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蕃書調所

2023 年 3 月 17 日

なぜ神田、神保町が古書のまちになったのか?が不明で。大学が多かったからという話ではあるが、では、なぜ大学が多かったのか?という謎が生まれ、しかしリサーチしていくと幕末、1855年に九段下に西洋の書物を研究する「蕃書調所」が作られたというのが鍵ではないか?と思い至る。

この蕃書調所は明治初期に九段下から神田一橋に移転し、蕃書調所→洋書調所→開成所→東京大学と繋がっていく。要するに我が国の大学の発祥が神田、神保町界隈ということになるらしい。

ではなぜ蕃書調所が九段下に?というのは当時の図書頭が旗本の竹本正雅(1825〜1868)で、その屋敷地であったので、そこに作られたらしい。この竹本正雅はのちに外国奉行を務めて生麦事件の幕府側の交渉人にもなったとか。

要するに蕃書調所が九段下にできたのは偶然。たまたまではありますが、それが現在の神田、神保町の古書のまちに繋がっているのかも知れない。数奇なる歴史!


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