
大阪には「いつから大坂ではなくて大阪が使われるようになったのか?」という、どうでもいい人にはどうでもいい問題がありw
江戸時代は「大坂」で、明治時代から「大阪」になったというのが通説ではあるが、調べてみると江戸時代から「大阪」は使われだしている。
わかりやすいのが住吉大社にある大阪庭構中の燈籠が「大坂」ではなくて「大阪」を使っている。これが天明6年(1786)のもの。大阪を使った石造物では最古級のものだと思われる。
これは巷間よくいわれることだが、大坂の「土」(つちへん)は「土に返る」という意味があり、大阪の「⻖」(こざとへん)は「土を盛る」といった意味がある。元禄期の大坂の繁栄は淀屋闕所や宝永大地震(東南海大地震)で停滞し、紀州・徳川吉宗の江戸入城もあって、上方文化が江戸に移っていく。そうした影響で天明期の大坂は確かに没落していた。「大阪」という文字を使いだすのも、そういう「かつての栄光再び」の願掛けが込められている。
歴史的には天明以後に化政文化(1804~1830)時代がやってくるが、これも江戸が中心。かつての元禄文化(1688~1704)は大坂・上方が舞台であったが、大坂の化政文化期は残念ながら元禄文化期ほどの輝きはない(細かく見ていくと素晴らしい芸術や学問分野での進歩、業績はあるのだが…)。
結果、18世紀以降、大坂は長期的に下降気味で、幕末からどんどんと時代が進むに連れて「大阪」の文字使用も増えていく。そして明治以降、「大阪」が決定的になる。
「大坂→大阪」になったように「大阪没落」というのは、ここ数年の話ではなくて。長い長い歴史的なスパン、流れがある。だから、その歯止めは、なかなか難しい。一朝一夕ではないということです。

堺市の資料から。泉北ニュータウンの将来人口予測。
1990年代は16万人が、いまは11万人。これが2030年には10万人を切り、2045年には5万8000人。高齢者比率は54%。老人、高齢者だらけのニュータウンになる。ニュータウンという名のオールドタウン。冗談みたいなほんとの話。
泉北ニュータウンは「田園都市構想」のある種の理想形、完成形のはずだった。しかし、経緯を見ていると、残念ながら、100年持たなかった。人間の営みの場として、サスティナブルではなかった。対して旧村エリアを歩くと、300年、400年の歴史を有する旧村も多い。人間の営みが定着している。少なくともニュータウンよりは長持ちしているように思う。
泉北まち歩きでニュータウンと旧村を交互に歩くと(そういうルートにしている)、それぞれの場の構造の違いがよくわかる。まずニュータウンは車中心主義で、歩く構造になってない。旧村は車では移動しづらい。曲がりくねった道、細道が多い。車がない、人(徒歩移動)が中心の時代に作られたから、当然、そうなる。
旧村エリアの曲がりくねった道や細道を歩いていて気付くのは、地蔵さんや稲荷神、道祖神、よくわからない石像などがゴロゴロあること。泉北はだんじり小屋なども多い。歩いていて、そちこちに、そうした信仰の痕跡、宗教性、スピリチュアリティを感じる。こうした信仰、宗教性がニュータウンにはない。まったく、ない。
ニュータウンは「便利」を基軸に作れられた。「駅から徒歩〇分」にスーパーがあり、病院があり、公園があり、学校があり、家がある。生活に便利で、効率よく、必要な施設が、配置される。
しかし、その必要の中に、どうも「宗教」はなかった。地蔵や稲荷、道祖神、寺社仏閣などは前近代的なもので、非合理で、不条理で、なくてもいいもの。近代都市の計画者の頭の中には、こうした宗教的な事柄は人間の営みに必要なものとして認知されなかったらしい。だから近代の都市計画に、地蔵や稲荷などは配置されない。(※正確には戦後の都市計画にない。戦前にはあった。戦前に作られた大阪・下寺住宅=軍艦アパートには、地蔵や稲荷が配置され、建て替えられた今も団地の一角に地蔵や稲荷が残って祀られている)。
本来、そうした宗教的なものには「祭礼」が付随する。地蔵があれば地蔵盆ができるし、寺社仏閣の春祭、夏祭、秋祭には、だんじりなども曳かれる。神輿も担がれる。なんで、そんなことをするのか?やっているのか?よくわからない、前近代的で、非合理で、不条理なものだが、それがあるがゆえに、場(旧村)に物語が生まれ、地元や地域を意識して、「ふるさと化」していく。自分の人生と場がミクスチャーされていく。
経済的合理性は「代替可能なもの」ということです。「駅から徒歩10分のスーパー」は「駅から徒歩5分のスーパー」に勝てない。「便利」を基軸にした設計では、より便利なものに、あっというまに取って代わられる。ニュータウンの人口が減っていくのは、「便利」を基軸に作られたから。ニュータウンよりも「より便利な場」があれば、当然、人はそちらに移ることになる。
不条理で、非合理で、意味不明な祭は「代替不可能なもの」で。「だんじりを曳く」「神輿を担ぐ」「盆踊りを踊る」といった体験は、他の体験に置き換えられない。そこでしか、できない。そこでしか味わえないから、その場から離れない。そういう場の経験があるから、ニュータウンは100年持たないのに、旧村は100年200年300年と続いていったりする。
「祭礼の日には逃亡中の指名手配犯も帰ってくる」というのは、日本全国各地にある都市伝説の類ですが、宗教や祭事という非合理で不条理で非言語的で説明がつかないものこそが、人間存在の核の部分を担っていたりする。それがないと、人間は、生きているとはいえない。生きていることは論理、近代的知性を超える。
ポスト・モダンの、サステイナブルなニュータウンがあるとすれば、まず神さま、仏さまを勧請する。地蔵を作る。稲荷を作る。祭(※)を作る。そういう知恵がいるのかも知れない。
「不条理を設計せよ」とかいうと、パラドックスやなぁw
※ニュータウンではイベントは多い。しかし祭礼はない。祭礼の中心には神さま、仏さま、死者、祖霊がいる。イベントにはそんな存在が中心にはない。イベントの中心にあるものは「資本」や「集客」であり、結局「経済的合理性」といえます。
大阪八低山。鶴見新山、真田山、御勝山、茶臼山、聖天山、帝塚山、昭和山、天保山。
他にも石山(大阪城)、杉山(大阪城)、天神山(安居稲荷)、波除山(波除山跡)なんかがありまっせ。
マニアックなんは天満山。『難波往古図』なんかでは星合池あたりに天満山と記載されてます。どこでっしゃろな。「謎の大阪の山」です。
大阪、ひとまず緊急事態宣言終わり。
仕事なくてヒマなときに昭和の曲歌ってたら「令和の曲やらないんですか?」とかいわれたので歌ってみた。
まさかのスピッツ『猫ちぐら』。2020年作品。
「なんでこんなに国民健康保険高いんや???」と思ったら、去年の持続化給付金100万円などが事業収入として含まれて計算されているらしい。
しかし減免申請(去年の事業収入より収入見込が70%以下なら減免申請できる)には「去年の事業収入には持続化給付金100万円は含まない」とある。
保険料を算出するときは「事業収入+持続化給付金」で計算するのに(当然、保険料は高くなる)、減免申請時には「持続化給付金、支援金などは去年の事業収入として認めない」とくる。おかげで減免申請できない人が続出しているらしい。
意味わからんすぎる。事業主、どんどん倒れまっせ。
ちなみに僕は、それでも減免申請できます。ほんまにボロボロですからな。参ったか。