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‘雑感’ カテゴリーのアーカイブ

大分県。別府市。別府最大の魔境、秘境はココかもしれません。書肆ゲンシシャさん。

2022 年 1 月 15 日 Comments off

大分県。別府市。別府最大の魔境、秘境はココかもしれません。書肆ゲンシシャさん。

コレクションの数々に圧倒されました。「あのウワサの?!」という都市伝説のようなものが次々と登場し、紹介され、それらを現実に、目の当たりに、手にとるという驚き。衝撃。眩暈。頭クラクラしてきましたw

眼福でございました。ゲンシシャさんに深く感謝。必ず行くべし!

http://www.genshisha.jp/


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鉄輪は「ヤングセンター」という大衆演劇場が名物であったらしい。

2022 年 1 月 15 日 Comments off

大分県。別府市。鉄輪。昔の別府を撮影した写真集を見せて頂く。鉄輪は「ヤングセンター」という大衆演劇場が名物であったらしい。ネーミングが時代を感じる。ヤングセンター。


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大分県別府市。鉄輪温泉は一遍上人開基伝説があるが、ちゃんと時宗のお寺がある。温泉山永福寺。

2022 年 1 月 15 日 Comments off

大分県別府市。鉄輪温泉は一遍上人開基伝説があるが、ちゃんと時宗のお寺がある。温泉山永福寺。

毎年、湯あみ祭りで、一遍上人像を湯浴みするとか。すごいなあ。見てみたい。


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霊友会の過去帳『靈鑑』。 霊友会は在家法華教団(日蓮信仰)ですが、それにシャーマニズム(霊媒信仰)と先祖供養(祖霊信仰)が渾然一体となっているのが特徴です。

2022 年 1 月 9 日 Comments off

霊友会の過去帳『靈鑑』。

霊友会は在家法華教団(日蓮信仰)ですが、それにシャーマニズム(霊媒信仰)と先祖供養(祖霊信仰)が渾然一体となっているのが特徴です。

青経巻(法華経の読み下し文)、お題目(南無妙法蓮華経)を熱心に唱えながら霊能者(霊友会信者で大体、年長の女性。支部長といった役職があったりする)が相談者の祖霊を呼び起こして助言をする。大事なのは祖霊、先祖供養で、先祖をちゃんと祀れば悪いことは起きないし、何か悪いことが起きるのは先祖供養を蔑ろにしているから…というように考えます。

『靈鑑』は霊友会狂だった母が熱心に父方、母方(母方を大事にするのも新宗教系、霊友会の特徴であり、面白いところ)の先祖を徹底して遡り、調べて、作成したものです。霊友会独自の戒名(おえらいさんがつけてくれる。もちろん謝金がいります)をつけて、実際の墓に刻まれた戒名とは違うのですが、こうやって過去帳を制作する。

じつはこの『靈鑑』を作成するために、あちらこちらの役所から母が先祖の戸籍を取り寄せて、それが今回、父の死をキッカケに、僕の手に渡ったことが陸奥家ファミリーヒストリーのはじまりだったりしますw

霊友会の『靈鑑』に必要なのは「先祖の名前」ぐらいで「生前、何をしていたか?」とか「どこに住んでいたか?」といったようなことは気にしません。だから母もそんなことまでは調べなかった。
ただ、僕は父を亡くしたことをキッカケに戸籍簿の束を入手したもんだから、どうしても「父と子の関係」が気になった。「僕と父の関係」を考える上で「父と祖父」「祖父と曽祖父」の父子関係を知りたくなった。

特に曽祖父・陸奥利宗の存在が気になるのは「祖父が曽祖父から勘当された」という父と子の断絶が大きい。僕の家は勘当された家だから、本家や他の親戚筋と全く交流がない。祖父は晩年になって曽祖父の墓参りを親戚筋に願いましたが、それも許されなかった。

どんな相剋があったのか?もう古い話だから、調べたってわかりはしない。ただ曽祖父と祖父の人生、関係、物語を知ることで「父と子」の実存に迫れるかもしれない。死者を、祖霊の思いを受け継ぐというのはそういうことではないだろうか?


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曽祖父・陸奥利宗は末娘(祖父・文夫の妹)の手で大世古墓地から改葬されていたのですが、その時期がわかりました。平成18年(2006)10月らしいです。

2022 年 1 月 8 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。伊勢市役所に改めてお問い合わせ。データベースを調べてくれて、より詳しい情報が出てきました。曽祖父・陸奥利宗は末娘(祖父・文夫の妹)の手で大世古墓地から改葬されていたのですが、その時期がわかりました。平成18年(2006)10月らしいです。

さらに大世古墓地のどこにあったのか?区画もわかりました。「8◯4-◯」の区画。いまは誰か別の方の墓になっていることでしょう。

実は年末に宇治山田、伊勢を訪問して「曽祖父の墓があるとしたら、ここではないか?」と目星をつけて訪問したのが大世古墓地でした。我ながら見事な推理でしたが、16年前に改葬されていました。間に合わなかったか…。

調べてみてわかったのは現在、伊勢市内には永代供養はない(!)ということ。永代供養というのは地方民が集住して形成された大阪とか東京といった大都市のニーズなんですな。伊勢は古いまちですから。家のお墓というのが残っている。まだそれほど一般的ではないということでしょう。ニーズがない。

しかし平成18年(2006)に伊勢市の人が永代供養に改葬しようとすると、一体、どこの寺院になるのか?もしかして大阪・一心寺ではないか?という気もしますな。そうだったらビックリw 比叡山の久遠墓地という可能性もあるかな…。


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陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗が一時期住んでいた大井町・見晴らし通り。

2022 年 1 月 8 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗が一時期住んでいた大井町・見晴らし通り。

高知で生まれて大蔵省に入り、徳島→出水市→鹿児島市→東京・銀座→函館で大蔵省を退職。

その後、大正2年(1913)2月から「東京市芝区高輪台町28番地」にいたが大正5年(1916)3月には「東京府荏原郡大井町418番地」に移転したことがわかっている。そこで三女・日出子の出生届を出している。ただ東京・高輪→東京・大井町の東京時代は謎です。何の仕事をしていたのか?よくわからない。

そして突如、宇治山田市の行政マンとして勤務し、それも10年で退職し、その後の経歴は不明ですが、宇治山田で亡くなった。

利宗が住んでいた大井町エリアを歩いてみたら何かわかるか?と思い、さすらってみましたが、全く何もわからないw


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曽祖父・陸奥利宗の墓があった場所を教えて頂きました。「大世古墓地」という戦前からある伊勢市内の墓地です。

2022 年 1 月 7 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。三重県伊勢市最大の市営墓地が伊勢やすらぎ霊園。曽祖父・陸奥利宗は宇治山田市役所勤務経験があり、戦時中に町内会の副会長をやっていた経歴も確認できたので、おそらく宇治山田市(戦後に伊勢市と改名)で亡くなっただろうと推察し、伊勢市営墓地の管理事務所、伊勢市環境課に連絡してみました。

僕の読みはズバリ的中で、曽祖父・陸奥利宗の墓があった場所を教えて頂きました。「大世古墓地」という戦前からある伊勢市内の墓地です。

ところが誠に残念なことに、市役所のデータでは大世古墓地にあった利宗の墓は数年前に、すでに娘さん(祖父・文夫の妹)の手によって「改葬」されていることが判明しました。

この妹さんは独身で、父である利宗の墓の管理をしていたようです。しかし晩年になって後継がいなくなることから、おそらくは利宗の墓を永代供養墓に改葬したようです。

伊勢市営墓地には永代供養墓がないらしく、どこかのお寺の永代供養墓に眠っているのではないか?と思われます。付近の寺院を虱潰しに調べるしかないか…。


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曽祖父・陸奥利宗が働いていたのは宇治山田市役所。いまは伊勢市役所です。

2022 年 1 月 1 日 Comments off

曽祖父・陸奥利宗が働いていたのは宇治山田市役所。いまは伊勢市役所です。

宇治山田市は元々、宇治(伊勢神宮内宮)と山田(伊勢神宮外宮)を併せてできた市ですが、名称問題が常にあり、ついに戦後の昭和30年(1955)に伊勢市となりました。

利宗は、こちらに大正7年(1918)から昭和2年(1927)まで働いていた。利宗は当時37歳から48歳。僕(43歳)と同世代の頃は行政マンだったということですな。


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曽祖父・陸奥利宗は宇治山田市役所時代(1918〜1927)にどんな仕事をしていたのか?

2022 年 1 月 1 日 Comments off

曽祖父・陸奥利宗は宇治山田市役所時代(1918〜1927)にどんな仕事をしていたのか?

実は当時、宇治山田市では市史編纂のプロジェクトが非常に大きな懸念であったようです。『宇治山田市史』を調べてみると、明治末頃から宇治山田市で市史編纂をしようという動きがあったようですが、なかなかこれが纏まらず、大正2年(1913)には一旦、予算が全カットされ、市史編纂事務所は閉鎖。なんと白紙状態になってしまう。

どうも予算の問題(市会から増額が認められなかった)とか関係者の病没や誰に編纂事務を任せるか?(一旦、会議で決まったのにやり直しで違う人が就任したりしている…)とか編纂委員の辞任が相次いだり、市長が変わったり…と、いろいろとあったようです。このへん市史編纂の後記になかなか生々しい記述が書かれていますw

利宗は1918年に宇治山田に来ているので、市史編纂事務所閉鎖(1913)のトラブル(?)とは関係ないのですが、しかし利宗が宇治山田に来て4年後の大正10年(1921)になって、当時の市長や助役、市会議員がやはり「市史編纂を再興せん!」と立ち上がり、編纂事業がリスタートしたとあります。

そして、このタイミングで実は曽祖父・利宗が宇治山田市の「筆頭書記」から出世して「主事」となっています。おそらく市史編纂の事務局側、実行部隊として動いていたのではないか?

その後、市史編纂事業は進み、ついに昭和3年(1928)に原稿1500枚が完成。翌年の昭和4年(1929)に念願の『宇治山田市史』が刊行されました。

この『宇治山田市史』の編纂は、国家事業ともリンクしていたようです。当時の政府は大勢翼賛時代で、天皇の祖霊神・伊勢神宮がある宇治山田を「神都」と位置付け、皇国の起こり、国威発揚の聖地にしようという思惑があった。

実際に昭和5年(1930)3月〜5月に宇治山田市で御遷宮奉祝として『神都博覧会』が開催され、実は『宇治山田市史』は、その博覧会の前に刊行されるべし!ということで急がれたようで、中身をカット、短縮された…ということも後記に書かれています。「政治」ということですな。

実際に利宗が市史編纂にどういう形で携わっていたのか?というのはわかりません。クレジットとしては「宇治山田市発行」としか書かれていない。ただ時期が被ってますからな。

また原稿完成(1928)を前にして、じつは利宗は宇治山田市役所を辞めている(1927)のも、ちょっと意味深です。もしかしたら政治的思惑(博覧会に合わせるために内容をカットせよ)に抗議したとか?なんかあったのかな?ひいじいちゃん?


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伊勢市。宇治山田へ。

2021 年 12 月 31 日 Comments off

伊勢市。宇治山田へ。個人情報になるのであまり詳しくは記述できませんが、ある資料から曽祖父・陸奥利宗の娘、祖父・陸奥文夫の妹さんのお住まいを特定できました。表札にうっすら「陸奥」の字が残っています。現在は空き家のようです。

おかげで、いろいろとまた新情報がわかりました。陸奥家ファミリーヒストリー。ぼちぼちとリサーチを続けます。


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