ヒラメ派

2022 年 4 月 5 日 Comments off

新世界で飲んで、串カツを食べ、ドテ焼きを味わい、さいぼしに唸り、顔ハメを嗜み、萩之茶屋で『じゃりン子チエ』はチエちゃんよりヒラメ派と熱く宣言する。そんな夜もあった。


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凄十

2022 年 4 月 5 日 Comments off

あちらこちら歩いたんですが、あーだこーだ話をして画像を記録するのを忘れておりました。

飛田大門前に凄十ドリンクが捨てられておりました。




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大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。北沢浮遊選鉱場跡。

2022 年 4 月 5 日 Comments off

大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。北沢浮遊選鉱場跡。

「佐渡のラピュタ」とかいわれてるそうで、そういうのを聞くたびにモヤモヤを抱えてしまう。佐渡(北沢浮遊選鉱場跡)にもラピュタ(ジブリ、宮崎駿)にも冒涜ではないかと。

「◯◯のラピュタ」とか「天空の◯◯」とか観光協会が平気で、そんなキャッチコピーでポスターを作ったりして、ああいうのはやめたほうがええ思いますなあ。恥ずかしい。


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大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。塚原山根本寺。

2022 年 4 月 4 日 Comments off

大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。塚原山根本寺。

日蓮は鎌倉幕府を批判し、その結果、佐渡島に流される。俗にいう「佐渡法難」。文永8年(1271)のことで日蓮は50歳を超えていた。

佐渡島で日蓮が住んだのが死者の捨て場所で累々たる塚が広がる寒々しい三昧堂であったという。そこで他宗の僧侶が集まってきて日蓮と宗論を戦わしたが結果、日蓮の大勝利に終わった。『塚原問答』といい、その経緯を記した『法華浄土問答抄』(日蓮と浄土教の僧侶が連名で血判した真筆も残されている)も伝えられている。

その後、日蓮は当地で『開目鈔』を執筆し、「末法の大導師 本化上行菩薩とはこの日蓮なり」と宣言。有名な「我れ日本の柱とならん」「我れ日本の眼目とならん」「我れ日本の大船とならん」の三大誓願を記した。

陸奥賢は何の因果か、在家法華新興教団・霊友会の3世信者として、この世に生まれてますから。幼い頃から三大誓願について教えられてきた。ある意味「日蓮とはなにか?」は我が生涯の問いのひとつ。佐渡島にいったら絶対に訪れたいと思っていたのがココでした。感無量でしたなぁ。

この塚原には以下のようなエピソードがある。

かつて順徳上皇に仕えて佐渡島にまで渡った北面の武士で遠藤為盛(遠藤盛国説もある)という男がいた。順徳天皇が崩御してから、その菩提を弔うために浄土教の僧侶となり、「阿仏房」と呼ばれた。ところが佐渡島に浄土教否定、念仏否定の日蓮が来る。阿仏房は侮辱されたと感じ、日蓮を殺すつもりで塚原三昧堂を訪れる。ところが日蓮の教えを聞くと阿仏房は法華経の素晴らしさに目覚めて改心。熱心な弟子となり、日蓮の佐渡での生活を支えたという。

ほんまかいな?ですが、阿仏房は日蓮と出会ったときは既に84歳の高齢とか。日蓮は、その後、放免されて佐渡島から山梨県身延山に移りますが、阿仏房はその後、91歳で亡くなるまで3度も身延山の日蓮を訪れたという。

天皇崇拝+法華経といえば、まさに日蓮主義。そのいっちゃん最初の具現者、体現者が、この阿仏房ではないだろうか。田中智學、北一輝、石原莞爾のパイオニアといえるかも知れない…いや。言い過ぎか。言い過ぎやな。すいません。言い過ぎました。


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大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡博物館。 十王があった。

2022 年 4 月 3 日 Comments off

大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡博物館。

十王があった。佐渡島でも十王信仰が盛んであったという。

十王信仰は、あまり大阪では見られない。浄土真宗は十王信仰に否定的らしく、大阪は浄土真宗が強い都市だから、いまいち僕は十王信仰がピンとこない、わからないところがある。

このへん「十十王申す」の江尻さんに詳しく聞いてみたいですなw

■【オンライン配信企画】4/4(月):江尻浩二郎さんと歩く「大阪七墓巡り復活プロジェクト」


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大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡博物館。

2022 年 4 月 3 日 Comments off

大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡博物館。まち歩きの基本はミュージアムから。

佐渡博物館はさすがの充実でした。通い詰めたいw


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大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。史跡の里。真野。

2022 年 4 月 3 日 Comments off

大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。史跡の里。真野。

砂金とり体験のゴールドパークが気になりましたが、また今度にします。

佐渡島はなんせ広い…。854.8 km²もある。大阪市(223 km²)よりも淡路島(592.2 km²)よりも東京23区(627.6 km²)よりも琵琶湖(670.4 km²)よりも京都市(827.8 km²)よりも広い。つーか大阪市、小さすぎるやろ。


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大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡歴史伝説館。

2022 年 4 月 3 日 Comments off

大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡歴史伝説館。

真野御陵近くにあるのがこちらの私設ミュージアム。1973年開館とのことで時代ですなあ。これぞ「ディスカバー・ジャパン!」「美しい日本と私」!

順徳天皇、日蓮、世阿弥といった「佐渡三大流人」(?)をはじめ、佐渡ゆかりの歴史的人物の等身大ロボットが語りかけてくるが館内は暗いし、ロボットの動きも不気味で小さいお子さんならギャン泣きトラウマ間違いなし。獅子は我が子を千尋の谷に落とすぐらいのつもりで是非とも訪れてほしい。

かつて、こちらの土産販売コーナーで働いていたのが北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんの夫のチャールズ・ジェンキンスさんでした。残念ながら2017年に他界しております。お会いしたかったですな。


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大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。真野御陵。順徳天皇火葬塚。

2022 年 4 月 3 日 Comments off

大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。真野御陵。順徳天皇火葬塚。

日本史上初めて天皇家(後鳥羽上皇、順徳天皇)との争いに勝利した民間人(武士)が北条家(北条政子、北条義時)。俗にいう「承久の乱」であるが武家政権がついに公家政権を打ち倒した歴史的な画期であった。

負けて佐渡まで遠島されて順徳天皇には申し訳ないが、しかし、こうして地方政権の鎌倉幕府が中央政権を打ち倒したことで日本は封建社会に突入して地方分権が進んだ。地方が力を持つことで地方文化が花開き、繁栄し、日本列島全体の文化レベルの底上げに繋がった。

明治維新はまた古代律令国家体制以来の中央集権システムで東京一極集中が進み、そのメタボ化で日本全国が機能不全、動脈硬化、脳卒中を起こしかけている。

もう一度、地方分権に舵を切るためにも「第二の承久の乱」的な歴史的画期が必要では?と思うし、早く誰かやったらいいのに〜(他人任せ)


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大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡銘石。赤石玉。真野観光センターの展示即売場にて。

2022 年 4 月 3 日 Comments off

大阪まち歩き大学。佐渡島留学編。佐渡銘石。赤石玉。真野観光センターの展示即売場にて。

佐渡島は大昔に海底火山の噴火や地震によって海底が隆起して2つの山(北に大佐渡、南に小佐渡)が形成され、それらが繋がって現在の佐渡島が出来上がった。マグマや地殻変動によって地中の貴金属が吹き上げられ、それが佐渡金山となる。

我が国は世界有数の地震大国であるが、それがゆえに鉱山資源が豊富な国でもあった。温泉も沸くし、地震や津波は最悪ですが、だからでこその恩恵もいろいろとある。

赤玉石の最高級品は、かつては金よりも貴重な名石として知られ、秀吉や徳川家といった権力者に献上されてきたらしい。赤は魔除けの色なので、破魔、厄除、招福の神石として人気であったとか。いまでも佐渡の旧家の庭石に使われたりしているそうで、実際に僕は佐渡を歩き回ったが、あちらこちらの旧家に赤玉石が置かれているのを見た。

明治30年代に佐渡が大水害に見舞われたが、このときに土の中から大量の赤玉石が出現したとか。大水害でボロボロだった集落は、その赤玉石を売却し、そのおかげで村の復興がなされたという。

天災、地震や津波は不幸なことですが「そのおかげで温泉が湧いた」とか「土壌が豊かになった」(運ばれてきた土砂にはいろんなミネラルが含まれている)といった民話や伝承が日本全国あちらこちらにある。「宝石、貴金属が露出して潤った」は珍しいが佐渡らしいエピソードといえる。

災い転じて福と成す。神計らいというべきか。まさに捨てる神あれば拾う神あり。


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