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今里新地で行われた「愛國をどり」(愛国おどり)。櫓はいまの新今里公園に組まれた。

2021 年 9 月 19 日

今里新地で行われた「愛國をどり」(愛国おどり)。櫓はいまの新今里公園に組まれた。

明治時代にできた松島、大正時代にできた飛田、昭和時代にできた今里。時代が時代ですから、どこよりも時局に阿っていたのが新興の今里であったともいえます。帝國陸軍の慰問の性格が強い。

この今里に遊び(?)に来ていた名も知れぬオッサンが食べたのが屋台の会津屋のラヂヲ焼。「なんや今里は牛肉かいな?明石はタコ入れとるで」とアドバイスして生まれたのが大阪名物のたこ焼き。

なぜ明石の男がわざわざ今里なんてとこにきていたのか?当時、今里が有名な新地であったから、その影響ではないか?そうすると、たこ焼きは遊郭文化(屋台)から発生した食べ物ということになります。


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