鹿児島市。甲突川沿いを歩くと、あちらこちらに歴史案内板がある。NHK大河ドラマの『西郷どん』効果らしい。
近年は川沿いに「維新ふるさと館」というハコモノもできたようで、そこに至る道程に、これでもか!と、どこもかしこも同じような「西郷どん万歳!」「明治維新万歳!」「薩摩藩万歳!」みたいな案内板があるので正直みててイヤになってくるw
史跡案内、石碑とかは、その現場にあるのがいい。あまり縁もゆかりもない川沿いにワンサカと史跡案内板を作られても正直、ピンと来ない。
案内板の中で少し気になったのが薩摩焼の案内。これは僕の曽祖父母に関連する。
曽祖父・陸奥利宗の妻は薩摩藩士で鉄砲師範役の小山田家の娘ヲカ。このヲカにはタカという姉がいた。さすが鉄砲師範役の一族で「鷹」とか「岡」とかなんとなく鉄砲撃ちに関連がありそうな名前で笑う。
それで、じつは、このタカが嫁いだのが薩摩焼の苗代川窯の陶工の鮫島訓石だった。要するに曽祖父・陸奥利宗の義理の兄です。
この鮫島訓石は有名な沈壽官一族(白薩摩系)と並ぶほどの薩摩焼の名手だったそうで、とくに黒薩摩の評価がいまでも高いとか。
また訓石の作品は大阪・新世界で開かれた第5回内国勧業博覧会(1903)に出品されていて「古銅紋彫刻花瓶」などが記録にある。当時の代金は300円。現在の価値でいえば約600万円ぐらい。逸品ですな。
苗代川陶工は秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた朝鮮陶工の一族。司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』の舞台でも有名です。
いまも苗代川には鮫島佐太郎窯(鮫島訓石の弟子筋)が現役で活動しているとか。いっぺん現地に行ってみたいんですが…。今回は行けなかった。市内を歩き回っただけで終了でした。
鹿児島市。示現流史料館。まち歩きしていたら発見してこれは行かねば!と向かうと休館日。無念…。
説明によると、ここは示現流を広めた東郷家の屋敷跡という。
僕の曽祖父の陸奥利宗は大蔵省専売局の書記として鹿児島県出水市、鹿児島市と赴任した。その時代に薩摩藩士・小山田家の娘ヲカと結婚している。
つまり僕の曽祖母は鹿児島の人で、僕には8分の1ほど鹿児島人、薩摩隼人の血が流れていることになる。チェスト!
ヲカの父は小山田休次郎といい、この人は幕末の「七卿落ち事件」のさいに五卿を守るために太宰府・延寿王院に配属された…という文献を読んだことがあります。
ちなみに、この時の公家の随従には、のちの陸援隊・中岡慎太郎がいたので、休次郎もなにかしらの交流があったかも知れない。
そして、その休次郎の養父・小山田真蔵は馬場道與流という鉄砲術の師範役だったという。その弟子に西郷嫌いで有名な市来四郎がいる。
鉄砲術の流祖たる馬場道與なる人物は、あの武田信玄に仕えていた馬場信房(武田四天王。不死身の鬼美濃である。長篠合戦でしんがりを務めて壮絶な戦死)の孫だそうで、おそらくは武田家(馬場家)滅亡後、武芸者として諸国を渡り歩いた…といった人物だと思われる。
名門武家が没落した後によくあるパターンですな。ただ、もしかしたらニセモノで、「自称・馬場信房孫」という可能性もありますがw
この「馬場道與流砲術」はどんなものであるのか?長年、謎だったのですが、いろいろと調べたら『武教綱領要歸鈔』という著書があり、それが馬場道與が書いたものとか。
では、この『武教綱領要歸鈔』はどこでみれるのか?と調べてみたら、なんと岩手県一関市の芦東山記念館に収蔵されているという。国立国会図書館にもない。また岩手いった時に調べないといけない…。
示現流は剣術で、道與流は砲術。刀と鉄砲という違いはあるにしろ、同じ武芸ではあるので、もしかしたら僕の祖先の小山田家の誰かは東郷家と交流があったかも知れない。
去年の11/4早朝が父が倒れた日。まち歩きフォトスゴロクをやる予定だったが白河から急遽、大阪に蜻蛉返りした。福島県立博物館のみなさん、白河エマノンのみなさんにはその節は大変、お世話になりました。深く感謝しています。
父は11/4に倒れて、11/26に旅立ったが、この「生きているのか死んでいるのかよくわからない」状況の父の23日間は、自分の頭というか、精神というか、魂がまったく落ち着かなかった。常に微熱のような、フワフワした、地に足がつかない浮遊感覚。
こんなことをいうと随分と僕は父と仲が良かったように思う人もいるかもしれないが、全くそんなことはなく。15歳の時に僕はもう家を出てバイト三昧で、精神的には家とは断絶していて、正直、僕と父とは生き方も違えば、考え方も違い、趣味も特技も性格もまるであわない。一緒に酒を飲むなんて体験をしたこともない。いや、そもそもまともに面と向かって話をしたことがない。
それぐらい疎遠な、他人のような関係性であったのに、父の危篤と死が僕に与えた衝撃(?)は大きかった。だから世の中の普通の父・息子や、仲良しの父・息子はどれだけ大変であるか。考えてみれば、自分の存在の2分の1の出所がロストするわけで、こういうのは理屈ではなく、身体的に、霊的に、喪失感に襲われ、クルものがある。
古代中国では親が死ぬと3年間は喪に服したという。要するに3年間ぐらいは親の死によって日常生活に支障があるほどの精神変容が起こると考えた方がいい。僕は全くそんなことはないが、ふと涙が止まらないとか、いきなり泣き崩れる人がいても、そういうものだろうと思う。情緒不安定になって当然。
母はちなみにいまだに泣く。すぐ泣く。何かあったら泣く。二言目には「お父さんが生きていたら」といって泣く。まあ、しかし団地住まいでよかったなぁと思うのだが、父が死んでから団地内の「夫に先立たれた独居高齢女性コミュニティ・ネットワーク」(?)に迎えられて、あっちこっちでお茶したりしている。
古い団地は、もう独居の高齢女性だらけです。男の方がやっぱり先に死にますからな。それで父が死んだら、それまで全くお付き合いをしたことがない団地の高齢女性があちらこちらから大挙としてやってきて父の位牌に線香を上げ、それで一気に母の交友関係は広まった。こんときに「お見舞いです」というて、みんな同じ「むか新」の菓子をもってくるから、「むか新」は食べ飽きるぐらい食べました。それで母はみなさんと「仲間」になった。
父がいるうちは「あそこはまだ旦那が生きてるから…」と誰も交流しようとしないんですな。父が死んだら、あっというまに団地コミュニティの「主流派」「多数派」(団地では、もはや独身高齢女性が最大多数です)に飲み込まれてしまった。ある意味、派閥みたいなもんですわ。派閥。
中にはちょっと変な人もいて、初めて母とまともに話をしたのに、いきなり「香典なんぼもうた?」とか聞いてきた高齢女性もいました。うわあw
母はしかし長く霊友会の集いの場を仕切ったりしていたからベシャリがうまい。芸人みたいな切り返しをして、めちゃくちゃ社交的な人間だったりする。最近はその「傾聴力」「対話力」が高く評価されて、聞き役になり、団地の悩み相談係になったりしている。このあいだは「78歳のダンナに浮気された」という高齢女性の相談にのったという。※これがまた本当かどうかよくわからないらしい。なんせ高齢者だから勘違い、思い込み、被害妄想、ボケの可能性が否定できない…。
まあ、しかし団地は高齢男性少ないですから。生き残った高齢男性はモテモテやそうですな。齢70、80にしてモテ期到来。男性諸君、長生きせなあきまへんw
母のボヤキが面白かった。「霊友会やったらどんな悩みも最後は『お題目を一緒に唱えよう』で話が終わったけど団地の人はそれが使えないから困る」
【神奈川県】ニュースパーク(日本新聞博物館)の尾高さんの投稿をシェア!青学、立教大学の学生さんたちが全国130紙でまわしよみ新聞です!
「日本全国各地の地方新聞130紙でまわしよみ新聞ができる!」というのがニュースパークさんの凄いところです。まわしよみ新聞の全国サミットで毎年、ニュースパークさんでまわしよみ新聞をやりますが、毎回、新しい発見が必ずある。
地方独自の知恵や発想や企画が実に興味深い。そういう地方ネタ、地域ネタを丁寧に追いかけている地方新聞は面白いし、刺激的やし、新しいアイデアの宝庫です。地方新聞の時代やなあと本気で思いますな。
仕事とか出張で地方に行くと、ついつい地方新聞を買いますが、これ、オススメです。ほんまに。
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●大学生×全国130紙でまわしよみ新聞@日本新聞博物館
横浜のニュースパーク(日本新聞博物館)の尾高です。明治大学の酒井信准教授が、非常勤出講先の大学生も連れて来館くださり、毎回、まわしよみ新聞体験を指定してくださいます!9月6日は青学社会情報学部、今日11月5日は立教大学文学部の皆さんと。未知のもの(紙の新聞)を体験する時間で感じたことを、いつかどこかで思い出してくれることを祈っています。
久しぶりの陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗は戦前、大蔵省の役人で専売公社にいた。
曽祖父(明治12・1879年生まれ)が24歳の時、明治36年(1903)に赴任したのが鹿児島県出水郡上出水村にあった出水専売支局。
今度、熊本県津奈木町に仕事でいくので、ちょっと出水市にも足を延ばせるかな?(電車で30分ほど)と出水市の郷土資料を調べていたら面白い記述に出会った。なんでも曽祖父の専売公社にいた神山隆文が、はじめて出水地方に自転車を持ち込んだとか。この人は支局長らしいので曽祖父はこの「ハイカラ」な上司の下で働いていたことになるw
また出水は江戸時代より煙草の名産地として知られていたそうで、だから出水に専売公社ができた。天皇陛下が吸う煙草も出水で作られていたとか。煙草職人には名誉なことだが職人に選ばれると家系図、親戚を調べあげられ、斎戒沐浴をして注連縄の結界の中で天皇陛下の煙草を作成したという。
ただ出水では伝統的に「尻敷き」という方法で煙草の葉を伸ばす。これが天皇陛下の吸う煙草だから「不敬罪」という話になった。大豆の袋で押し付けたりしたが、うまいこといかない。試行錯誤した結果、結局「尻敷き」が復活することになった。しかし専売公社から煙草職人たちに厳しいお達しがでた。「絶対に放屁してはならない」。そのためにわざわざ警察官が巡回したという。
ウソみたいな話やが、出水の郷土資料にちゃんとそのように書いてあるw 曽祖父・利宗は出水の専売公社で一体、どんな仕事をしていたのか?と思っていたが、なかなか愉快な現場やのう…。
大阪の老舗喫茶では時折「エンゼル」と「キューピッド」を見かける。キューピッドは「カルピス+コーラ」。エンゼルは「カルピス+ミルク」。
おそらく「カルピス+ミルク」は森永の何かしらの商品(森永コーラス、森永ミルク、森永アイス、森永ヨーグルトなど)をイメージさせるような「甘さ」があり、森永といえば天使(エンゼル)マークなので、そこから「エンゼル」と呼ばれるようになったのではないか?と推測。
その後、カルピス+コーラがでてきたさいに白(カルピス)+黒(コーラ)の混合で、エンゼル(白)だけどイタズラ好き(黒)な存在として、それで「キューピッド」が命名されたのでないか?と推測します。
以上、陸奥説です。知らんけど。
まわしよみ新聞サミットin九州にて。今回のサミットでは事例紹介ということで北海道新聞さんの夜活まわしよみ新聞についてオンラインですが小林さんにご登壇頂きました。
過去5年間(2016年〜2021年)の実績は計42回開催で延べ参加人数は1014人、参加した企業・団体は110社を超えるとか。
参加者は20〜30代のビジネスパーソンで「異業種交流」が目的のひとつで、要するに「NIBまわしよみ新聞」となっています。
普段はあまり新聞を読まない、読んだことがないという世代だと思われますが、まわしよみ新聞をすると場は大いに盛り上がるし、いろんな交流が始まり、ビジネスマッチングで新規企画が立ち上がったり、「うちにこないか?」と引き抜き、スカウトなどもあるとか。
またサミットの中では言及はなかったですが僕は小林さんからは若い男女の出会いの場にもなっていて交際に発展したり、結婚したカップルも何組かいると聞いてますw
残念ながらコロナでここ2年間ぐらいはまともに活動できていないとのことですが、ぼちぼち再開しつつあるそうで今月には実施されるとか。ご興味ある方はぜひとも小林さんにご連絡ください。
個人的には、まわしよみ新聞のNIBの理想型が北海道新聞さんの夜活まわしよみ新聞ではないか?と思っています。願わくば日本全国の新聞社、自治体、企業のみなさんにこの取り組みを知ってもらって、NIBまわしよみ新聞をやってみて欲しいものです。
「知らんけど」という言葉が広まっているらしいが、これは誤解を生みやすい。大阪人の使う「知らんけど」は大阪の商い文化が背景にある。
江戸時代、大阪は日本最大の商都であった。時代によって多少の変動はあるが、都市人口は江戸100万都市、京30万都市、大坂30万都市といわれる。ただ人口の構成者の比率が違う。
江戸100万都市のうち半数が武士であったという。京は武士は少ないがお公家さんがようさんいる。大坂は武士も公家もいなかった。大坂30万都市のうち武士は(これまた時代によって変動するが。幕末は多い。薩摩・長州が不穏な動きをするようになり、どんどんと幕府の武士が増えていった。家茂、慶喜も大坂城に入城した)最も少ない時期では1500名ほどしかいなかったという。
人口30万都市で武士は1500名ということは比率でいえば0.5%。大坂人が100人集まっても武士は1人もいない。200人集まればようやく武士が1人いる…というぐらい武士という存在が稀な状況。
これは非常に特殊な状況で、江戸時代は日本全国に300藩あったといわれるが、大体、どこの地方にも藩があり、藩主がいて、藩士がいる。武士がいる。
しかし大阪は天領(幕府直轄地)で藩がない。藩主がいない。藩士もいない。大坂の都市運営、地方政治は武士ではなくて町衆の自治に任せていた。
そんな人口構成で出来ていた都市は日本の中で大坂以外にない。大坂は町人だらけ、商人だらけ、市井人だらけの都市であった。最も猥雑で、けったいな奴が多くて、意味不明な輩が多いまちw
そういう存在(他者)に慣れているし、受け止める優しさ、度量のようなものが大阪にはある。いまだにそうした都市の性格、気風、文化は根強い。一一、例は挙げないが、あちらこちらに見受けられる。
武士の権力、公家の権威がなかった稀有な町衆の都市。しかし商人は商人で、世の中を渡っていくための思想や哲学が必要であるし、独特の世界観、美学が涵養されていく。それが「粋」の文化、「粋」のマインドとなる。
「粋」は江戸では「イキ」と読むが、大坂では「スイ」と読む。江戸のイキの文化は、わかりやすくいえば「意気」であり、「己を貫く」というマインド(これはやはり武士由来のものだろう)が強いが、大坂の「スイ」は「推し量る」の意味で、これは「推理」に繋がる。
他人がいま何を考えて、どう行動し、何を必要としているか?を常に推理し、推し量り、それを先回りすることが大阪人には必須の能力となる。
これは、結局、商売人というのがそういうもんなんですな。いま必要なもの(ニーズ)を提供し、その要望にお答えするのは当然として、その次その次を考えていかないと商売は成立しない。生き残れない。
なんせ町人、市井の人というのは常に胡乱な存在ですから、流行とか、雰囲気とか、時代精神とか、風潮とか、移り気で、ブームで、コロコロとニーズが変わっていく。権力や権威のようなわかりやすい筋道がない。
目の前の人を見て、その人がいま何を欲していて、次に何が必要か?まで勝手に、いつのまにか、考える訓練が染みついている。推理して行動する能力が求められているし、大阪人は、そういう部分が、地方の人からみたら怖いぐらいに、恐ろしいぐらいに発達している。長けている。
さらに大阪人が凄いのは、その他者の行動心理を推理して、その欲しているところを、押しつけがましくなく提供するという高度すぎる技をもっているところ。要するに相手の行動を読むとはサトリ、サトラレではないですが、そんな妖怪、策謀家、権謀家みたいな人間と一緒にいては怖いのでw
だから大阪人は、相手のことを推理し、ニーズを推察するけれど、そんなことを毎回していると怖がられるので、それを中和するテクニックも最後に付け足しのように発動させる。それが「知らんけど」です。
相手と話をしているうちに、聞いている側は勝手に相手の状況を推察し、推理し、こういうことやろ、こうしたらええねんと先回りして、おせっかいを述べてしまい、そのおせっかいさの気持ち悪さのようなものも知っているので、結局、最終的に、どう行動するかはキミの自由なんやけど、でも、とりあえずワイはこう考えるけど、まぁ、あんたの好きなようにしーや…という非常に複雑な心理の動き、メビウスの輪のような言葉の綾が「知らんけど」になります。
超超高度な商売人テクニックが発露したのが「知らんけど」です。これをですね。そういう文化的な背景がない関東の人や地方の方が聞くと「単なる無責任発言」で一蹴されかねない。「武士に二言はない」みたいな人が使うとえらいことになります。
「知らんけど」が全国で使われるようになってるそうですが、また「大阪人の悪しき言語文化」として断罪されるんやないか?と、正直、危惧しております。知らんけど。
【熊本県】11/19、11/20と津奈木町でまち歩きフォトスゴロク、まわしよみ新聞・広報誌バージョンを実施します!^^
まち歩きフォトスゴロクは九州初上陸!
会津の福島県立博物館の企画で生まれ、中通りの白河市で完成し、浜通りのいわき市で揉まれた写真遊び+まち歩きツールです。ぜひともご参加してください~!^^
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町の人と外の人が交流しながら、足下を学ぶ 熊本県津奈木町の、津奈木型ツーリズム実践ツアーのラインナップが調いました。
11月にはなんと、大阪から陸奥賢さんもやってくる!しかもまち歩きフォトすごろく九州初上陸です!そうよ、まわし読み新聞ならぬ、まわし読み広報つなぎもやるんです!こちらは追って詳細をお届けします。
FBご覧の方、チラシのQRコードからフォームに飛んでお申し込みください。(役場への電話でもよいです)複数回参加される場合は、すみませんが、申込フォームを個別(ツアーごとに)送信くださいませ。
大阪には地方新聞がない(発行部数が少ない)問題。
戦前、大阪から誕生した新聞(朝日、毎日、産経)はみな東京に拠点を移して「中央新聞(中央紙)」になってしまった。
一応、地方新聞として位置づけられている新聞として大阪日日新聞があるが、日日さんは確かに頑張ってはりますが(僕の友人にも日日の記者さんがいます)発行部数は1万部もなく、本社は鳥取の新日本海新聞だったりする。
だから大阪日日新聞を読んでいると、やたらと鳥取、山陰の企業の広告などが多くて、それはそれで僕などは興味深いが、大阪の地方新聞の力不足を感じて悲哀でもある。
地方にいくと地方新聞がローカルなネタをちゃんと取材、発信して新規のコミュニティ・ビジネスやその担い手、若手、新人のインキュベーターのような役割を果たしている。地方新聞に載ると、それなりに地方に顔が知られて支援者、応援者がでてきたりする。ネットワークとして機能している。
なによりも地方政治に物申す存在として地方新聞の影響力は無視できない。例えば大阪の隣の京都には京都新聞35万部、神戸には神戸新聞41万部という大メディアがあり、それが議員や議会の不正や疑惑を追及する。地方新聞が見ているから緊張感もある。
大阪は地方新聞がないわりに映像メディア…テレビ、在阪メディアの影響力が非常に大きい。大きいが映像メディアというのは基本的に「煽情的なメディア」であり、ロゴス(論理)よりもパトス(情緒)に最も働きかけて訴えかけてくる。
新聞は「書き言葉(エクリチュール)」であるがゆえに、そこには一貫とした論理性が求められる。テレビ(映像メディア)は「話し言葉(パロール)」であるがゆえに、その話者のパーソナリティ、キャラクター、声量、声質、声色、タイミング、雰囲気で、いくらでも番組を制することができる。
テレビ(映像メディア)という煽情的メディアでは話の論理性や整合性などは二の次、三の次になってしまい、だから物申すテレビ・タレントの多くは、いってることがメチャクチャではあるが、場を制する技術、テクニックは非常に長けている。
新聞はアナログだから紙として残るし、ストックのメディアで、貯まっていくし、検証もできる。じっくりと考える素材となる。テレビはフローなメディアで、流れていくもので、じっくり物事を考えるには適していません。「いいっぱなし」で終わってしまう。
また大阪のテレビ局は日本のテレビ局の中でも一種、特殊な存在で「ローカル局(地方局)」でもないし「キー局(東京)」でもなくて「準キー局(大阪)」と呼ばれている。
要するに資本関係は東京(キー局)に牛耳られているが、大阪独自の番組を作る予算や実力がそれなりに認められている。だから大阪発信の大阪テレビ番組というのが地方、ローカルに比べると格段に多い(それもどんどんと予算を削られて厳しくなっていますが…)
大阪の地方政治が、どうも「非論理的」で「煽情的」であるのは大阪に有力な地方新聞がないこと。それでいて在阪メディアは多くて、やたらとお茶の間に浸透している…という二重のメディア構造の問題と、その影響が大きい。
大阪政治の特殊性というか、維新一強が東京や地方の方には疑問、不思議、謎に思われるらしいが、それもごもっともで東京や地方にいては、この「地方新聞の無力+在阪メディアの影響力」という大阪特有のメディア構造がよくわからない。
メディアこそが民主主義の要で、そこが歪んでいると、自然と政治も歪むということです。
ちなみに、この大阪特有のメディア構造が問題だなと僕が気づいたのは2010年頃、大阪あそ歩プロデューサー時代のことで。当時、大阪日日新聞さんで毎週、あそ歩の150コースのまち歩きマップを紹介する連載を持ち、その時に日日さんに発行部数を聞いて、そのあまりの発行部数の少なさに愕然としたんですな。
それで自分たちで、大阪発信の、新しい地方新聞、メディアを作ることができないか?と考えて陸奥賢が生み出したメディア遊びがまわしよみ新聞だったりします。
まわしよみ新聞が生まれる背景には、こういう問題意識もありました。ポッと出たように見えて(ポッと出たんですがw)、そこに至るまでには、いろんな問題意識、狙い、思考が錯綜して、まわしよみ新聞というのは生まれてます。