堺探検クラブ「堺旧港まち歩きマップ」イラストと解説文

2013 年 10 月 27 日 Comments off

堺旧港_01

①堺駅
近畿の駅100選。江戸時代は戎島附洲新田(大和川の堆積土砂)で、明治21年(1888)に市最古の駅として開業。当時は吾妻橋駅とも呼ばれました。構内に「大正の広重」こと吉田初三郎(1884~1955)が河盛安之介市長の懇嘱で昭和10年(1935)に描いた「堺市鳥瞰図」(堺市博物館蔵)と、江戸初期の「南蛮屏風」(同館蔵)の壁画が掲示されています。

②堺駅観光案内所
南海堺駅ビル1F(9:00~18:00)、堺駅西口改札横(10:00~19:00)の2箇所あります。堺観光ボランティア協会のガイドさんが観光相談にお応えしてくれます(10:00~16:30 ※第1月曜日・年末年始除く)。またレンタサイクル(1日300円・貸出時は運転免許証など本人証明必要)も行っています。

③川の駅・堺(観濠クルーズSakai乗船場)
自由都市・堺の象徴=環濠の名残である内川・土居川で、観光船を運航するNPO法人観濠クルーズSakaiの乗船場です。バーテンダーや線香屋の若旦那、主婦など多彩なガイドさんによるクルージングが楽しめます。※運航期間:3月末~11月の土日 所用時間:約50分 定員:大人18名 料金:大人1000円・小人500円(小学生以下) 予約・問合せ:072-229-8851(受付時間10:00~17:00)

④南蛮橋(南蛮人像)
堅川に掛橋。南蛮人像が設置されています。中世・堺は日明、南蛮貿易港として栄え、数多くのポルトガル商人や宣教師が来堺しました。多彩な文化交流から火縄銃、線香、三味線、芥子餅などが生まれ、堺の名産となりました。

⑤堅川
宝永元年(1704)に大和川付替で土砂が溜まり、堺の港湾機能に支障が出ました。浅草商人・吉川俵右衛門は、奈良~江戸間の材木中継港として堺港復興を訴えて、堺商人と協力して修築を開始(寛政2年・1790)。暴風雨に遭難しながらも約20年がかりで工事を遂行、堺旧港の原型が形作られました。堅川は船が出入りする川口ですが、その工事は町衆総出の砂持興業で「町中追々砂持手伝とて、のぼり吹きしめ、花やかに仕立て、ばば、女、子供にいたるまで南北残らず出候。(中略)二万余人の人数、みなみな波止前にて太鼓・鐘・いろいろ鳴り物にてはやし、先代未聞の賑わひ、筆につくしがたく」と「堺代々御奉行記」にあります。吉川俵右衛門(江戸=東=吾妻)の功績を讃えて、内川に吾妻橋が架けられています。

⑥龍神橋
天保9年(1838)架橋。大和川付替で堺港は寂れる一方なので、天明6年(1786)越後の龍沢山善法寺の僧(注1)が港復興祈祷を行うと、日没後に海上に燈明が煌めきました。これぞ「龍神の霊験」と評判になり、吉川俵右衛門の築港事業で出来た新地を龍神と名付けました。遊郭、芝居小屋、御茶屋などが並び、「龍神よいとこよい酔心地 むかし隆達トントン拍子 今は小唄の音を聞きや可愛い いとしお方の花だより 龍神よいとこよい廓」といった粋な「龍神小唄」(作歌:食満南北 作曲:杵屋和吉 振付:藤間門壽郎)が流れる新地として大いに繁栄しました。(注1)出羽庄内善宝寺(龍神尊)の僧という説もあります。37日間の祈祷後、経文を石に刻んで海中に埋めると土砂が退散して港が繁栄を取り戻した…というものです。

⑦二世中村富十郎住宅址
二世中村富十郎(1786―1855)は初代市川甚之助に入門、後に三世中村歌右衛門の門弟に。頭角を現して天保4年(1833)には大坂角之芝居で三世中村松江から二世中村富十郎を襲名しました。天保13年(1842)「役者投扇曲」では「若女形巻軸白極上上吉」の位付で「難波の太夫」と呼ばれて「江戸の飾海老」こと七世市川団十郎と並ぶ名女形でしたが、質素倹約が旨の天保改革で豪奢な生活を咎められ、摂津・河内・和泉から追放されました(団十郎も江戸十里四方追放に)。その後、天領(御免地)の堺に移住し、当初は戎之町大道で小間物屋・八幡屋を営みますが、才を惜しんだ新地世話方・松原武次郎の説得で、「娘道成寺」の白拍子などを新地北芝居(龍神橋通2丁)で演じて舞台復帰。大坂はもとより京の三条紅粉平といった富十郎贔屓が押しかけ、初日から満員御礼の大入り。また堺奉行より「旅役者取締役」に任命され、以後、堺を拠点に京、伊勢、名古屋、江戸などで活躍。嘉永2年(1849)には京都北側芝居で七世市川団十郎、三世尾上菊五郎と共演しています。安政元年(1854)には評判記の位付で「無類」となり、「堺の大太夫」とも呼ばれましたが、安政2年(1855)に堺で没。大小路東向井領に葬られ、本成寺(寺地町東4丁)、正法寺(大阪市中央区中寺町)に詣墓があります。

⑧龍神駅跡(現・コンフォートホテル堺)
明治36年(1903)、大浜公園で第5回内国勧業博覧会開催。堺水族館・大浜潮湯・大浜少女歌劇などが出来て、大正元年(1912)堺駅南方500メートルに龍神駅が開業しました。龍神新地にも近く、殷賑を極め、戦前は市最多の乗降客数で特急・急行は堺駅を通過して龍神駅に停車するほどでした。戦災後は旅客営業は龍神駅のみで堺駅は貨物駅でしたが、昭和30年(1955)に両駅を統合。龍神駅(現・コンフォートホテル堺)を堺駅として使用しましたが、昭和60年(1985)南海本線高架化で現・堺駅へ移転しました。バスロータリー中央部の「南蛮船」は堺の彫刻家・岡村哲伸氏の作品で、氏は堺市制110周年記念事業として龍女神像(北波止町)制作も手がけています。

⑨神明神社
天保3年(1832)に佐々木長門なる人物が稲荷明神等を祀って旭社としましたが、天保12年(1841)に堺奉行・水野若狭守忠一が天照大御神と豊受大御神を勧請。宿院町・布屋源治郎から敷地を寄進されて神明社と改めました。「堺のお伊勢さん」ともいわれます。境内には天保4年銘、天保12年銘の石灯篭や、龍神新地の遊郭の楼主が寄進した玉垣が残っています。また蘇鉄山山岳会の活動拠点で、一等三角点が設置されている日本一低い山・蘇鉄山(標高6.84mメートル。大浜公園内)に登れば「蘇鉄山登山認定証」(有料。1枚20円)を発行してくれます。

⑩龍神堂
龍神祈願で堺港が復興したと喜んだ新地の人々は、天保6年(1835)に善法寺を建立、龍神堂と絵馬堂を造営しました。しかし明治維新後に廃寺に。龍神堂だけが旭館(⑬旭橋の項目を参照)内に残り、昭和5年(1930)国道26号線敷設で当地に移りました。全国各地の郷土玩具を描いた堺の画家・川崎巨泉(1877-1942)が遺した自筆写生画帳「人魚洞文庫」に「堺大浜通一丁目龍神堂奉納絵馬 昭和六年九月写」とクジラの絵馬が写生されています。

⑪堺魚市場
古来より堺は漁業が盛んでした。奈良・京都への貴重な海産物供給地で、堺魚商人の中には春日社供菜人(春日大社には天文7年・堺魚屋弥次郎寄進の石燈篭が現存)や御所の禁裏御用などもいました。供菜人、禁裏御用は関銭(関所の通行料)免除で、海産物を納める代償に諸国を自由に通行する特権を得て、回船業(流通業)などへも進出しました。堺魚市場は代々、魚商人を営んだ名家・久家が秀吉から土地(現・英彰小学校付近)を賜ったのが起源で、江戸時代には魚市場(紺屋町浜=少林寺町西4丁付近)と海船魚市(柳之町浜=柳之町西3丁付近)が開場。元禄8年(1695)には問屋30軒、仲買600軒と大繁盛しましたが明治以降に現在地(栄橋町)に移転しました。鎌倉期に住吉大社に魚を奉納して豊漁祈願し、市をたてたのが起源の大魚夜市(毎年7月31日に大浜公園で開催)は堺の夏の風物詩として知られています。

⑫旭橋の橋柱(アサヒビールゆかりの地)
天保5年(1835)に掘られた旭川に架橋。昭和30年(1955)に川は埋立てられ橋柱のみです。嘉永(1848〜1853)頃に描かれた「泉州堺湊新地繁栄之図」(堺市立中央図書館蔵)には、旭橋近くに「朝日の家」が記されていますが、堺屈指の御茶屋で有名でした。その後、明治21年(1888)に旭橋西詰に4000坪の大庭園を有する政財界の名士社交場「旭館」が開館。鳥井駒吉(1854~1909 堺の酒造家)が会議として使い、翌年、大阪麦酒会社(現・アサヒビール株式会社)を創業。この旭館が「アサヒビール」の由来という説があります。またビール発売当初の「波に朝日」ラベルは、「浪花百景」などを手がけた堺の浮世絵師・中井芳瀧(1841~1899)が描きました。旭館は昭和6年(1931)の国道26号開設時に閉館。堺市役所前の大蘇鉄は旭館から移転したものといわれています。

⑬堺事件発生の地
慶応4年(1868)、大坂入りしたフランス領事を迎えるべくフランス海軍のコルベット艦デュプレクスの水兵が堺に上陸したところ、警備中の土佐藩軍艦府は「通達がない」と上陸を阻止。言葉が通じない混乱の中、フランス兵が藩旗を倒そうとしたため、土佐藩側が発砲。水兵11名を殺傷、溺死させました(堺事件)。フランス公使レオン・ロッシュは猛烈に抗議して関係者20名の切腹、15万ドルの賠償金を要求。国力差から明治政府は全ての要求を受諾。当初、関係者は29名いたので土佐稲荷神社(大阪市西区)で籤を引いて切腹者を選抜。妙国寺(材木町東4丁)で刑が執行されますが、切腹のあまりの凄惨さに軍艦長デュプティ=トゥアールは11人目で中止を要請、結果として9人が助命されました。自刃した藩士は宝珠院(宿屋町東3丁)に葬られ、国指定史跡「土佐十一烈士墓」となっています(同院には後にフランス兵の慰霊碑も建立)。森鴎外「堺事件」、大岡昇平「堺港攘夷始末」、司馬遼太郎「新装版 俄 -浪華遊侠伝-」などの小説の題材にもなっています。

⑭パンゲア
元々、工場だった建物を改造してカフェに。海が見えるテラスが人気で、堺旧港・龍女神像の彼方に沈んでいく夕陽を眺めながら、美味しいお食事、お酒が楽しめます。NPO法人SEINの運営で堺市民の活発なコミュニティ活動の情報なども。堺探検クラブのマップも入手できます! ※営業時間:平日15:00~23:00 土曜12:00~23:00 日曜12:00~22:00(月曜日定休)TEL:072-222-0024

⑮与謝野晶子像
与謝野晶子(1878~1942)生誕120年記念、堺陵東ライオンズクラブ結成25周年記念アクティビティとして設置されました。「ふるさとの 潮の遠音の わが胸に ひびくをおぼゆ 初夏の雲」(歌集「舞姫」より)の歌が刻まれています。


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堺探検クラブ「七道まち歩きマップ」イラストと解説文

2013 年 10 月 27 日 Comments off

七道_01

①放鳥銃定限記と鉄砲鍛冶射的場跡
大正3年(1914)に運河掘削工事現場から漢文碑・放鳥銃定限記が出ました。「鉄砲師範・小濱民部丞嘉隆は文武両道で試射場を作って砲術研究を重ねた」とあり、寛文4年(1664)に砲術家・川名金衛門忠重が立てたものです。鉄砲鍛冶射的場跡は大正13年(1924)建立(駅整備などで当地に移転)。かつて七道には周囲約9メートル、高さ約1.8メートルの鉄砲塚(現存せず)があり、鉄砲制作すると塚から大和川の的に試射しました。鉄砲にゆかりが深い土地で駅界隈は鉄砲町ともいいます。

②河口慧海顕彰立像
河口慧海(1866~1945)は仏教学者、探検家で浜筋山伏丁(北旅籠町西3-11)の樽職人・善吉と常の6人兄弟の長男です。本名・定治郎。清学院、錦西小で学びますが「職人に学はいらぬ」と父の方針で退学。しかし慧海は懇願して儒者・土屋鳳州の私塾・晩晴書院で学び、釈迦一代記を読んで出家を志します。父は「長男の出家は困る。代りに弟を出家させる」と三男の岩吉、四男の善七を出家させて阻止。鬱屈した慧海は徴兵令改正反対で天皇直訴を企てたり、宣教師からキリスト教を学んだり、堺市の小学校で教員をしたりしますが、結局、東京の黄檗宗五百羅漢寺に寄宿して哲学館(後の東洋大学)に入学。明治23年(1890)に得度して同寺住職になりますが日本仏教界の腐敗に怒って辞職。仏教原典入手のためにチベット行きを決心して明治30年(1897)に堺や大阪の友人の支援を受け、神戸港から出発しました。当時、チベットは鎖国で密入国者は死刑でしたが、クン・ラ峠(標高5411メートル)越えで明治34年(1901)、日本人として初めてラサに到達。ラサ三大寺院のひとつ・セラ寺で学びますが素性がばれて翌年、脱出。帰国後「西蔵旅行紀」(Three Years in Tibet)を発表すると一大センセーションとなって英訳も出ました。その後、チベットが清に侵略されてダライ・ラマ13世が亡命すると慧海はインドで接見。再訪を許されて大正2~4年(1913~1915)にチベット入りして、多くの仏典、仏像、仏画、仏具、民俗資料、動植物・鉱物標本を入手しました(東北大学に保管)。以後は仏典研究を続け、晩年は「蔵和辞典」編集に没頭しますが、1945年2月に世田谷の自宅で逝去。銅像はチベットに向かう慧海で、昭和58年(1983)に、堺ライオンズクラブ創立25周年記念事業として堺の彫刻家・田村務氏によって制作されました。

③菅原神社御旅所
「堺の天神さま」こと菅原神社(戎之町東)の御旅所です。社伝では菅原道真(845~903)が太宰府より手彫の木像を海へ流し、それが摂津国北の庄・海船濱に流れ着き、長徳3年(997)に天台宗威徳山天神常楽寺の僧徒が天神社を創建して木像を祀ったことが社の縁起です。御旅所内の石灯籠に寄進者「樽善」(樽屋善吉。慧海の父)が刻まれています。

④千日井
七道は、かつて七堂濱と呼ばれました。行基(668~749)が神亀元年(724)に開いた清浄土院高渚(たかす)寺の七堂伽藍があったためで、千日井は、その寺の井戸といわれています。上水道整備がされるまで地元民の優れた飲料水源でした。「此の井は行基菩薩七堂構榮の地に鑿掘したるところと傳ふ 今や蒲生氏及び其一族の特志により修理の巧を竣へ清泉滾々として盡きす 汲む人其遺澤を憶へ 四天王寺現薫 大僧正 大應 撰書」の石碑(1930年建立)と、行基石像板(1961年 近泉紡績会社社長 中山彌左衛門建立)、文政9年(1826)に神南辺道心が発起、宗見寺真誉上人が導師、付近の農民が世話人で建立した岩喜兵衛(土居川・千日橋の建立者)と水難者の供養碑があります。道心は「燗鍋弥兵衛」と呼ばれた堺の鋳物師ですが酒に溺れて妻を病死させ、育児も放棄。荒れた生活を送りますが、僧となった息子に「父を救えない私を殺して下さい」と泣いて懇願されたことで罪を悟って仏門に。以後、堺、大阪、奈良、和歌山で自ら汗まみれになって井戸、橋、堤防、道標などを作って困窮者救済に尽力。嵯峨御所から錫杖を下賜され、聖者と崇められながら天保12年(1841)に没しました。大阿弥陀経寺(寺地町東4丁)に墓があります。

⑤清学院
元禄2年(1689)の堺大絵図には山伏清学院とあります。江戸末の建築で不動堂、庫裏、門は国の登録文化財です。修験道場ですが幕末から明治5年(1872)まで習字手習いの寺子屋として使用され、慧海も学びました。

⑥鉄砲鍛冶屋敷(内部非公開)
「鉄砲記」(1606年頃・南浦文之玄昌著)には、天文12年(1543)、種子島に鉄砲が伝来すると、堺の商客之徒・橘屋又三郎が来島して鉄砲製法を学び、堺に伝えて「鉄砲又」と呼ばれたとあります。和歌山市・金剛宝寺には「那賀郡堺鋳工橘屋又三郎」銘の天正3年(1575)の梵鐘があり、又三郎は鉄砲、梵鐘など金属を扱う鋳物師と推測されています。いずれにせよ鉄砲製法が堺に伝わると堺は瞬く間に日本一の鉄砲生産地になりました。鉄砲鍛冶屋敷は江戸時代から続く鉄砲鍛冶・井上関右衛門の居宅で堺大絵図(1689)にも記載され、最古級の町家建築かつ堺鉄砲の生産現場が残る貴重な建築物で、市の指定有形文化財です。多くの鉄砲史料や日本一といわれる高さ1メートル、長さ2メートル余りの吹子が保存されています。

⑦北之橋跡
中世・堺は環濠自治都市でした。環濠は秀吉によって埋められましたが江戸初期に復活。その環濠の紀州街道出入口に架けられたのが北之橋です。長さ7間(約12.7メートル)、幅2間半(約4.5メートル)の幕府管理の公儀橋で、大門と高札場がありました。堺市史によれば北之橋から南之橋(現在の少林寺橋)まで長さ24町37間(約2.7キロメートル)と記されています。

⑧高須神社
根来で初めて火縄銃を制作した芝辻清右衛門妙西の孫・理右衛門(?~1634。名は助延、号は道逸)ゆかりの神社です。理右衛門は慶長16年(1611)に銃身1丈(約3メートル)、口径1尺3寸(約39センチ)、砲弾1貫500匁(約5.6キロ)の我が国初の大筒を家康に納入。慶長19年(1614)大坂冬の陣でも家康に三匁五分玉の鉄砲500丁、六匁玉の鉄砲500丁を納入して戦場では火縄銃修理を行いました(豊臣方からも鉄砲500丁を受注しますが納入記録が残っていません)。以上の功績で元和元年(1615)に高須に土地を賜わり、社を建てました。境内北側になでると願いが叶うという萬願石があります。

⑨海船政所跡
永正元年(1504)、阿波守護・細川澄元の家臣・三好長輝(1458~1520)が阿波と京の中継として海船町に館を建て、孫の元長(1501~1532)の頃に完成しました。桜之町付近を中心に東西360歩(約650メートル)、南北720歩(約1300メートル)の大館で、大永元年(1521)には「政所」の号を勅されています。高楼があって四方を監視し、事が起こると鐘、太鼓を鳴らして郎党に知らせました。元長没後も長慶、義興、義継などが居住して摂ノ尼崎ノ城、泉ノ新堀城、岸和田ノ城、河ノ小山、古市ノ諸城(全堺詳志より)などを束ねる三好一族の本城的役割を果たしました。

⑩七まち町家会
「住の江の 和泉の街の 七まちの 鍛冶の音きく 菜の花の道」と与謝野晶子にも歌われた七まち(七道)。幸運にも戦災を逃れて江戸時代からの建築物が数多く残っていますが、2009年、地域の町家や町並みの保存と活用を目指して有志が集まって「七まち町家会」を発足させました。町屋公開などの催しを行っています。

【A】水野鍛錬所…明治5年(1872)創業。明治時代からの鍛錬工房があります。戦後まもなくの法隆寺大改修のさいに、300年に一度かけかえられる国宝五重塔九輪の「魔除け鎌」を鍛造して奉納。法隆寺の1300年前ともいわれる古釘を集めて作った魔除け鎌を展示、実際に手に持つこともできます。鍛錬所前にあるのが榎並屋勘左衛門・芝辻理右衛門屋敷跡の碑で、勘左衛門は御用鉄砲鍛冶として家康に重用され、鉄砲鍛冶年寄の重職を務めました。榎並屋勘左衛門、芝辻理右衛門の両家に、分家の榎並屋九兵衛(次右衛門)、榎並屋勘七(忠兵衛)、芝辻長左衛門を加えた五鍛冶(九兵衛、勘七没落後は三鍛冶)が堺の鉄砲鍛冶を統制しました。

【B】内田家住宅…明治前期の旧商家(醤油造り)。現在も住居として使用していますが、1階吹き抜け部分、2階作り付けの欅箪笥といった一部を不定期に公開しています。

【C】ろおじ…大正期の長屋を改装したギャラリー&茶店です。

【D】藤井刃物(まちかどミュージアム)…古い町屋の刃物工房で、現在の刃物作りを見ることができます。

【E】薫主堂…江戸末期の建物。創業明治20年(1887)で、120年以上になる天然香料を使った手作り線香の店です。店主は2002年に堺市から「堺ものづくりマイスター」に選ばれました。

【F】堺鉄砲館…町家を改装した火縄銃展示館です。火縄銃保存会会員による解説もあります。また鎧兜着用による若武者返信体験もあります(100円・限定20人) 

【G】鳳翔館…大正時代の町家を活用した展示&休憩スペース。館主が与謝野晶子のファンで、晶子の生家をイメージしています。

【H】七まちびいどろ・・・町屋の空間を利用したガラスギャラリー&とんぼ玉制作工房。とんぼ玉制作風景を見たり、個性的なとんぼ玉(模様の入った紐を通すことのできる穴の開いたガラス玉)制作体験ができます。


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2013年10月26日のツイート

2013 年 10 月 26 日 Comments off

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平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とはなにか』を直観讀みブックマーカーしてみました。■直観讀みブックマーカー tyokkannyomibookmarker.info pic.twitter.com/ZRe2hlfRLD


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平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とはなにか』を直観讀みブックマーカーしてみました mutsu-satoshi.com/2013/10/26/%e5…

posted at 10:47:23

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編集×批評=批評×編集 mutsu-satoshi.com/2013/10/26/%e7…

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「直観讀みブックマーカー、ようわからん・・・」といわれたのですが、ものすごく大まかに、簡単にいうと、「まわしよみ新聞」は「批評」(新聞の中から面白い記事を探し出してプレゼンする)して「編集」(記事をみんなで壁新聞にまとめる)するというメディア遊びです。

posted at 11:10:25

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それに対して「直観讀みブックマーカー」はまず「編集」(直観讀みで無作為に言葉をブックマーカーに取り出す)して、その後に「批評」(なんでこんな言葉が出てのか?みんなで考える)する・・・というメディア遊びですな。

posted at 11:10:46

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・・・と、ここまで自分で書いていて思いましたが、この発想って日常編集家のアサダくんと、一般批評学会の岩淵さんという2人の変態ではなかった天才との出逢いから出てきてますな。同世代に、関西で、こういう人がいるっていうのは悪影響ではなかった良い刺激を受けますww

posted at 11:11:15

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懐かしの「ミックスジュース・ナイトフィーバー」で例えると、みんなでおもろい!と思う食材をもってきて、それをミックスジュースにするのが「まわしよみ新聞」で、すでに謎のミックスジュースがあって「これは一体なんの食材を使ったのか?」を考えるのが「直観讀みブックマーカー」ですww

posted at 12:25:28

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ほんじつはこちら!!■10/26(土)午後2時より「第15回クリエイティブ・ツーリズム大阪~中之島編~」開催します! www.facebook.com/events/4362496…

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@piyokoroom ありがとうww ミックスジュース・ナイトフィーバーをやったことがある人にはすぐわかる例えですww

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クリエイティブ・ツーリズム大阪の中之島編。アートエリアB1にて。鉄道芸術祭。監修が松岡正剛さん。驚きましたw pic.twitter.com/X437bXbj1T


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アートエリアB1の鉄道芸術祭。京阪46駅界隈の物語を展示中。京阪は京街道沿いなんで、まさに物語の宝庫。素晴らしいですな。 pic.twitter.com/of7z3pZwid


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愛珠幼稚園にて。人大杉。やっぱり入れませんでしたww pic.twitter.com/CmnvRtPMPn


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中之島緑道にて。十魚架。 pic.twitter.com/haljlG8aY4


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芝川ビル。定番ですなw pic.twitter.com/xAtzuGRIlH


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グタイピナコテカ跡。 pic.twitter.com/UOqG0iBB18


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大阪マラソン前夜にこういうこというとアレですけどマラソン、めっちゃ苦手です。七墓巡りとか三十三観音巡りとか高野街道全踏破とか暗越奈良街道全踏破とかは全然苦にならないんですが。

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明日は「古地図片手にJR大阪環状線まち歩き」です。ご興味ある方はぜひとも~!m(_ _)m ■10/27(日)10時より【全20駅制覇を目指して!古地図片手にJR大阪環状線まち歩き】第7回!天王寺駅から新今宮駅までを歩く! www.facebook.com/events/4876150…

posted at 19:28:08


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編集×批評=批評×編集

2013 年 10 月 26 日 Comments off

「まわしよみ新聞はわかるけど、直観讀みブックマーカーはいまいちようわからん・・・」といわれたのですが、ものすごく大まかに、簡単にいうと、「まわしよみ新聞」は「批評」(新聞の中から面白い記事を探し出してプレゼンする)して「編集」(記事をみんなで壁新聞にまとめる)するというメディア遊びなんですが、「直観讀みブックマーカー」はまず「編集」(直観讀みで無作為に言葉をブックマーカーに取り出す)して、その後に「批評」(なんでこんな言葉が出てきたのか?みんなで深読みしたり我田引水したり無茶な解釈をしたりして考える)する・・・というメディア遊びです。

ああ。自分で書いていて思いましたが、この発想って、やっぱり日常編集家のアサダワタルくんと、一般批評学会の岩淵拓郎さんという2人の変態ではなかった天才との出逢いから出てきてますな。同世代に、関西で、こういう人がいるっていうのはすこぶる悪影響ではなかった良い刺激を受けますww

■まわしよみ新聞
http://www.mawashiyomishinbun.info/

■直観讀みブックマーカー
http://tyokkannyomibookmarker.info/


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平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とはなにか』を直観讀みブックマーカーしてみました

2013 年 10 月 26 日 Comments off

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平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とはなにか』を直観讀みブックマーカーしてみました。

「繰り返し言う。コミュニケーション教育は人格教育ではない。」

すごいですな。名言です。

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2013年10月25日のツイート

2013 年 10 月 25 日 Comments off

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「低火山」なんて言葉があるのかどうかはわかりませんが「低い火山」というのは古代史上、非常に重要な聖地になりえると考えています。ぼくがそう思うようになったきっかけは大和三山。

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畝傍山(199メートル)、耳成山(140メートル)、天香久山(152メートル)のうち、畝傍山と耳成山が「低い火山」(もちろん現在は死火山です)なんですな。火山というのは地中のマグマを噴出します。つまり、地中にある黒曜石や銅や鉄といった貴金属が、地上にゴロゴロと点在する。

posted at 02:01:05

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これは文字通りお宝の山です。古代社会において、こういうお宝の山を押さえることができれば、まさに絶知的な権力を握ることができる。

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これは高い火山だとダメなんですな。1000メートル級、2000メートル級ともなれば、仮に山頂付近に貴重な貴金属が豊富でも、なかなか採りにいくことができない。「低火山」であるからでこそ、地上の王として君臨しやすい。

posted at 02:01:27

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なぜ日本列島の中で、飛鳥の地に大和王権が樹立しえたのか?それには「低火山」が重要なキーワードになってくるのではないか?と思っています。

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ちなみに畝傍山はかつては畝火山(まさしく火山の記憶が込められた山名といえます)といい、そこにあるのが神武天皇陵です。『記紀神話』の神武東征がどこまで本当の話かはわかりませんが、神武天皇は日向国から、わざわざ畿内半島にやってきて飛鳥に入って畝傍山で眠っている。

posted at 02:01:50

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低火山の麓で初代天皇が王権を樹立している。そう考えると、低火山はじつに意味深です。mutsu-satoshi.com/2013/10/25/%E4…

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あらゆるまちが素晴らしいように、あらゆる本もまた素晴らしい。 mutsu-satoshi.com/2013/10/24/%e3…

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九州島=畿内半島兄弟説 mutsu-satoshi.com/2013/10/24/%e4…

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某新聞のコラムで mutsu-satoshi.com/2013/10/24/%e6…

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「Nogata Off Cafe」さんと「西日本新聞社」さんのコラボ企画で「わびすけ本店」(福岡県直方市殿町2-19)さんにて「まわしよみ新聞」が発行されました! mutsu-satoshi.com/2013/10/24/%e3…

posted at 02:03:27

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かわいい! www.youtube.com/watch?v=SdqMB1…


posted at 02:41:29

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いまは、こういう時代なんですなぁ~。  誰でもISBNが取得できる「MyISBN」 数分で書籍を発行、Amazonで販売 b.hatena.ne.jp/articles/20130… @hatenabnewsさんから

posted at 03:15:56

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出版権についてのMyISBNの考え方 myisbn.jp/info/2013/04/p…

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Amazon.co.jpでオンデマンド印刷サービス開始 1冊からでも注文可能 b.hatena.ne.jp/articles/20110… @hatenabnewsさんから

posted at 03:18:23

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神戸新聞NEXT|社会|神戸市長選情勢 久元氏、市内全域で優位 www.kobe-np.co.jp/news/shakai/20… @kobeshinbunさんから

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世界の雑記帳:インド政府が金1000トンの発掘調査、「お告げ」信じる mainichi.jp/feature/news/2…

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■10/27(日)10時より【全20駅制覇を目指して!古地図片手にJR大阪環状線まち歩き】第7回!天王寺駅から新今宮駅までを歩く! mutsu-satoshi.com/2013/10/25/%e2…

posted at 12:12:35

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いきなり「三重県教育委員会高校教育課」の担当の方からお電話がありまして。「なになに???ぼく、三重県で女子高生と不純異性交遊とかしてないですよ!!」とか焦っていたら「じつは伊勢新聞の記者さんから、まわしよみ新聞のことをお聞したんですが」というお問い合わせでした。よかった。

posted at 15:13:05

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なんでも三重県の高校生のキャリア教育でも「まわしよみ新聞」を取り入れたいとのことで「それはもうぜひとも!よろしくおねがいします!」と返事いたしました。

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「伊勢新聞の記者さん」も知らないですし、三重県の方からのお問い合わせというのも初めてでしたが、こうしてまったく見ず知らずの方にも「まわしよみ新聞」が知られて評価されて実施したいといわれるのはほんとに企画者冥利な話です。

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またこういう予想外の広がりをするのも、いつか、どこかで、だれかが「まわしよみ新聞」を口コミで広めて応援してくれているからで、そういう意味ではほんとに感謝してもしきれません。みなさん、本当にありがとうございますm(_ _)m mutsu-satoshi.com/2013/10/25/%E4…

posted at 15:13:42

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あくまで予定なんですが・・・10/29(火)の東京新聞さんのコラム「メディア観望」にて「まわしよみ新聞」が取り上げられます!東京界隈の方はぜひとも東京新聞を買ってください!m(_ _)m ■東京新聞 www.tokyo-np.co.jp

posted at 15:30:41

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来週、京都・烏丸界隈のまち歩きガイドしますが、京都はやっぱり現物がまだ残ってるから面白くないんですな。大阪やと「かつては〇〇が、いまはなんとラブホテル!?」とかになってるので、その「ギャップ」「落差」が面白いわけでw 大阪のまち歩きと京都のまち歩きは楽しみ方が全然ちゃいます。

posted at 16:32:37

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京都の観光はちゃんと現物が残ってるので「語り」がいらないわけで「どうぞ」と見てもらったらそれで成立するわけです。語りをすればするほど嘘になる。大阪は現物なんかまるでないからとにかく語らないとわかってもらえませんw それで想像を膨らまして楽しむというのが大阪のまち観光の醍醐味です。

posted at 16:35:33

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京都を歩いていて思うのは海民の文化が非常に薄いということ。盆地都市の閉鎖性がぼくはちょっとダメで。北京より上海、ソウルより釜山、台北よりも高雄が好きで、盆地よりも港湾都市の方がやっぱり居心地がええですな。まず流れ者、マレビトに優しい。大阪ももちろんそうです。

posted at 16:50:39

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某高等専修学校で担任をやってはる大西さんが、授業の中で「まわしよみ新聞」を実施してくれました!大西さん曰く「普段、集中できない子も一生懸命やってました」とのことで、これは嬉しいですね^^  pic.twitter.com/3wmCb7NJ91


posted at 18:16:50

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「まわしよみ新聞」は新聞記事をプレゼンすることはもちろんですが、記事を切ったり、貼ったりするのがこれまた面白いんですわ。またプレゼンは「個人作業」ですが、みんなで壁新聞を作るのは「共同作業」なので、これで一挙に仲良くなります。

posted at 18:17:10

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大西さん、参加してくれた生徒のみなさん、ありがとうございました~!m(_ _)mwww.mawashiyomishinbun.info/archives/1548/

posted at 18:17:44


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某高等専修学校で担任をやってはる大西さんが、授業の中で「まわしよみ新聞」を実施してくれました!大西さん曰く「普段、集中できない子も一生懸命やってました」とのことで、これは嬉しいですね^^

2013 年 10 月 25 日 Comments off

某高等専修学校で担任をやってはる大西さんが、授業の中で「まわしよみ新聞」を実施してくれました!大西さん曰く「普段、集中できない子も一生懸命やってました」とのことで、これは嬉しいですね^^ 「まわしよみ新聞」は新聞記事をプレゼンすることはもちろんですが、記事を切ったり、貼ったりするのがこれまた面白いんですわ。またプレゼンは「個人作業」ですが、みんなで壁新聞を作るのは「共同作業」なので、これで一挙に仲良くなります。大西さん、参加してくれた生徒のみなさん、ありがとうございました~!m(_ _)m

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メディア観望

2013 年 10 月 25 日 Comments off

あくまで予定なんですが・・・10/29(火)の東京新聞さんのコラム「メディア観望」にて「まわしよみ新聞」が取り上げられます!東京界隈の方はぜひとも東京新聞を買ってください!m(_ _)m

■東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/


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企画者冥利

2013 年 10 月 25 日 Comments off

いきなり「三重県教育委員会高校教育課」の担当の方からお電話がありまして。「なになに???ぼく、三重県で女子高生と不純異性交遊とかしてないですよ!!」とか焦っていたら「じつは伊勢新聞の記者さんから、まわしよみ新聞のことをお聞したんですが・・・」という「まわしよみ新聞」のお問い合わせでした。よかった。なんでも三重県の高校生のキャリア教育でも「まわしよみ新聞」を取り入れたいとのことで「それはもうぜひとも!よろしくおねがいします!」と返事いたしました。「伊勢新聞の記者さん」も知らないですし、三重県の方からのお問い合わせというのも初めてでしたが、こうしてまったく見ず知らずの方にも「まわしよみ新聞」が知られて評価されて実施したいといわれるのはほんとに企画者冥利な話です。またこういう予想外の広がりをするのも、いつか、どこかで、だれかが「まわしよみ新聞」を口コミで広めて応援してくれているからで、そういう意味ではほんとに感謝してもしきれません。みなさん、本当にありがとうございますm(_ _)m

■まわしよみ新聞
http://www.mawashiyomishinbun.info/

■まわしよみ新聞facebookページ
http://www.facebook.com/mawasiyomisinbun

■伊勢新聞
http://www.isenp.co.jp/

■三重県教育委員会
http://www.pref.mie.lg.jp/kyoiku/hp/


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■10/27(日)10時より【全20駅制覇を目指して!古地図片手にJR大阪環状線まち歩き】第7回!天王寺駅から新今宮駅までを歩く!

2013 年 10 月 25 日 Comments off

10/27(日)朝10時から古地図片手にJR大阪環状線まち歩き第7弾。いよいよ天王寺から新今宮へ。このへんはマヂで「濃い」ですw 基本的にJR環状線まち歩きはアジールだらけなんですが、今回は、とくにディープです。途中退場もOKですし、台風も大丈夫そうなんで。ご興味ある方はぜひともm(_ _)m
 
■10/27(日)10時より【全20駅制覇を目指して!古地図片手にJR大阪環状線まち歩き】第7回!天王寺駅から新今宮駅までを歩く!
http://www.facebook.com/events/487615078002021/

古地図を片手に大阪の大動脈・JR大阪環状線を駅、線路沿いに歩いて、その界隈の名所・旧跡を知ろう!というプロジェクトです。第7回目は天王寺駅から新今宮駅までを歩きます。

■開催日時:10月27日(日)10時~12時頃予定
■集合場所:JR大阪環状線「天王寺駅」構内の「大阪市案内所」前。
■参加費:1000円
■定員:15名
■ガイド:むつさとし(悪所観光家)

※第1回は大阪駅から天満駅まで歩きました。
http://www.facebook.com/events/363644633751286

※第2回は天満駅から桜ノ宮駅を経て京橋駅まで歩きました。
http://www.facebook.com/events/343577679087425

※第3回は京橋駅から大阪城公園駅を経て森ノ宮駅まで歩きました。
http://www.facebook.com/events/495572393826037/

※第4回は森ノ宮駅から玉造駅を経て鶴橋駅まで歩きました。
http://www.facebook.com/events/263093873828308/

※第5回は鶴橋駅から桃谷駅まで歩きました。
http://www.facebook.com/events/641184542576002/

※第6回は桃谷駅から寺田町駅を経て天王寺駅までを歩きました。
http://www.facebook.com/events/156656964530411/


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