緒方洪庵は医者でした。洪庵が経営した適塾は医学塾でしたが、洪庵は当時珍しい蘭学医者でもあったので語学塾としての傾向も強くありました。語学や言葉を学ぶことは西洋思想そのものに触れることに他なりません。そこから日本陸軍の父ともいわれる大村益次郎、外交官として活躍した大鳥圭介、衛生学の泰斗長与専斎、思想家の福沢諭吉、官僚の花房義質、赤十字を作った佐野常民、手塚治虫の祖父で医師の手塚良庵など、綺羅星の如くの人材が輩出されました。
緒方洪庵と並ぶ幕末の啓蒙家・教育家として名前が上げられることも多い吉田松陰の松下村塾の運営はわずか3年の短さでしたが、適塾は26年間も続きました。また松下村塾はほとんどが長州藩出身者でしたが、適塾は北海道から九州まで、広く門下生が集まっていました。その数は3000人を越えるといいますから、単純に計算すれば、年間100名以上の門人を受け入れて育成したことになります。数もさることながら、活躍した分野、地域の多彩なことも特筆すべきことで、まさに百花繚乱。圧巻です。
適塾のみならず、適塾以前から大坂は私塾の集積地でした。懐徳堂、絲漢堂、先事館、思々斎塾、洗心洞、真空館、青山社など。これはすべてが町民、町衆が資金を出し合った民間塾で独立独歩で運営していた。日本全国に「藩校」というのはありましたが、この手の「私塾」の集積は大坂が随一でした。
藩校と私塾では学問の分野や方向性、ベクトルが違います。藩校で勉強するのは儒学(その多くは朱子学。稀に陽明学)であって、しかし大坂の私塾は儒学もあれば蘭学、医学、漢学、天文学、和算など、ごった煮のグチャグチャでした。各自が各自のやり方で、自由闊達に、やりたい放題やっていた。有名な懐徳堂なんかは世間から「鵺学」と揶揄されたほどで、鵺というのは妖怪で、顔は猿、胴体は狸、手足は虎で尾は蛇。要するに「キメラ」(合成獣)なんですが、懐徳堂が蘭学、医学、漢学、天文学、和算などゴッタ煮で、意味わからん学問をやっていたので「あそこは鵺学や」と呼ばれたんですな。藩校ではこんなことは先ずありえません。しかしそのおかげで鵺学の懐徳堂から、哲学の根源理論を看破した加上論の富永仲基や、宇宙モデルを説いた唯物論者の山片蟠桃(旧ソ連の科学アカデミーからマルクスの先駆者として高く評価されました)といった学者が登場してくるわけです。既存の学問体系の枠組を越えた大天才たち。
江戸時代の大坂は、まず間違いなく、日本最大の学問都市で、文教都市でした。来年は緒方洪庵生誕200年記念ですが、この知の系譜はもっと深く省みる必要があると思っています。
銀座・ルパンにいって、空いてる席に座ったら、そこが「安吾席」でした。マスターに教えてもらって気づきました。
記念に目の前のランプを撮影。上の安吾の写真と見比べてみて下さい。ランプの形状が一緒でしょ?(笑) 偶然ですが、嬉しかったなぁ。
記紀神話の中では、「三貴子」として、アマテラス、スサノオと比肩する偉大な神なのに、まったく無為の存在として描かれているのがツクヨミ。それを捉えて、日本人の心性を解き明かそうとしたのが河合隼雄氏の名著「中空構造日本の深層」。
「中空が空であることは、善悪、正邪の判断を相対化する。統合を行うためには、統合に必要な原理や力を必要とし、絶対化された中心は、相容れぬものを周辺部に追いやってしまうのである。空を中心とするとき、統合するものを決定すべき、決定的な戦いを避けることができる。それは対立するものの共存を許すモデルである。」
「わが国が常に外来文化を取り入れ、時にはそれを中心においたかのごとく思わせながら、時がうつるにつれそれは日本化され、中央から離れていく。しかもそれは消え去るのではなく、他の多くのものと適切にバランスを取りながら、中心の空性を浮かびあがらせるために存在している。」
セイゴー氏は「いささか性急な思いつきでは?」と諫めていたりもしますが、こうした思いつき、直感的な提言というのはぼくは嫌いではありません。ときにインスピレーションは万巻の書物よりも真理を照射します。
ツクヨミは伊勢・内宮別院、外宮別院、京都・松尾大社などに祭られていますが、総本社は壱岐の月讀神社。じつは来週ですが、とある仕事で壱岐に行くことになりまして。いろいろと壱岐の名所を巡るのですが、ぼくが最も気になっているものの1つが、この壱岐の月読神社なんですわ。
中空構造の神は、果たして壱岐においても中空的存在であるのかどうか? 壱岐島民にとって非常にリアルな、実存的な神として信仰されているのであれば、いつ、ツクヨミは記紀神話の体系に組み込まれて、奇妙な中空的存在となったのか?
日本人の心の深層が形成される過程や経緯を解き明かすカギが、壱岐の月読神社にはあるのかも知れません。
夜8時。堺の新金岡駅から自宅に向かって歩いていると、地面を丸い半透明の物体がころころと転がってきて、「なんやこのカプセルみたいのは?」と思っていたら、風もないのに、ふっと地面から浮き上がりまして。
「え?シャボン玉!?」
と思って、よく見てみると、しかし、どう見てもシャボン玉ではなくて、「半透明の丸い物体」とでしかいえないもの。地上1メートルぐらいのところを、ふわふわと漂いながら、ぼくの横を通り過ぎて、去っていきました。
…なんや、あれ?
自分でいうのも何ですが、ぼくは理知的な男で、こういうオカルト的なものは信じません。信じないけど、よくこういう現象には遭遇したりします。面倒なんで、いつもは記録したりしないんですが(こういうことばっか言ってると変な男だと思われるので)まぁ、たまには記録しておきます。
ちなみに昨夜は一滴も飲んでませんよ(笑)
式内社(名神大)。出雲国一宮。官幣大社。勅祭社。別表神社の出雲大社に正式参拝させていただきました。写真は古代神殿心御柱。
天神祭・船渡御にて。
銀橋です。ライトアップされてキレイでした。大川の数ある橋の中でも人気があります。ぼくも好きな橋です。
銀橋の下をくぐりぬける瞬間です。船の上から手をふると、橋の上の観客も手をふってくれます。祭、神事の最中なんですが、喜びを分かち合おうとする、こういう垣根のなさが大阪的な良さですなぁ。
銀橋の下。ただの鉄骨ですが、なかなか見ることができませんよ(笑) 船に乗っていると、ゆっくり進んでいるように思うんですが、実際はかなりのスピードが出ています。EOS30DのISO1600でも被写体がぶれました。
いずみ苑の泉さんと中島さん、河内國一宮・枚岡神社の中東宮司さま、脳科学者の茂木健一郎さん、俳人の黛まどかさん、料理研究家・エッセイストの海豪うるるさんといった、錚々たる方々とご一緒に、天神祭の船渡御にご参加させていただきました。
素晴らしい夜でした。写真は船に乗り込む前。
大阪あそ歩の最新情報です。地下鉄御堂筋線であそ歩という夏休み企画を実施します。子供と一緒になって遊べるクイズ企画です。プレゼントも当たるので、ぜひともチャレンジしてみてください。
【地下鉄御堂筋線であそ歩】
大阪あそ歩の夏休み特別企画は、地下鉄御堂筋線に乗って、歩いて、クイズの答えを見つけるお楽しみ企画です。更に、クイズの回答を大阪あそ歩事務局に送れば、全問正解の方の中から抽選でステキなプレゼントがもらえちゃいます!ご案内役は噺家の林家卯三郎さん。卯三郎さんの語りをよ~く聞きながら、まち歩きとクイズを楽しんでください。簡単なクイズなのでご家族でもどうぞ! 全問正解の方の中から抽選でステキな商品が当たる!
クイズはこちら!
■プレゼントはこちら!■
1等 (3名様) シャープのプラズマクラスターイオン発生機「IG-A100」
2等 (10名様) 大阪水上バスアクアライナー区間乗船券
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3等 (10名様) 大阪あそ歩オリジナルグッズA賞
4等 (20名様) 大阪あそ歩オリジナルグッズB賞
5等 (30名様) 大阪あそ歩09秋無料参加券(1枚で2名まで参加)
【プレゼント応募概要】
官製はがきまたはメールにてご応募下さい。ご応募の際は、①お名前②年齢③性別④ご住所④お電話番号⑤メールアドレス(お持ちの場合)⑥クイズの答え:駅名と答え をご記入の上、下記大阪あそ歩事務局までお送り下さい。
大阪あそ歩事務局
■メールアドレス info-osaka-asobo@octb.jp
■〒542-0081大阪市中央区南船場4-4-21りそな船場ビル5階
財団法人大阪観光コンベンション協会内
大阪あそ歩事務局 御堂筋線であそ歩 係
■実施期間:2009年8月31日(月)まで
■応募締切:2009年9月7日(月)必着
■ 当選発表について
当選者の発表は景品の発送を持ってかえさせていただきます。(9月中旬発送予定)
■ ご注意事項
・ 商品の発送は、応募時に記入いただいた送付先氏名、住所宛にお送りします。
・ 商品の発送後、宛先住所不明などで返送された場合は、当選の権利は無効となります。
・ 本キャンペーンのお申込みに係る権利は、第三者への譲渡はできませんのでご了承ください。
「1930年代の日本は工場労働者の勤続年数が短く、労働力の横転率(同じ職種で会社を変る率)の高い社会であった。ところが、戦後の改革と高度成長がすべてを変えた。中でも重要なのは終身雇用と年功賃金体系の定着である。」 平成12年度・国民生活白書。
終身雇用と年功賃金は戦後に完成した日本式経営です。奇妙な時代でした。いまは崩壊していますが。個人的には、人間は自分の仕事に倫理を持つべきであって、資本追求型の会社組織に対して、盲目的な忠誠を誓うのはおかしいと感じています。封建社会ではないのだから。
会社人間ではなく、仕事人間であるべき。そう思ってます。
御霊神社にかつてあった文楽座「御霊文楽座」のことを調べていたら、錦影絵の定席で「尾野席」というのがあったという事実を知りました。調べてみたら、これがまたおもろい。
アニメのルーツ 錦影絵
[owarai]落語と錦影絵の会です
錦影絵で人間国宝になれる!?
どういう風に動くんやろうか?と思っていたら、大阪芸術大学が再現している映像フィルムが公開されてました。ハイカラでんな!池田ゼミに拍手。
アートプロジェクト「錦影絵」池田ゼミ
御霊神社そのものは淡路町にありますが、その北側を東西に走るのが平野町通り。平野町は江戸時代には北組惣会所があって、御霊神社の門前市として栄え、明治末・大正時代には「心ぶら」(心斎橋ぶらぶら)「銀ぶら」(銀座ぶらぶら)に対して「平ぶら」(平野町ぶらぶら)という言葉があったほど賑わいました。明治17年(1884)から大正15年(1926)にあったのが御霊文楽座で、文楽だけではなくて覗きカラクリや錦影絵といった興行で大人気やったそうです。1と6のつく日には夜店も出たそうですが、大正15年に失火のために御霊文楽座が全焼。さらに昭和元年から御堂筋が拡幅されて、幅44メートルという大阪市内を南北に縦断する巨大な幹線道路が出来たことによって、平野町は真っ二つに分断。「平ぶら」という文化も一気に廃れてしまいました。
ちなみに錦影絵に欠かせない幻燈機そのものは、18世紀後半ぐらいに長崎・出島に輸入されて、これを見世物にしたのがやっぱりといいますか、商魂たくましい大坂人やったそうです。1790年に大坂・難破新地で「彩色影絵阿蘭陀細工」という興行を開いて大成功して、これが江戸に伝わって「写し絵」「錦影絵」へと発展していったとか。そういう意味では大坂はアニメーション興行の発祥地といえるかも知れません。なんでもかんでも大阪発祥にするのは、ぼくの悪いクセですが(笑)