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今回で13回目となる「クリエイティブ・ツーリズム大阪」。「継続は力なり」で、今回のツアーで大阪市内だけで50ヵ所以上のクリエイティブ拠点を巡ることになります。過去のアーカイブを見てみると、魚屋、お寺、活版印刷所、お化け屋敷、立ち飲み屋とバラエティ感が恐ろしいww すごい情報の蓄積になってきました。やっぱり大阪のまち、人、物、事、場はおもろい!次回の靱ツアーも文句なしにおもろいです。ぜひともこの機会にご参加を~!^^
■8/24(土)午後2時30分より「第13回クリエイティブ・ツーリズム大阪~靱ツアー編~」開催します!
http://www.facebook.com/events/153022961559833/
ツアー訪問先:4か所 安田画廊&はこべ塩歯磨本舗さん、アートアンドクラフト、靱鰹節店、ハローライフ
■7/20(土)10時より「第5回クリエイティブ・ツーリズム大阪~阿倍野ツアー編~」開催します!
http://www.facebook.com/events/587480554608758/
ツアー訪問先:4か所 縁活事務所、あべのハルカス街ステーション、わのわカフェ、昭和町ヒミツキチ
■6月9日(日)14時より「第4回クリエイティブ・ツーリズム 住ノ江編」
https://www.facebook.com/events/464738266936275/
ツアー訪問先:3か所 奥田鮮魚店、アンリュウリコーダーギャラリー、セルフ屋敷
■5月19日(日)14時より「第3回クリエイティブ・ツーリズム 都島編」
https://www.facebook.com/events/526651994042486/
ツアー訪問先:3か所 桜ノ宮活版倉庫、cafe&Bar「ば」、都島.com
■4月20日(土)14時「第2回クリエイティブ・ツーリズム 玉造編」
https://www.facebook.com/events/488497871197571/
ツアー訪問先:3か所 傍房、百年長屋、シカトキノコ
■3月2日(土)14時「第1回クリエイティブ・ツーリズム 中津編」
https://www.facebook.com/events/383811565047824/
ツアー訪問先:5か所 中津芸術文化村ピエロハーバー、オレンジキュービック空夢箱、シカク、アトリエ空白、輪音511
●12月1日(土)18時【1‰OSAKA CREATIVE TOUR ナンバ編】ツアー訪問先:4カ所 A.I.R.1963、映像発信てれれ、salon 夕顔楼(味園ビル)、立呑みギャラリー新聞女
●12月1日(土)10時【1‰OSAKA CREATIVE TOUR ミナミ編】ツアー訪問先:4カ所 インフォショップ・カフェ「ココルーム」、新・福寿荘ほか(Breaker Project)、市場ギャラリー、ピカスペース
●11月25日(日)18時【1‰OSAKA CREATIVE TOUR タニマチ編】ツアー訪問先:3か所 コワーキングスペース往来、浄土宗大連寺塔頭應典院、谷町空庭
●11月25日(日)10時【1‰OSAKA CREATIVE TOUR キタ編】ツアー訪問先:5か所 iTohen、イロリムラ、珈琲舎・書肆アラビク、サロン・ド・アマント天人、花音-hanane t-shirt living
●11月24日(土)18時【1‰OSAKA CREATIVE TOUR ニシ編】ツアー訪問先:6か所 OTON△RI、黒目画廊、此花メヂア、梅香堂、宮本マンション、モトタバコヤ
●11月24日(土)10時【1‰OSAKA CREATIVE TOUR ヒガシ編】ツアー訪問先:4カ所 Carpediem(カルペディエム)、♭(フラット)、町家再生複合施設燈-あかり-、Re:緑橋
●11月23日(金)10時【1‰OSAKA CREATIVE TOUR ベイエリア編】ツアー訪問先:5か所 AIR大阪、ク・ビレ邸、芸術中心◉カナリヤ条約、Co.to.hana、コーポ北加賀屋
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今日は「應典院コモンズフェスタ2014」の第1回企画会議。ありがたいことに去年に引き続いて今年も企画委員として携わることになりました。去年は「如是我聞」「まわしよみ新聞」「葬食」「117から311へ」などを企画。去年はコモンズということを重要視しましたが、今年は應典院という「場(トポス)の力」を引き出すような企画をやってみたいなぁと思ってます。
■應典院コモンズフェスタ2013
http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?content_id=682
「大阪七墓巡り復活プロジェクト2013」の8月15日の「七墓巡礼」のハイライトはこの瞬間でした。正午ちょうどに真田山陸軍墓地で8000名を超える英霊たちと一緒に聞いた「玉音放送」。
国内法としても、国際法としても、8月15日は終戦記念日ではないんです。この日は、ただ、玉音放送が流れただけ。
8月14日に「明日、重大なラジオ放送がある」ということは国民に告げられていたらしく、それを聞いて覚悟した人が大勢いたそうです。「もし天皇陛下が死のうといったら喜んで死のう」と。連日連夜の空襲で、都市が灰燼と化し、敗北必須の状況にあって、生き延びることを考えなかった夏。
ラジオというのは電波です。目に見えない。それは霊波にも似ている。そして日本人の祖霊は盆のときに帰ります。なぜ8月15日に玉音放送が流されたのか?ぼくはこの玉音放送は、生者のみではなく、目に見えない存在=死者にも向けられた放送だったと思ってます。だから、日本は終戦を迎えることができたと。
■8/15(木)8時よりJR福島駅より【大阪七墓巡り2013~真田山・陸軍墓地で玉音放送を聴き、釜ヶ崎夏祭りの慰霊祭で祈る~】
http://www.facebook.com/events/172394669609419
「大阪七墓巡り復活プロジェクト2013」の葭原墓地編で使用したレジュメ。七墓巡りの資料として公開しておきます。
■8/13(火)18時よりcafé EARTHにて【大阪七墓巡り復活プロジェクト2013 七夜連続一墓巡り ⑤葭原編】「北夙川不可止伯爵のレクイエム歌會」と葭原まち歩き
http://www.facebook.com/events/238355509622577/
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【沖向地蔵は知っている。「おしてるや」の夕陽と海を】
~大阪七墓巡り復活プロジェクト 葭原墓地のゲニウス・ロキ(地霊)を語る~
●葭原墓地は上町台地の北端に位置する。
古代、上町台地は海に囲まれていた。やがて河川の土砂が堆積し、それが砂州となり、島地となり、湿地帯となり、葭原(葦原・吉原・蘆原・芦原)となった。それは浪花の男と女の別れと再会の能楽『芦刈』の原風景にもなった。また周辺には中崎、豊崎、黒崎など、かつて葭原墓地周辺が「崎」であったことを伝える地名も多い。
●沖向地蔵
この沖とは「西方浄土の海」のこと。沖向地蔵は難波の枕詞「おしてるや」(押し照るや=押し照らすかのようにキラキラと光り輝く)の夕陽と海を眺めていた。ちなみに地蔵菩薩は基本、東(太陽が昇るところ)か南(太陽が一番高い所)を向く。西向きや北向きは非常に珍しい。これは太陽ではなく夜の世界(死者)の方角ともいえる。
●日想観の影響
『観無量寿経』 西方浄土に往生を遂げるための初観(第一の観)
釈迦、韋提希に告げたまわく「汝、および衆生は、まさに心を専らにし、念いを一処に繋げて西方を想え。云何が想を作さん。凡そ想を作すとは、一切の衆生、自ら生盲に非ずして、目をもつ徒は、皆、日没を見て、まさに想念を起すべし。正しく西に向いて坐し、諦らかに日を観て、心をして堅く住め、専ら想を移さざらしめ、日の没せんと欲するときの状は鼓を天に懸けたるが如しと見よ。既に日を見おわりなば、目を閉づるも目を開くも皆、明了ならしめよ。これを日想と為し、名づけて初観と曰う。この観を作すをば名づけて正観と為す。他の観の若きを名づけて邪観と為す」
●西方浄土への補陀落渡海
「当堺にきたる後、日本人が偽の天国にいく方法を見たり。すなわち艱難多き現世壓き、安静なる他の世を望める者、天国行きを実行せんと決心せり…日本人は国多数あるがごとく天国も多数あり…天国中、海水の下にあるものあり。彼らは衣をあらため、最もよき物を着し、各々背に大石を縛り付け、袖に石を満たし、すみやかに天国に達せんとす。余が見たる人は7人の同行を伴いたり。船に乗り海に投ずる時おおいに歓喜せることは、余が非常に驚きたるところなり」
永禄2年(1562) 宣教師ガスパル・ビレラの書簡より
「一人ずつ深き海、むしろ地獄に投身せり、追随せし人々は、ただちに空虚なる船に火を付けたり」
永禄5年(1565) 宣教師ルイス・フロイス書簡より
●法然上人 ご詠歌
「阿弥陀仏と いうよりほかは 津の国の なにはのことも あしかりぬべし」
一心不乱に南無阿弥陀仏と唱えること以外のことをしてはいけない。南無阿弥陀仏と唱えることで、津の国・難波のことは、すべてよくなる。
●後白河法皇 ご詠歌
「難波潟 入りにし日をも 眺むれば よしあしともに 南無阿弥陀仏」
難波の地にやってきて、海に沈み行く夕陽を眺めれば、良い人間も悪い人間も極楽往生にいける。
●長柄墓地(大阪市設北墓地)
明治維新後、大阪市中の各墓地は整理され、北(梅田墓地、葭原墓地など)は長柄に、南(小橋墓地、千日墓地、飛田墓地など)は阿倍野にまとめられ、明治40年(1907)より大阪市が経営することになった。約6.5平方キロメートルの敷地に5000以上の墓碑がある。司馬遼太郎の『俄-浪華遊侠伝-』の主人公としても知られる任侠者の小林佐兵衛、大阪商法会議所(のちの大阪商工会議所)設立に尽力して初代副会頭となった中野梧―、土佐の武市半平太の従兄弟で第3代大阪市長の山下重威などが眠っている。
「大阪七墓巡り復活プロジェクト2013」の飛田(鳶田、太子)墓地編で使用する予定だったレジュメ。これはしかし12時間にも及ぶ七墓巡礼のあとで披露困憊だったので、結局、使用できませんでしたw 大阪七墓巡りの資料として公開しておきます。
■8/15(木)20時よりココルームにて【大阪七墓巡り復活プロジェクト2013 七夜連続一墓巡り ⑦飛田編】「詩業家・上田假奈代による詩のワークショップ」と飛田まち歩き
http://www.facebook.com/events/399655600143585/
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【現在進行形の無縁大慈悲。弱法師たちは今日も狂う】
~大阪七墓巡り復活プロジェクト 鳶田墓地のゲニウス・ロキ(地霊)を語る~
●太子墓地(鳶田墓地)=聖徳太子起源の大阪最古級の墓地
聖徳太子とはなにものか?皇族(神道の祭祀王)でありながら仏教(外来思想)に帰依した→「神仏習合」。また、ちゃんとした「修行」などをした形跡はないが「夢殿」に篭ったという伝承がある。さらに「當麻寺」を作っている→「大麻寺」? 宣教師はアヘンを用いて清の信者を獲得した。もしかしたら太子の夢殿と當麻寺の関係性は…?
●弱法師
日本最古の宗教地であり、「西方浄土」(浄土教)の聖地となった大阪。四天王寺西門下(現在の釜ヶ崎界隈)には救済(お布施)を求めて日本全国各地から「弱法師」(社会的弱者)が集まった。とくに有名な弱法師として河内国の俊徳丸がいる。讒言により我が子「俊徳丸」を追い出した河内国高安の左衛門尉通俊。自分の罪滅ぼしに天王寺で七日間の施行を行っていると、盲目の乞食「弱法師」がやってくる。弱法師は天王寺の有難さを語ることでお布施を頂いていたが、よく見ると我が子・俊徳丸であった。あまりのみすぼらしい姿に道俊は名乗りを上げることがでいない。夜になってから密かに会いに行き、道俊は弱法師に日想観を説き、その有難さに弱法師は狂う。
「日想観なれば曇りも波の。淡路絵島須磨明石。紀の海までも見えたり見えたり。満目青山は心にあり。おう。見るぞとよ見るぞとよ。いまは狂い候わじ。今よりはさらに狂わじ」「今ははや夜も更け人も静まりぬ。いかなる人の果やらんその名を名のり給えや」「思いよらずや誰なれば。わが古を問い給う。高安の里なりし.俊徳丸が果なり」「さては嬉しやこれこそは。父高安の通俊よ」「そも通俊はわが父の。そのおん声と聞くよりも。胸うち騒ぎあきれつつ」「こわいかにとて」「俊徳は」「親ながら恥かしとて。あらぬ方へ逃げ行けば。父は追いつき手を取りて。何をか包む難波寺の。鐘の声も夜紛れに。明けぬさきにと誘い。高安の里に帰りけり。高安の里に帰りけり」
●大坂四ヶ所 転び切支丹(棄教者)が首切り役人となった
「垣外」とも言われ天王寺・鳶田・道頓堀・天満の四ヶ所の居住地のこと。この間に上下関係はなかった。垣外は多数のキリスト教信者が住んでいたが、その殆どが寛永8年(1631)の弾圧で棄教者(転び)となったもの。改宗を拒んだものはマカオなどへ追放されている。
「迫害は、北部、及び南部の諸州で、多數の殉教者を出してゐた、しかし、それは、天領、殊に京都、伏見、堺、大坂の如き大都市では、更に全般的で、更に殘酷であつた。熱心なキリシタン達は、執拗に捜し出され、自白させんがために、拷問にかけられた。ために、若干の人々は、生命を棄てて、靈魂を救つた、或る者は、不幸にも、棄教して、その精神的の父を裏切つた。この精神的の父に對し、暴君が死刑を科したのは、彼等の體に對してではなくて、靈魂に對してであつた。乞食や癩病人に至るまで、何でもないキリシタン達が、例外なく追放された」
レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』
●大塩平八郎の乱
天保の大飢饉で飢えた大坂庶民を救うため、大坂奉行所の名門与力でありながら、「救民」の旗印を掲げて決起した。その大塩の爆死した死体は塩漬けにされ、鳶田の仕置場で磔刑にされている。釜ヶ崎界隈の民衆に、大塩の無残な姿を見せつける必要があったのだろう。また1961年から度々、釜ヶ崎では暴動が起きる。2008年にも第24次暴動が起きた。
●釜ヶ崎夏祭
1972年に第1回が開催。毎年8月15日には亡くなった日雇労働者らを慰霊する祭壇が用意され、追悼式が行われる。
●阿倍野墓地
明治7(1874)年に完成。千日前、小橋、飛田にあった墓地などが移転された。