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大阪駅がどれだけ巨大に、綺麗に、便利になろうとも、ぼくは駅前ビル、曽根崎、堂山といった猥雑さを深く愛す。大阪駅に大阪はない。

2011 年 5 月 4 日 Comments off
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輝く都市

2011 年 5 月 4 日 Comments off

ル・コルビュジエの『輝く都市』構想。人工都市ブラジリアの失敗で懲りたか?と思いきや、まったくデベロッパーも学会も大衆もまったく懲りてない。人間の真実のライフは『輝く都市』なんかにあるわけがない。それは曲がりくねった路地と赤提灯と人目を偲んで寄り添う不倫カップルで構成される。駅前ビル、曽根崎、堂山には、ほんまもんの人間がいる。それは近松門左衛門の『曽根崎心中』のお初・徳兵衛の昔から変わらない。だから美しい。


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大阪名物みやげ!浪花ことばせんべい(阿倍野区・はやし製菓本舗)

2011 年 5 月 4 日 Comments off



大阪あそ歩のまち遊び企画昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~で立ち寄り、お土産に買って帰りました。阿倍野名物の「はやし製菓本舗」さんの「浪花ことばせんべい」。郷土史研究家で『大阪ことば事典』編者の牧村史陽さんが「これが大阪やいうもんを作ろうやないか」と先代のご主人と考案して作られたとか。

全部で26種類あるんですが、面白いので100種類ぐらい作ってほしいなぁ・・・と勝手に思っております(笑)


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大阪電燈と東京電燈の「交流・直流論争」~なぜ関西電力の周波数は60ヘルツで、東京電力の周波数は50ヘルツなのか?~

2011 年 5 月 3 日 Comments off

明治20年(1888)、東京電燈が直流電送を開始。翌年に大阪電燈(1889)が出来て、こちらでは交流電送を開始しました。当時は世界各国でも「直流か?交流か?」で電力会社は悩んでいたんですが、大阪は「交流のほうが直流より長距離送電に向いている」として60ヘルツの交流方式を採用したんです。

ここで東京電燈と大阪電燈のあいだで有名な「交流・直流論争」が起きるんですが、東京電燈はメンツがあるので、これまで通りの直流方式(50ヘルツ)を採用。その後「直流は古い。交流の方が効率ええで」ということになって、大阪の大勝利!で話が決着するのですが、ここで東京電燈は嫌らしく、なんと明治28年(1895)になって「50ヘルツの交流発電」を始めました。

「直流と交流では負けた。しかし大阪と同じにするのは癪に触る。交流にはするが50ヘルツのままだ!」というわけです。こういう非効率な送電を推し進めた国家は日本だけやそうです。この東京電燈の後進が、ご存知、東京電力。原発事故でなぜ東日本が電力不足に陥って、西日本はお構いなしに賄えるか?というと、こういう歴史的経緯があります。

最初から東京電燈が素直に「60ヘルツの交流発電」にしておけば、現在のような原発事故が起こっても関西、西日本から電力を回すことができたはずなんです。今後、東日本が電力不足で「やはり東西の周波数を揃えよう」という話になったときは「大阪方式の60ヘルツに」と言いたいですな。つまらない意地を張って、今日の災厄を招いているのは東京電燈(東京電力)の責任ですから。


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生者と死者を時間的に繋ぐ場

2011 年 5 月 2 日 Comments off

大阪駅は元は梅田墓(うめだばか)。大阪でも由緒ある墓地でした。大阪駅に来た人に、そういう「風土」をちゃんと話するべきだとぼくは思ってるんですが。大阪駅は、大阪とか東京といった空間的なつなぎの場だけではなく、生者と死者を時間的に繋ぐ場であるべきなんです。そういうことが、これからのまちづくり、くにづくり、ひとづくりに最も大切なことです。


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富田林市・寺内町の新名物!「里庭カフェ」プロデュースの「寺内マフィン」

2011 年 5 月 2 日 Comments off



淀屋橋odonaの前を歩いていたら谷町空庭プロジェクトの空庭さんと遭遇。「なにしてますのん?」と聞くとマルシェ・ジャポン・プロジェクトの「大阪マルシェほんまもん」に出店しているそうで、いま人気急上昇で絶賛売り出し中という「寺内マフィン」を買いました。

富田林市の寺内町にある「みりんの醸造蔵」を活かしてできた店舗「里庭カフェ」のプロデュースで、地元の素材を使い、膨張剤などを加えずに、石窯独特のやわらかい熱で焼き上げているとか。米粉100%で、季節の果物や野菜が入ってました。空庭さん曰く「新しい富田林・寺内町名物スイーツにしたい」とのこと。美味しかったです。オススメ!


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「都市遊歩者』(フラヌール)こそは真実の「エラン・ビタール」(生の躍動)を知る。

2011 年 5 月 1 日 Comments off

ふと南船場の事務所から堺の実家まで歩いたらどうなるか?駅でいうと心斎橋駅から新金岡駅まで。夜9時出発で、約3時間ぐらいでつきました。距離でいうと15キロ。昔でいえば約4里です。

限定化された、均質的で、受動的な都市空間を逍遥しながらも、ぼくの意識はどこまでも純粋持続していく。自由意志の発露。ベルクソン的『時間と自由』の体感です。「都市遊歩者』(フラヌール)こそは真実の「エラン・ビタール」(生の躍動)を知る。

おかげで、いま、筋肉痛ですが。あいたたた(笑)


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神戸市兵庫区 「雪御所町」の誇り~かつて兵庫県は日本の首都だった!?~

2011 年 5 月 1 日 Comments off



かつて兵庫県は日本の首都でした。1180年に平清盛が京都の平安京から兵庫の福原京に遷都。神戸市兵庫区にある「雪御所町」はちゃんと御所があったことの名残です。じつに美しい町名。いまもまちの人の誇りです。

ちなみに平安京を「千年王都」とコピーするのは間違いで、あいだにわずか半年ですが福原京遷都の時代(福原時代。笑)がありますから、正確には「四百年王都」の前期平安京(794〜1180)と、「七百年王都」の後期平安京(1180〜1868)となります。京都人は福原京をなかったことにしようとしてる。けしからん!・・・これ、ぼくがいうてるんちゃいますよ。福原の人らが、そういうて怒ってはりました(笑)

また、もし清盛の福原京が成功していたら、まさしく日本の歴史が回天する一大偉業(平清盛の夢のあと~荒田八幡神社:福原遷都八百年記念碑~)でした。いまこそ、ちゃんと福原京遷都の歴史を伝えましょう。


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「小さい政府<大きい民間」路線による景気回復

2011 年 4 月 30 日 Comments off

公務員の人件費を下げる。それは必要なことかも知れませんが、公務員も消費経済を担ってますから、給料が減るとデフレが推進します。そこで大切なことは民間の消費マインドを向上させること。それには最低賃金のアップが有効です。つまり民間の給料を上げる。公務員の仕事を民間に委託することで失業者を雇用するというのも手でしょう。

ところが民間の給料をあげると、今度は会社の経費(人件費)が嵩んで困ります。だから法人税の減税を実施する。しかし減税するとなると、国家予算がなくなります。だからまた公務員の人件費を下げる・・・こうやって「公務員削減」「最低賃金アップ」「法人減税」の3点セットを繰り返すことで、「小さい政府<大きい民間」によって景気を刺激して回復させる。

もちろん景気が好転して民間が潤えば、やがて税収もあがり、政府(官僚・公務員)も潤っていきます。ただ順番としては政府に税収が廻ってくるのは一番最後になります。まず民間。次に企業。政府は後回し。しかし政府が自分たちの利益を一番最後にするだけで、それを世間の人は「善政」と呼んで褒め称えます。いまは身内(政府・官僚)を最優先して、次に企業、最後に民間がようやく掬い上げられる。こういう構造は民間からいうと「悪政」と罵られる。

ただたんに公務員の人件費を下げたって、デフレになるだけで、まったく効果がなく。ちゃんと明確なビジョン(小さい政府<大きい民間路線)をもって、色々と畳み掛けてほしいです。

国家公務員給与、1割引き下げ方針…復興財源に
政府は30日、国家公務員給与を1割前後引き下げる方針を固めた。東日本大震災の復興財源確保の一環で、実現すれば約3000億円の人件費削減となる。5月の連休明けにも公務員労働組合に提示し、交渉を始める。政府は、関連する給与法改正法案などを今の通常国会に提出する方針だ。人事院勧告を経ずに給与改定が行われれば、1948年の人事院発足以来初めてとなる。

引き下げについて、枝野官房長官は30日午前の記者会見で、「具体的な引き下げ内容を政府内で検討している」と述べた。政府内では、引き下げ幅について、若手職員の削減幅を小さくし、その分、幹部職員の下げ幅を厚くする案が有力となっている。ただし、若手の給与が幹部職員の分を上回らないようにする。このため、総人件費の削減幅は最終的に1割に達しない可能性もある。
(2011年4月30日13時36分 読売新聞)


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大阪あそ歩まち遊びプログラム 昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~

2011 年 4 月 29 日 Comments off


大阪あそ歩まち遊びプログラム「昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~」で立ち寄った、阿倍野の老舗ビリヤード場「保名倶楽部」にて。

昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~
まちおこし企画「どっぷり昭和町」の会場で昔懐かしい遊びを楽しみます。保名倶楽部では(南大阪で一番古いビリヤードのお店)、ここでは千代さんの長男でいらっしゃる放送作家の南川泰三さんからお話をうかがいます。名物せんべい屋さんでの試食、そして最後は国登録文化財の寺西家でしっとりと優雅な奧田真祐美さんのシャンソン。「昭和」を満喫できる盛りだくさんのまち遊びです。


この日は小説『玉撞き屋の千代さん』(ホーム社発行・集英社発売)の原作者で放送作家の南川泰三さんにもご登場いただいて、たっぷりと千代さんのお話や、昭和の思い出話などをお聞かせいただき、参加者のみなさんも大喜びでした。南川さん、本当に、ありがとうございました!


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