたことを知ってしまう。こうなるとイデオロギー信奉者は弱い。「建武の新政以前」の正成はゲリラやったり、煮えた糞尿を敵にぶっ掛けたりと、じつに凄まじいんですが、「建武の新政以降」の正成は、明らかにそんな凄まじさを感じない。自分のイデオロギーが揺らぎ、もはや死に場所を探し求めていたようにも感じる。じつに潔い。こういう落差が正成の面白さ。要するにイデオロギーに生きる人は醜く、イデオロギーに死ぬ人は美しいということなんかも知れません。