住吉大社神館にて。樂焼茶碗の逸品。
住吉大社神館にて。樂焼茶碗の逸品。
千利休の究極の理想が黒い茶碗でした。というのも利休時代の抹茶はいまより色が白く、白と黒のコントラストが、虚飾を捨て去ったモノクローム、水墨画のような世界感が利休好みだった。
現在の抹茶は色が強く、その粋はなかなか伝わりませんが。
住吉大社神館にて。樂焼茶碗の逸品。
千利休の究極の理想が黒い茶碗でした。というのも利休時代の抹茶はいまより色が白く、白と黒のコントラストが、虚飾を捨て去ったモノクローム、水墨画のような世界感が利休好みだった。
現在の抹茶は色が強く、その粋はなかなか伝わりませんが。
昨夜は堂山のシングルズにいって終電なくなってタクシーで南船場の事務所へ。さてマンションのオートロックを開けようとした時点で・・・え?あれ?カギがあらへん。あ。おれ、夕方にマンション出たときにカギ持って出るの忘れとるわ・・・。
深夜2時。マンションの玄関口。目の前はオートロックの扉。猫の鳴き声。へんな虫が飛んできて、うわああ!!!
しばらくボーゼンとして、30分ぐらいして、冷静に自分の状況を把握。裏から入られへんやろか?とか、友人に携帯でメールしてみても無反応(またこういうときは誰も起きてない!)、ああ。あかん。もうカラオケいって朝まで泣きながらひとりで尾崎豊でも熱唱するしかない・・・なんてことを考えていると、結局、深夜2時50分ごろに、奇跡のようにマンション住人が帰ってきまして。なにくわぬ顔で住民がオートロックをあけた瞬間に、ぼくも一緒に入って、なんとかなりました。
深夜に、こういうの、妙に疲れましたわ。ふう。
2畳大学の学長・梅山くんのお誘いで「ノリさん日替わりマスターのバーSINGLESでマスター@梅田」に遊びにいきました。ノリさんというのは廣水乃生(ひろみずのりお)さんのニックネームです。
廣水乃生(ひろみずのりお)
1968年生まれ。東京芸術大学大学院教育学研究科終了後、7年間にわたって教師を務める。教育を通して人と人のコミュニケーションに興味を持ち、教諭を退職。米国プロセスワーク研究所にて葛藤解決・組織改革ファシリテーション・マスターコースを修了する。その後ファシリテーションスキルを日常生活に活かすための講座や人々が社会的な立場を超えて交流する場「オープンフォーラム」を企画するなど様々な活動を企画実施している。水戸教育フォーラム共同代表、コミュニティファシリテーション研究所代表、茨城・教師を支える会代表。
仕事で来阪してはったんですが、色々とありまして、ぼくがガイドとして大阪のまちを案内。道頓堀、法善寺、千日前、日本橋、新世界、太子、山王、飛田、釜ヶ崎などを一緒に巡りました。その後日、梅田・堂山のSINGLESでマスターをするとのことやったので、お伺いしたというわけです。
大阪のまちネタ、雑談ばっかりして、結局、ファシリテーションスキルに関しては、あんまり話をせずで、ようわかりませんでした(笑)次はそのへんのお話をぜひともお聞きしたいです。
淀屋橋odonaのアイ・スポットで実施された『月刊島民』の第1回淀屋橋編集会議『タウン誌のつくり方』に参加しました。
月刊島民編集部による新たなメディアがスタート。
参加者の方々とコミュニケーションしながら、街の楽しみ方、
街ネタの伝え方などを考えていきます。
いわば読者参加型の公開編集会議のようなノリ。
第1回は「タウン誌のつくりかた」。
月刊島民ファンだけでなく、いろいろな形で
情報発信に関わる方々、お集まりください。
毎回登場するゲストにも乞うご期待!
なんとなく参加したのですが、想像以上に面白かったです。中之島に限らず、大阪のまちは、どこも個性が強いです。大阪あそ歩は大阪市内だけで、150ものまち歩きコースを作りました。これは大阪のまちの、潜在的な、驚異的な、ポテンシャルの賜物。もっともっと、あっちこっちに、地域密着のタウン誌があってええと思ってるんですが・・・。
住吉大社御鎮座1800年記念大祭で境内をぶらぶらしていたら、K権禰宜のご好意で、国指定重要文化財の神館を見せていただきました。お茶席を頂き、さらに樂焼茶碗の逸品が展示されていました。
堺が産んだ茶聖・千利休の究極の理想が、この黒茶碗でした。というのも利休時代の抹茶は現在の抹茶よりも色が白かった。白と黒のコントラストが、虚飾を捨て去ったモノクローム、水墨画のような世界感と美が「利休好み」やったんですな。
現在の抹茶は、あまりに色が強く、その粋はなかなか伝わりませんが。
2011年5月12日は、摂津一宮・住吉大社が御鎮座1800年という記念すべき日でした。
参拝したら第一本殿前に「住吉大社 御鎮座千八百年記念大祭 幣帛料御下賜 天皇陛下 平成二十三年五月二十三日」の看板がありまして。
なかなか見れないもんですんで、思わず写メール(笑)
ナショナリズム(愛国主義)がなぜ危険であるか?というと、国家というコミュニティは大抵、軍隊を持っているからです。ただこの1点だけで、愛国主義は、国粋主義は、狂気となりうる。
パトリオティズム(郷土愛)が救われているのは、ふるさとや都市というコミュニティは軍隊をもたないから。戦争という手段をもたないコミュニティであるから、どれだけ声高にパトリオティズムを叫ぼうとも、まぁ、酒場で酔っ払ったオッサンの自慢話みたいなもんで、微笑ましいもんです。
ぼくは、だから、パトリオティズムの錦の旗印を掲げる。安酒に串カツ食べて、さぁ、大いに、郷土を語ろうではないか。
新しくなった大阪駅(大阪ステーションシティ)に大阪が誇る大阪料理の名店「高麗橋吉兆」が入っててちょっと驚きました。「高麗橋吉兆 JR大阪三越伊勢丹店」とか。店名がやたらと長い・・・。
http://osakastationcity.com/restaurant/438.php
http://www.kitcho.com/osaka-hon/eat_open/index.html
日本料理というと「京料理」のイメージがありますが、京都(平安京)は「山背」というように山奥に位置していて海がないので魚を生食することが非常に難しい。京都古来の料理というのは乾き物などを合わせた「煮る食文化」に留まっています。これは古都・奈良も同じくです。また江戸は港町で魚が豊富ですが17世紀以降に出来た新興都市であり、畿内半島から遠く離れていることもあって「煮る食文化」が伝播せずに刺身や江戸前寿司に代表されるような「割く食文化」を形成しました。対して大阪は京都の煮る食文化の影響を受けながら、港町であるという絶好のロケーションにあったので「煮る食文化」+「割く食文化」を見事に融合させて「割烹」という新ジャンルを確立させました。「割烹」という漢字の「割」は割くこと、「烹」は煮ることを意味していて、要するに日本料理というのは「割烹」のことであり、大阪料理のことです。こういうのを大阪弁で「ええとこどり」といいます。
日本料理の一大ジャンルの懐石料理も、茶聖・千利休の茶懐石から派生したものです。千利休も大阪・堺生まれで紛れもなく大阪人(堺人)。利休の懐石は当初は「一汁三菜」という質素な形体から始まりましたが、やがて四季折々の自然や風流を入れ込むという粋な食文化へと発展していきました。舌だけで料理を味わうのではなく、器や杯、掛け軸、普請、庭などと一体化させて、味覚、触覚、視覚、聴覚、嗅覚と五感を駆使して食を楽しむ。これほど「贅沢極まりない食文化」というのは日本はおろか世界を探しても稀で、だからでこそ住友や鴻池、加島屋といった名だたる大坂豪商たちが深く懐石料理を愛したわけです。また江戸時代の大阪は「天下の台所」として諸国の特産物の流通センターでした。北国の北海道の昆布と、南国土佐の鰹を掛け合わせて「だし」を取ることを発明したのは大阪の町衆です。これは画期的な発明で、昆布というのは「植物性アミノ酸」、鰹というのは「動物性アミノ酸」で、これを掛け合わせると、なんと「旨み成分」(アミノ酸=味の基です。笑)が約7倍になるんですな。
いま日本料理というと、昆布+カツオの「だし」が基本ベースになってますが、これは、大阪人の発明。「大阪料理とはなにか?」というと、この「だし」の文化で、これはしかし、もはや「日本料理のスタンダード」になってしまっているので、誰も「大阪名物」といわない。しかし、ほんまは、この「だし」こそが「大阪名物」なんです。東京は「ミシュランガイドで世界最高数の星をとった!東京はパリを抜いて世界最大の食の都だ!」なんてことをいってますが、それは大阪の「だし文化」があってこそ、です。日本料理店から昆布とカツオの「だし」を抜いたら、一体、どういうことになるか。考えてみてください。大阪の町衆が発明した「だし文化」こそが、世界最大の食の発明でした。大阪人は、もっと、自分たちの先達が産み出した偉大な食文化を誇りにして宣伝しましょう(笑)