1、桃谷駅
かつて上町台地の東には河内湖が広がり、大陸との交易船が行き交いました。また江戸時代から明治時代にかけては見事な桃畑が続いて「桃山」「桃谷」と呼ばれたことが駅名の由来です。当初は桃山駅でしたが明治38年に伏見桃山駅と混同されるので現駅名に改称しました。桃は中国原産の舶来植物ですが、はるかなるユーラシア大陸の息吹を感じる地名・桃谷から「大阪あそ歩」がスタート!
2、桃谷商店街
JR桃谷駅から疎開道路(太平洋戦争時、爆撃の延焼を防ぐために建物を疎開させて出来た道路)までの商店街。創業50年以上を誇るイカ焼き発祥の店・桃谷いかやき屋など、下町風情の商店街として親しまれています。途中で南北に交差する猫間川筋は、猫間川を暗渠化したもので、猫間川は「高麗川が訛ったもの」という説があります。
3、つるのはし跡
日本書紀の仁徳天皇14年の条に「猪甘津に橋わたす。すなわちその処を号けて小橋という」(為橋於猪甘津即号其処曰小橋也)の記述があって、これが文献上、日本最古の橋です。湿地帯の河内湖にはよくツルが飛来したので、いつしか「つるのはし」と呼ばれました。猪飼野村明細帳(江戸時代)には「全長20間(36.4メートル)幅7尺5寸(2.3メートル)の板橋」という記録がありますが、大正12年(1923)に新平野川が開削され、昭和15年(1940)に旧平野川は埋め立てられて廃橋となりました。「しのぶれど 人はそれぞと 御津の浦に 渡り初めにし ゐかい津の橋」という小野小町の歌が残っています。
4、猪飼野保存会館
もとは猪飼野若中会と称していましたが、昭和48年に住居表示施行によって猪飼野の地名が消滅するので、由緒ある地名や史跡、地車などの文化を伝承することを目的に現名に改称されました。平野川に架けられている猪飼野新橋や市バスの猪飼野橋停留所などには、まだ地名は残っています。
5、平野街道道標
「右 八尾 久宝寺 信貴山」「左 大阪」「慶応二年丙寅二月建之 鐘講」と刻まれているので幕末動乱期の1866年建立とわかります。「信貴山の毘沙門天は寅の年・寅の月・寅の日に出現する」という伝承がありますが、世の中が騒然としていた「丙寅」の年に道標が建てられたのは、そういう時代背景や信仰の影響が感じられます。
6、木村権右衛門家屋敷跡・ご神木
「猪飼野から生駒山まで他人の土地を踏まずに行けた」という伝説で知られる大富豪・木村権右衛門の邸宅跡です。戯作者・太田南畝(蜀山人)の大阪見物記「葦の若葉」(享和元年・1801年刊)にも「橋(つるのはし)の向かいに屋高く作れる家見ゆ。何がしの守の御苑にやと問うに、権右衛門といえる農夫の家なるよし。素封の類なるべし」と記載されています。現在は駐車場ですが、樹齢400年の椎の木のご神木と、立派な石灯籠、庭石が残されています。木村家は木村重成(大坂夏の陣で討死。享年23歳)の姉婿である猪飼野左馬助の子孫で、ご神木は重成公お手植えという伝承もあります。
7、大東邸
猪飼野村の旧家で笠屋儀兵衛と称した大東家のお屋敷。猪飼野村の旧家は引っ越しなどでほとんどが解体されてしまったので、この屋敷のみが猪飼野村の面影を偲ばせる唯一の貴重な存在です。とくに土蔵の外壁材は古い船板を使った風格のあるもので見物です。大東邸の北向かいも木村姓の旧家でしたが立ち退いて、桃谷南公園になっています。
8、鶴栖山 安泉寺
鶴栖山(鶴の栖む山)という曰くありげな山号の浄土真宗大谷派の寺院で猪飼野村の総氏寺です。創建年代は不詳(江戸時代初期?)ですが代々のご住職の苗字は「猪甘」といいます。大正14年(1925)に本堂を改築して太鼓楼を廃して、現在の竜宮城を思わせる立派な鐘楼門が建立されました。第18代木村権右衛門(源尚敏氏)が独力で寄進したもので、いまでも大晦日になると、参拝者はこの鐘楼門の除夜の鐘をついて、猪飼野に年の暮れを告げます。
9、御幸森天神宮
いまから1600年ほど前に第16代仁徳天皇が、たびたび鷹狩で行幸なさったので「御幸の森」と呼ばれました。仁徳天皇の崩御後、西暦406年に猪飼野の人々が天皇のご神霊を奉ったことが神社のはじまりで、境内東側に遙拝所(仁徳天皇腰掛石)があります。「敬神愛国・家運長久」の標柱(大正3年建立)は第17代木村権右衛門(源強義氏)の寄進で、安泉寺の鐘楼門を寄進した18代は強義氏の長子です。面白いのが神馬像右手の「さし石」(ゆうに70キロを超えます)で、豊作祈願に村の若者が持ち上げて力比べをしたり、また石をさし上げると「一人前の男になった」証明で、一種の通過儀礼が行われました。古きよき猪飼野村の光景が目に浮かびます。本殿や拝殿は国の登録有形文化財。樹齢700年を超えるムクの木も市の指定保存樹林です。
10、御幸通商店街
日本最大のコリアタウン。キムチやチジミなど定番の韓国グルメや、色鮮やかなチマ・チョゴリの専門店、豚足や豚頭も並ぶ精肉店など、約120もの店舗があって、3分の2が在日コリアンが経営するお店です。大正11年(1922)に築港~済州島に定期連絡船「君が代丸」が就航したことがきっかけで済州島出身者が多く、店先に韓国の伝統帽子・モジャをかぶる済州島の守り神・トルハルバン(石製の爺さんを意味する済州島の方言)を置く店もあります。
11、班家食工房
韓国文化を五感で感じる体験型パビリオン。観光客のための無料休憩スペースがあるほか、食材や韓国雑貨のおみやげコーナーや、李朝時代、17世紀頃の韓国を再現したチマチョゴリの展示、試着(有料)が可能です。またキムチ手作り体験(要予約)やハングルを学ぶ一日体験講座、韓国舞踊、テコンドーなどの文化教室など、多種多彩なイベントを行っています。(お問合せ:06-6718-1100)
12、猪飼野新橋
昭和62年3月に平野川改修時に架け替えられ、「猪飼野の由緒を伝えよう」と、親柱は仁徳天皇に因んで前方後円墳の形に、欄干の支柱は曲玉を模したユニークなデザインとなっています。14個の丸い金属板には「為橋於猪甘津号其処曰小橋也」と日本書紀の一節が記されています。
13、流れる千年(韓国伝統文化博物館)
2007年11月にオープンした韓茶カフェ。1階は朝鮮王朝時代の民具などが置かれた博物館や、美しい韓国雑貨などを販売するコーナー。2階では韓茶&韓スイーツ、韓流プレートランチのほか、料理研究家、洪貞淑(ホンジョンスク)さんが約1000年前の高麗王朝時代から続く伝統酒の醸造法を本場・韓国で学んで、約2年の歳月をかけて完成したという幻の天然韓酒「四香酒」(サヒャンジュ)などが楽しめます。(お問合せ:06-6716-7111)
14、弥栄神社
文禄年間(1592~96年)に出雲の熊野坐神社(現在の松江市・熊野大社)より勧請されました。社殿は熊野大社の原寸を計って、それを縮尺して建設した大社造です。長く牛頭天王社として素戔嗚尊が祀られましたが、明治43年(1910)に旧・岡村の御館神社(現・弥栄神社お旅所 ご祭神・仁徳天皇)が合祀されて二柱となりました。御館神社は仁徳天皇の御弓場(的殿)の跡地と伝えられています。
15、鶴橋本通商店街・鶴橋卸売市場・高麗市場など
焼肉店が非常に多く、夜には美味しそうな焼肉の匂いと煙が充満しますが「鶴橋駅周辺のにぎわい」として環境省の「かおり風景100選」に選ばれています。民族衣装や雑貨、小物などを扱う店舗も多数見られて、エキゾチックな雰囲気ですが「大阪あそ歩」で心地よい運動のあとは、美味しいアジアン・グルメに舌鼓して、海外旅行気分を味わって帰りましょう!
京都・宇治名物の中村藤吉本店にて。
http://www.tokichi.jp/
抹茶パフェって、なんでこんなに美味しいんでしょうかね。やみつきです。
1、神ノ木駅
かつて住吉の地が海岸地帯であったころに、大きな古松があり「神の木」(現在は消失)として崇められていたことから駅名になりました。駅近くには神ノ木地蔵さんがいます。ここから「大阪あそ歩」がスタート!
2、六道の辻 閻魔地蔵
道が1本増えて「七道の辻(?)」になっていますが、昔は6本道の交差点だったので、今でも「六道の辻」と呼ばれています。仏教の輪廻転生の教えでは、人が死ぬと生前の行いを閻魔王に審査されて、六道(地獄・餓鬼・畜生・人間・修羅・仏界)のどこかに生まれ変わります。地獄に落ちたさいに唯一、救済してくれる仏さまが地蔵菩薩ですが、地蔵菩薩は、じつは閻魔王の化身という説があります。閻魔地蔵は、そうした考え方が反映された珍しいお地蔵さんで、その昔、難波の浜辺から運ばれて、六道の辻に来たさいに、急に重くなって一歩も進めなくなったので当地に安置されました。戦国時代の天文7年(1538)の銘が刻まれて、恐ろしい閻魔大王の姿をしていますが、心は優しい地蔵菩薩として地域住民に崇められています。とくに本堂の後ろに回って壁を撫でながらお願いごとをすると霊験あらたかとか。
3、生根神社
住吉大社より古くから当地に鎮座していたという伝承があります。ご祭神は少彦名命で、現在の本殿(大阪府指定重要文化財)は淀殿の寄進で造営されました。境内社の天満宮の菅公の木製御神像は、文明14年(1482)、天台法主・融円律師の作で国宝級の価値を有しています。菅公像は時代を経るにつれて、怒りの表情から笑顔に変わる傾向がありますが、木製御神像は無表情で、過渡期にあることがわかります。また本殿東側にある穴のあいた石=神明穴立石は少彦名命が海外に行ったさいの浜の石を運んで「何首鳥」(漢方薬、強精剤の名前)と刻んで霊石として崇めたものです。和歌浦より一夜で住吉浜までやってきた…という伝説などもあります。現在は穴の位置は東西を向いていて、伊勢神宮を遥拝できるように立てられています。
4、一運寺
推古21年(613年)に聖徳太子が建立して、最澄、空海、法然などもご説法なさったという住吉きっての名刹です。境内には赤穂浪士の大石良雄・主税の親子と寺坂吉右衛門のお墓があって、これは赤穂浪士を資金面で援助した大坂商人・天野屋利兵衛の子孫が建てたものです。利兵衛は討ち入り用の槍を堺の職人に製作依頼しましたが、職人たちはふって沸いたような臨時収入に住吉の料亭・三文字屋で豪遊しました。このとき運悪く隣座敷に町奉行の与力衆がいたことで「なぜ槍の製作を依頼したのか?」と怪しまれてしまい、利兵衛は捕縛されて拷問されます。しかし義理堅い利兵衛は「天野屋利兵衛は男でござる!」と啖呵を斬って吉良邸討ち入りが終わるまで決して口を割りませんでした。ちなみに捕り物劇の舞台となった料亭・三文字屋は、現在では奇しくも住吉警察署となっています。
5、宝泉寺 十三仏
天元5年(982)に「往生要集」で有名な源信上人によって開基された融通念仏宗の寺院です。石仏の十三仏は元亀年間(1570-73)に、旧住吉村字石本(神ノ木駅付近)にあった巨石をもとに刻んだもので、釈迦如来以外の十二仏は「干支のお守り本尊」として信仰されています。薬師如来、弥勒菩薩、地蔵菩薩の3体は他の石仏に比べて小さく、「石工が計算違いをした?」という説もあって親しみがわきます。また「幽霊の片袖」伝説の発祥地で、元和3年(1617)に、箱根山を歩いていた巡礼者の前に、住吉大社の禰宜・山上松太夫の妻の幽霊が現れて、宝泉寺の道和上人に回向を頼みました。その証拠に「幽霊の片袖」を手渡したのですが、山上松太夫は宝泉寺の檀家で、道和上人は融通念仏宗総本山・大念仏寺の法主となっていたので、現在は大念仏寺の宝物殿に幽霊の片袖と香合が残っています。正式に鑑定したところ、間違いなく、江戸時代初期の片袖という結果も出ています。
6、熊野街道石碑
京都から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)までの約300キロにも及ぶ参詣道で、その一部はユネスコの世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。平安時代中期から熊野三山が阿弥陀信仰の聖地として信仰を集めるようになり、907年に宇多上皇が参詣すると皇族、女院の参詣(熊野御幸)や貴族の参詣が相次ぎ、とくに鳥羽上皇は21回、後鳥羽上皇は28回、後白河上皇に至っては32回も熊野に参詣しています。室町時代以降は、皇族や貴族に代わって武士や庶民の参詣が盛んになり「蟻の熊野詣」と言われるほどの賑わいの街道となりました。
7、池田屋本舗
大阪府下唯一の手作り味噌のお店です。400年以上前の元禄年間に酒造業として創業しましたが、明治初期に味噌作りを始めました。明治、大正、昭和天皇にも献上された「住之江味噌」は住吉名物として有名です。熊野街道と住吉街道の四つ角にあって、表の屋根には住吉大社の高灯籠が置かれています。1892(明治25年)の建築ですが、白壁の虫篭窓など昔ながらの風情を伝える商家で、国指定登録有形文化財になっています。
8、住吉大社
創建211年。日本全国にある住吉神社の総本社で、海神の住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と神功皇后を祀っています。住吉造の本殿は国宝指定で、遣隋使や遣唐使は、大陸への航海に出発するさいは、必ず住吉大社に参詣しました。住吉津は、日本最古の国際港でもあり、シルクロードの日本の玄関口でした。おとぎ話の「一寸法師」は、子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参って子供を出産し、その子供が住吉津から大阪湾、淀川、京にのぼって、武士になるために鬼退治をするという設定です。また名所として知られる反橋(太鼓橋)は、慶長年間に淀殿が寄進したもので、長さ約20m、幅約5.8mの木造桁橋です。朱色の優美なシルエットが美しく、大阪府出身でノーベル文学賞を受賞した川端康成の自伝的小説「反橋」(1948年発表)では、「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです。私は母に抱かれておりました」という名文句によって回顧されています。
9、粉浜商店街
大正8年に粉浜の米屋さん7名が店舗を構えたことが粉浜商店街のはじまりです。住吉大社の門前市として発達して、現在では350メートルの商店街に120店舗もの店が並んでいます。3、4代続く老舗も多く、豆腐やこんにゃく、うどん、おかきなどの専門店などは住吉名物として、遠方からやってくる多くの参詣客から親しまれています。月初めには商売繁盛、家内安全を願うイベント「はったつ市」を主催しています。住吉大社参詣のおみやげ処としてオススメです。
京都は伏見稲荷の取材中に発見しました。
「中国料理 陸奥」!!?
関西圏では陸奥という名前は非常に珍しいんですよ。東北の地名ですしね。入ってみようと思ったら、残念ながら閉店しておりました。むう。どんな味だったんだろうか・・・。
住吉名物・やろくの玉子コロッケ。創業1935年という老舗の洋食屋さんです。ペシャメルソースに、エビ、タマネギ、ハムが入っていて、ジャガイモの代わりにゆで卵を使っています。
美味い。至福。オススメです。
大阪にも地酒があります。そのうちのひとつが河内長野市にある天野酒(西條蔵)さん。西條蔵さんの創醸は享保三年(西暦1718年)という老舗です。
http://www.amanosake.com/
天野酒は金剛寺で作られた「僧房酒」で、古文献には「天野之古味尤も妙味」(相国寺禅僧・陰涼軒真蘂)などと記載されています。いつの時代からあったのか定かではありませんが永享四年(1432)に、後花園天皇の実父・伏見宮貞成の日記「看聞御記」にはすでに記録されているそうです。楠木正成や、信長、秀吉、家康などが愛飲して絶賛した銘酒です。「酒粕アイスクリーム」は、その天野酒の大吟醸粕を使用しているという贅沢な逸品。ほんのりと酒粕の風味がして、さっぱりとした甘さが素晴らしい。
こういう蔵が残っていることは大阪の誇りです。
※店データ
「天野酒」 西條合資会社
所在地 大阪府河内長野市長野町十二丁目十八番
電話番号 0721-55-1101
FAX番号 0721-56-1101
Eメール staff@amanosake.com
韓国の伝統酒「百歳酒」。うまいです。これは驚きました。
http://www.bekseju.co.jp/
韓国のお酒では「マッコリ」なんかも大好きなんですがコリアは酒が美味しい国なんでしょうか。キムチの激辛さには参りますが、お酒は甘くて美味しいです。
飲んだのは、延辺料理屋の「故郷羊肉串店」さん。「延辺」 というのはあまり聞きなれない言葉ですが北朝鮮の国境に程近い中国・吉林省東部に「延辺朝鮮自治州」という地域があるそうでそこの料理のことをいいます。羊肉といえばジンギスカンのイメージが強いのですが、こちらでは串にして食べます。これまた絶品。
「アジアン大阪」を堪能した夜でした。
※店データ
「故郷羊肉串店」
住所 大阪府大阪市中央区島之内2-17-20
Tel 06-6214-5548
定休日 年中無休
http://www.sakaisujiclub.com/
ロケハンでいってきました。贅沢なランチでした。さすが船場です。
※お店データ
542-0081 大阪市中央区南船場1-15-12
tel 06-6265-8000
昭和27年創業。住吉大社近くにある銘菓・喜久寿さんのどら焼きです。地元の人なら誰でも知ってる住吉大社名物です。
http://www18.ocn.ne.jp/~kikuju/
熊野街道、紀州街道が通る住吉大社界隈は、いろんな老舗があって、隠れたグルメスポットだったりします。旧街道沿いって、ひっそりと隠れた名店が多いです。
※お店データ
〒558-0051 大阪市住吉区東粉浜3-28-12
TEL 06-6671-4517 FAX 06-6671-7444
営業時間 午前9時~午後7時
不定休
堺にある知る人ぞ知るのインド料理屋。インド人シェフが腕をふるう本格派カリーでオススメです。
※店データ
〒590-0077 大阪府堺市堺区中瓦町2-3-2 児山ビルB1
アクセス 南海高野線堺東駅 徒歩2分
TEL 072-232-5022
営業時間
11:00~15:00(L.O.14:30)
17:00~23:00(L.O.22:30)