大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡博物館。
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡博物館。まち歩きの基本はミュージアムから。
佐渡博物館はさすがの充実でした。通い詰めたいw
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡博物館。まち歩きの基本はミュージアムから。
佐渡博物館はさすがの充実でした。通い詰めたいw
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。史跡の里。真野。
砂金とり体験のゴールドパークが気になりましたが、また今度にします。
佐渡島はなんせ広い…。854.8 km²もある。大阪市(223 km²)よりも淡路島(592.2 km²)よりも東京23区(627.6 km²)よりも琵琶湖(670.4 km²)よりも京都市(827.8 km²)よりも広い。つーか大阪市、小さすぎるやろ。
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡歴史伝説館。
真野御陵近くにあるのがこちらの私設ミュージアム。1973年開館とのことで時代ですなあ。これぞ「ディスカバー・ジャパン!」「美しい日本と私」!
順徳天皇、日蓮、世阿弥といった「佐渡三大流人」(?)をはじめ、佐渡ゆかりの歴史的人物の等身大ロボットが語りかけてくるが館内は暗いし、ロボットの動きも不気味で小さいお子さんならギャン泣きトラウマ間違いなし。獅子は我が子を千尋の谷に落とすぐらいのつもりで是非とも訪れてほしい。
かつて、こちらの土産販売コーナーで働いていたのが北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんの夫のチャールズ・ジェンキンスさんでした。残念ながら2017年に他界しております。お会いしたかったですな。
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。真野御陵。順徳天皇火葬塚。
日本史上初めて天皇家(後鳥羽上皇、順徳天皇)との争いに勝利した民間人(武士)が北条家(北条政子、北条義時)。俗にいう「承久の乱」であるが武家政権がついに公家政権を打ち倒した歴史的な画期であった。
負けて佐渡まで遠島されて順徳天皇には申し訳ないが、しかし、こうして地方政権の鎌倉幕府が中央政権を打ち倒したことで日本は封建社会に突入して地方分権が進んだ。地方が力を持つことで地方文化が花開き、繁栄し、日本列島全体の文化レベルの底上げに繋がった。
明治維新はまた古代律令国家体制以来の中央集権システムで東京一極集中が進み、そのメタボ化で日本全国が機能不全、動脈硬化、脳卒中を起こしかけている。
もう一度、地方分権に舵を切るためにも「第二の承久の乱」的な歴史的画期が必要では?と思うし、早く誰かやったらいいのに〜(他人任せ)
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡銘石。赤石玉。真野観光センターの展示即売場にて。
佐渡島は大昔に海底火山の噴火や地震によって海底が隆起して2つの山(北に大佐渡、南に小佐渡)が形成され、それらが繋がって現在の佐渡島が出来上がった。マグマや地殻変動によって地中の貴金属が吹き上げられ、それが佐渡金山となる。
我が国は世界有数の地震大国であるが、それがゆえに鉱山資源が豊富な国でもあった。温泉も沸くし、地震や津波は最悪ですが、だからでこその恩恵もいろいろとある。
赤玉石の最高級品は、かつては金よりも貴重な名石として知られ、秀吉や徳川家といった権力者に献上されてきたらしい。赤は魔除けの色なので、破魔、厄除、招福の神石として人気であったとか。いまでも佐渡の旧家の庭石に使われたりしているそうで、実際に僕は佐渡を歩き回ったが、あちらこちらの旧家に赤玉石が置かれているのを見た。
明治30年代に佐渡が大水害に見舞われたが、このときに土の中から大量の赤玉石が出現したとか。大水害でボロボロだった集落は、その赤玉石を売却し、そのおかげで村の復興がなされたという。
天災、地震や津波は不幸なことですが「そのおかげで温泉が湧いた」とか「土壌が豊かになった」(運ばれてきた土砂にはいろんなミネラルが含まれている)といった民話や伝承が日本全国あちらこちらにある。「宝石、貴金属が露出して潤った」は珍しいが佐渡らしいエピソードといえる。
災い転じて福と成す。神計らいというべきか。まさに捨てる神あれば拾う神あり。
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡國一宮。度津神社。
度津と書いて「わたつ」。「わた」は「海」の古語。おそらくは海神(わたつみ)が訛って「わたつ」になったと思われる。佐渡島は島ですから一宮が海神を祀る宮であるのは当然といえる。
ただ御祭神は興味深いことに五十猛尊(イソタケル)とか。イザナギ、イザナミの孫、スサノオの子で、航海の神でもあるが基本的には林業の神として祀られる。いろんな樹木の種子を天界から齎し、スサノオと一緒に新羅に渡りますが風土が合わない。日本に土の船で渡って(だから航海の神でもある)、あちらこちらに植林を行い、それで日本国中を緑豊かな風土にした。
上方では林業の盛んな和歌山で有名で、あちらこちらに祀られている神さまというイメージだが、佐渡島一宮の御祭神なのは色々と気になるお話。
ただ佐渡といえば金山だが金の精錬には当然、大量の薪、木炭が必要となる。豊かな森林資源があるから金山経営も成立する。佐渡島、金山の繁栄は植林の神・五十猛尊のおかげともいえる。
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。草刈神社。
草刈神社は佐渡國一宮の度津神社の直ぐ近くにある。かつてはこの辺りに草刈村という村があり、その氏神であったらしい。江戸時代には「八王子牛頭天王」「祇園羽茂神社」と呼ばれていたと説明書きに書かれてあった。
この神社で有名なのが6月15日の羽茂まつりで奉納される「鬼舞つぶろさし」(県の無形民俗文化財)とか。
「つぶろ」とは夕顔(細長いウリ)の中をくり抜き、そこに種子を入れたもので、これをヒョットコ面をかぶった男性が股間にあてて振り回し、オカメ面をかぶった「ささらすり」(女性役)のおかげ(?)で種子をばら撒く…という実にわかりやすく子孫繁栄、五穀豊穣を祈願する性の祭礼です。ググったらいっぱい画像、動画が出てきますw
なんでも文禄時代(1592〜1595)に榊原藤七という人物が京都の祇園祭で習得して持ち帰ったそうで、しかし現在の京都の祇園祭には「つぶろさし」なんて影の形もない。ぜひとも先祖帰り、祖国凱旋で京都のまちなかで「つぶろさし」をやって欲しいなあ。
茅葺の能舞台もあって、これも素晴らしい。佐渡島は世阿弥が流された。その影響もあってか、あちらこちらの集落に、いまだに能舞台がある。陸続きの本州とは違って島はどうしても新しい文化、文明の伝播は遅い。なかなか入ってこない。能楽という「ニューメディア」がいまだに佐渡島では現役で世阿弥の息吹が感じられる。これもまた凄い。
草刈神社の拝殿の裏には夫婦和合を意味する連理の木もあった。榊は佐渡島では自生しないという。榊は神道の儀式には欠かせない。御神木として植えられたものが育ったということか?
この連理の木や「つぶろさし」の祭礼もあるので草刈神社は縁結びの神さまとして信仰をあつめているという。そんな神社であるが能舞台では「道成寺」をやるらしく、ちゃんと釣鐘の舞台装置がついているらしいw
夫婦和合の「連理の木」と元祖ストーカー殺人事件の「安珍と清姫」。なかなか皮肉というかカウンターが効いていてよろしい。
大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡汽船カレー。イカのスパイスキーマカレー。
お土産としてフェリーで売られていたが、これ、レトルトでカレールーだけの販売。肝心要の「佐渡島(ご飯)」は自分で作らないといけない。
逆にいうと自分で「佐渡島(ご飯)」を作れば、別にどんなレトルトのカレーでもOKではないか?という疑問が生まれてくる…。
本日は比叡山へ。
去年の春、父から突然「比叡山に行きたいから連れて行ってほしい」といわれた。父はあまり宗教的なことに興味関心がない人間だから、こういう要望は珍しい。「なんで比叡山に?」と思いつつも連れていくと約束していた。今にして思うと父なりに何か死期を悟る…というようなことがあったのかも知れない。
しかしコロナの影響や僕の仕事の都合もあって予定がなかなか決められず、結局、11月23日に比叡山に行くことになった。レンタカーの予約もして父も楽しみにしていたが、その直前の11月5日に父は倒れて意識不明の重体に。比叡山に行く予定の11月23日は病院で迎えて、その3日後の11月26日に父は往生した。
父の葬儀、四十九日法要も無事に終え、しかし納骨式は春先まで伸ばした。なんせ比叡山の冬は寒い。春になるのを待って「比叡山に連れていく」という父との約束を果たそうと考えた。それで4月2日の今日、父の遺骨を抱えながら比叡山をお参りした。
ええ天気でよかった。次は納骨式。