■浄土宗 如意珠應山 極楽院 大蓮寺 年表
天平15年(743) 『大阪府全誌』記載の大蓮寺寺伝によると行基が諸国行脚のさいに当地(三津寺あたり?)を訪れて小庵を結び、これが大蓮寺の起こりとある
昌泰4年・延喜元年(901) 菅原道真が大宰府左遷のさいに小庵に立ち寄って祈願したという(大阪府全誌)
天文19年(1550) 小庵は見る影もなく荒廃していたが、時の将軍・足利義晴の三男坊・晴誉上人によって足利家の大坂祈願所として創建された(大阪府全誌)。往時は東西5町、南北4町の大伽藍で塔頭8ヶ寺、直末175ヶ寺を有したが兵火によって全焼したという
文禄年中(1592~1596) 『摂陽奇観』によれば「堺より大坂にきた黄蓮社顯誉魯道泰純上人(應蓮社顯誉魯道心純の間違いか?)により開基する」とある。その頃は三津寺辺りにあり、その後、家康の命令で西横堀に移ったという。※大阪府全誌では慶長6年(1601)開基で5世顯誉魯道上人が家康に出願して中興し、その後、徳川家の祈願所となったとある
慶長19年(1614) 大蓮寺3代目住職・誓誉在慶の隠棲所として應典院が建立される
寛永9年(1632) 丸屋善太郎・五郎八兄弟が総高・6尺8寸7分=約208㎝の大鐘を寄進する。大蓮寺より西に延びる通りを「釣鐘筋(鐘筋)」といい、のちに高津新地(天明4年・1784~明治5年・1872廃絶)が出来て賑わった。明治36年(1903)に四天王寺が世界最大の鐘「頌徳鐘」を作るまでは大阪市内最大の梵鐘であったが惜しくも戦時供出で無くなった
延宝3年(1675) 『難波名所 蘆分船』に大蓮寺掲載
延宝6年(1678) 『難波雀』にて「大坂三十三観音霊場」として大蓮寺観音堂の記載
天和元年(1681) 「粥釜七ツ本堂の庭にならべて施行せし」とある(摂陽奇観)
元禄16年(1703) 近松門左衛門の『曽根崎心中』の観音巡礼の場にて大蓮寺が登場
正徳2年(1712) 「大蓮寺前にて鷺傳右衛門の勧進狂言」とある(摂陽奇観)
正徳3年(1713) 北条団水(井原西鶴の弟子)作の『日本新永代蔵』に堺の豪商・鵙屋宗安と婿・秋甫が大蓮寺にて粥釜七つの施行をしたというエピソードが記載される
延享4年(1747) 『浪花寺社巡』に「大阪十二薬師」として大蓮寺薬師堂の記載
宝暦11年(1761) 筑後・善導寺の仏像が開帳される(摂陽奇観)
天明9年(1772) 『大坂寺社順拝記』にて「金毘羅十か所」として應典院金毘羅堂の記載
寛政10年(1798) 『摂津名所図会』に大蓮寺掲載。絵図では門前に大道芸人が集まっている
文政4年(1821) 当代一の歌舞伎役者・初代嵐璃寛が亡くなり、遺品展を開催(摂陽奇観)
文政7年(1824) 美作国・誕生寺の仏像が出開帳される(摂陽奇観)
文政13年(1830) 大和・壺阪寺(南法華寺)の仏像が出開帳される(摂陽奇観)
天保13年(1842) 京・清水寺(北法華寺)から御本尊の千手観音(現在は33年に1度の御開帳の秘仏。2000年に御開帳し、次は2033年予定)が出開帳される
安政2年(1855) 『摂津名所図会大成』に「下寺町彼岸詣」の絵図。残念ながら未完成
明治29年(1896) 天王寺中学校(現・天王寺高校)が開校する。豊田貞次郎(1885~1961/海軍大将・外務大臣・軍需大臣・日本製鐵社長)などが大蓮寺校舎時代に学んでいる
明治36年(1903)以降 心学明誠舎講師の岡本孝道死去し、大蓮寺に心学の祖・石田梅岩、心学明誠舎の名づけ親・手島堵庵、岡本孝道の供養碑が建立される
明治42年(1909) 大坂を代表する寺子屋「龍雲堂」の根来誠斎の頌徳碑が建立される
明治45年(1912) ミナミの大火で境内の一部が焼失する
大正2年(1913) 大蓮寺25世・秋田貫瑞、『宗教界』にて『佛教藝術に就て』を寄稿
大正6年(1917) 大蓮寺26世・秋田貫融、台南學堂(現・南英高等専門学校)を設立し、校長となる
大正10年(1921) 藤永田造船労働争議(賀川豊彦、西尾末広らが参加していた)の報告集会の会場となる。藤永田造船以外の労働者にもストを呼び掛けるビラが配布され、熱狂した労働者によって大阪史上初の連帯ストが実施された
大正14年(1925) 当代随一の女義太夫・豊竹呂昇が引退し、記念碑が建立される
昭和8年(1933) 谷崎潤一郎の『春琴抄』にて大蓮寺がモデルと思われる寺(鵙屋春琴と佐助の墓がある)が登場する
昭和13年(1938) 『浄土宗寺院名鑑』に「大蓮寺・秋田貫融」「應典院・萬順雄」の記載
昭和20年(1945)3月13日未明、大阪大空襲によって大蓮寺、應典院共に全焼する
昭和28年(1953) パドマ幼稚園を開園(初代園長は第27世秋田嘉郎)
昭和32年(1957) 第28世秋田光茂住職が大蓮寺本堂を再建
平成9年(1997) 第29世秋田光彦住職(当時はまだ副住職)が中心となり、應典院を再建
平成14年(2002) 生前個人墓「自然(じねん)」を建墓
平成31年(2019) お寺の終活センター「ともいき堂」を建設
大蓮寺さんのサイトでもレポートがでました。先だって大蓮寺生前個人墓「自然」の会員さま向けの「夏の集い」にて「大蓮寺の歴史」についてミニ講義をしました。
改めて大蓮寺の歴史を調べていると資料がいろいろと見つかりまして…。まずひっくり返ったのが大蓮寺には「行基開基」という寺伝があったことw
天平15年(743)に行基菩薩が諸国行脚のさいに立ち寄った小庵が大蓮寺の始まりとか。その後、菅原道真公も訪れて、中世以降は荒廃していたのを足利将軍家の大坂祈願所として再興したという話が『大阪府全誌』(大正11年・1923刊行)に掲載されておりました。
あくまで「寺伝」の類で資料的な裏付けはないのでしょうが、『大阪府全誌』の著者・井上正雄氏は当時の大蓮寺住職・第25世秋田貫瑞師、第26世秋田貫融師に取材して記事を書いていると推測され、少なくとも貫瑞師、貫融師は大蓮寺縁起について上記のような認識でいた…ということだろうと思います。
ぶっちゃけると結局「寺伝」なんて資料的な裏付けとかはないものでしてw 「いうたもん勝ち」なところはありますが、それでも「そういう寺伝がある」というのは、それはそれで蔑ろにはしてはいけない寺院の文化、誇り、矜持であるとも思います。
だから「2043年」は「大蓮寺開基1300年大祭」でして。これは大いにお祝いせないかんのではないか?と思いますなw 大変やなあ。1300年祭て…。
その他にもいろいろと大蓮寺の歴史に関しては発見がいくつもあり、目下、継続してリサーチ中です。大蓮寺ほどの名刹、古刹となりますとエピソードといいますか物語が尽きない。凄いお寺です。ほんまに。びっくりしました…。
————————————
■大蓮寺:「自然」夏のつどいを開催しました。
https://www.dairenji.com/?post_type=informations&p=4703
去る8月21日、大蓮寺生前個人墓「自然」の会員を対象とした「自然・夏の集い」が今年も開催、約40名の参加がありました。今年のゲスト講師は、観光家である陸奥賢さんをお招きし、「大蓮寺の歴史」についてお話していただきました。下寺町の北詰めに位置し、繁華街と寺院との境目である大蓮寺は、文教や賑わいの拠点として長くその姿を守っています。最も遡れば、奈良時代からの縁もあったり、菅原道真が立ち寄ったという史実も残っているそうです。そのほかにも多くの新発見も目白押しで、気づきの多い時間となりました(資料写真参考)。
講演の後は、合同供養会を本堂と自然の墓前にて開催しました。
暑いなかでしたが、多くのご参詣をありがとうございました。
最近、GAFAでもアナログの価値、アナログ的発想が見直されているとか。いわんとすることはわからないでもない。
まわしよみ新聞をやると若者、学生さんたちの反応は頗る良い。生まれた時からデジタルなものに囲まれていた彼らは新聞遊び=アナログな遊びが新鮮な体験となるらしい。
「アナログは万能である」とは到底いえない。しかし「デジタルは(まだまだ)万能ではない」とはいえる。デジタルとアナログを併用すること。ハイブリッドであれとは常々思う。
週に1回、月に1回でもまわしよみ新聞をやってみる。それだけで随分と世界観の広がり方は変わるんやないかな?
https://www.amazon.co.jp/dp/4772695621
■祝!!!まわしよみ新聞創刊10周年記念イベント~それは應典院コモンズフェスタから産まれた!~
https://www.facebook.com/events/438572938221587
まわしよみ新聞は2012年9月29日に創刊されました。應典院コモンズフェスタ用の企画として始まり、あまりに大反響であったためにオープンソースのメディア遊び、新聞遊び=コモンズ・デザイン・プロジェクトとして展開されました。
当初は新聞関係者に注目されましたが、やがて教育、まちづくり、福祉業界などでも使われだし、三省堂高校国語教科書に採用されたり、読売教育賞を受賞したり、『まわしよみ新聞をつくろう!』のガイドブックが発刊されたり、あっという間に日本全国に広まっていきました。
今年は記念すべき創刊10周年目ということで、まわしよみ新聞誕生の地である應典院で記念イベントを開催したいと思います。
第1部(2時間)は参加者のみなさんと一緒にまわしよみ新聞を作成します。第2部(2時間)はゲストを呼んでまわしよみ新聞10周年を振り返りたいと思います。
平日夜ですし、正直、それほど参加者がくるとも思いませんw ゆるゆるとやりたいと思います。お祝いで駆けつけてくると嬉しいです!w
■開催日時:2022年9月29日(木)18時
第1部:まわしよみ新聞(18~20時予定)
第2部:トーク「まわしよみ新聞10年を振り返る」(20時~22時予定)
※1部だけ参加、2部だけ参加、途中参加、途中退場も可です。
■開催場所:應典院
大阪市天王寺区下寺町1-1-27
https://www.outenin.com/
https://www.outenin.com/outenin/access/
https://goo.gl/maps/pmFTgd4e3pSPYe1q6
■参加費:カンパ(お祝いしてください!)
■持ち物:まわしよみたい新聞
■定員:20名
■進行:陸奥賢
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。1978年大阪生まれ。堺育ち。中卒。2007年に堺のコミュニティ・ツーリズム企画で地域活性化ビジネスプランSAKAI賞受賞(主催・堺商工会議所)。2008年~2013年まで大阪あそ歩(2012年に観光庁長官表彰受賞)プロデューサー。大阪七墓巡り復活プロジェクト、まわしよみ新聞(読売教育賞最優秀賞受賞)、直観讀みブックマーカー、当事者研究スゴロク、歌垣風呂(京都文化ベンチャーコンペティション企業賞受賞)、劇札、仏笑い、北船場将棋、フォトスゴロク、死生観光トランプなどを手掛ける。大阪まち歩き大学学長。著書に『まわしよみ新聞をつくろう!』(創元社)
【兵庫県】尼崎ピッコロシアターさんにて。本田さんとやった「まわしよみ新聞+演劇ワークショップ」で作成したまわしよみ新聞が展示されました!ありがとうございます~^^
https://twitter.com/piccolo_theater/status/1556997080664928256
注目 ピッコロ実技教室「まわしよみ新聞&演劇~壁新聞を演じてみる」で作成した壁新聞。劇場1階エントランスホールに掲示しました~
#ピッコロシアター