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上本町。六万体地蔵。泥くじり祭。

2022 年 3 月 21 日

大阪まち歩き大学。上本町。六万体地蔵。

大阪にはいくつか六万体地蔵がある。有名なのは天王寺区夕陽丘町にある四天王寺支院の光徳山真光院の六万体地蔵。推古天皇2年(594)に聖徳太子が父の用明天皇の追善供養のために六万体の地蔵尊を刻んで納めた…という伝承がある。いまも真光院の東には「六万体町」という町名があり、工事などをして周囲の地面を掘り返すと、よくゴロゴロと地蔵がでてくるという。

六万体の地蔵とは凄い。父・用明天皇が亡くなったのは594年。聖徳太子がなくなったのが622年。計算すると28年×365日で10220日だから、平均すると1日に6体以上のお地蔵さんを掘らないと六万体にはならない。太子は父が亡くなったあと、毎日毎日、六地蔵を掘り続けたということになる。もはや巨匠である。

ただ、この「六万体」は「聖徳太子が彫った地蔵の数」という説もあるが、「蘇我物部戦争の戦死者の数が六万人」で、それでそのような地名がついた…という伝承なんかもある。実際に蘇我物部戦争で6万人もの人が戦死はしていないだろうが…。ちょっと怖い話や。

上本町の六万体地蔵は、またいろいろと伝承が違って四天王寺参道の庚申街道にあった道祖神という。『摂津名所図会』には六万体地蔵の説明があり、それによると江戸時代には六万体地蔵の前で毎年12月16日に「泥くじり祭」というのがあったという。

六万体地蔵に鰯を供えて顔に米粉を塗り、笹にみかんやせんべいをつけて供養し、夕刻になると藁を焚いて地蔵さんの顔を泥のように真っ黒にして、その前で「明年の、明年の」と囃しながら踊ったという。

「今年も無事に年が明けるぞ」と地蔵さんに感謝するということだろう。この「泥くじり」は、おそらくは「道祖神」と同義語の「道禄神」(どうろくじん)が訛った言葉だろうと思われる。

面白いのが、この祭礼の三日前から庚申街道では子供たちが集まってきて道のど真ん中に綱を張って通行人を通せんぼして「これが天王寺の作法じゃ、太子さまの仰せじゃ」と通行料をせびり、お金や菓子などの供物をもらったとか。

これらの供物は地蔵にお供えしたというが、おそらくはそのあと子供たちに分け与えられたと思われる。「おいココ誰のショバやおもっとんねんワレええ度胸しとるやないか」いうやつで、もはや完全にヤカラである。四天王寺のルール、聖徳太子が決めたルールというが、ほんまかいなw

今年は聖徳太子1400年御遠忌であるから、いろんな寺社、地域でイベントが目白押しであるが「泥くじり祭」の復活などはない。残念やなぁ。面白い風習やし、聖徳太子信仰のひとつとして地域でやってもよかろう。こどもたちは楽しいに違いない。大人は腹立つがw

ハロウィンの「トリック・オア・トリート」の日本版のようなものかも知れない。



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