木原伸雄『やさしいレストラン』の直観讀みブックマーカー。
http://www.facebook.com/tyokannyomibookmarker
「超高層ビルはまるでバベルの塔のように壮大ですが人間がとても小さく文明に使役されている奴隷のように見えますね」
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偶然による、予測不能な、未知のコトバに対して、想像力を働かせ、深読みして、推察して、これはなにかの暗示や比喩であると捉え、むりやり意味付けたり、都合よく解釈したり、我田引水したりして、そのギャップを笑い、驚き、楽しむ。哲学的で、逍遥的で、じつに味わい深い本の遊び方。
やってみればわかりますが、これは、だれもが、夢中になります。まさにコモンズ・デザインの完成系。今日のトークイベントでも直観讀みブックマーカーをやりたいと思います。みなさん、ぜひとも。
■9/25(水)18時30分より神戸KIITOにてトークイベント「.DOCKTALK~デザインの内と外~ゲスト:陸奥賢」
http://www.facebook.com/events/379747035461206/
「NIE」(Newspaper in Education=教育に新聞を)という運動があります。1930年代にアメリカで始まったそうで、メディア・リテラシーを育てる効果があるとされていますが、1930年代から長年やってるわりに、アメリカのマス・メディアの偏向報道の酷さをみていると、それほど、効果があるようには思えないなぁ・・・というものですw 日本で本格導入されたのは1989年だそうですが、Wikipediaを見ると「問題点」というのが列記されていて、なかなか手厳しい。
■「NIE」の「問題点」
http://ja.wikipedia.org/wiki/NIE
①新聞社は私企業であり、結局のところは、近年の新聞の売り上げの落ち込みのテコ入れ策でしかない。また、そういった新聞の売り込みそのものを教育の現場に持ち込む事に対する批判。
②新聞界において、昔から延々と発生し続ける記事の捏造や冤罪報道といった報道被害の情報は伏せられてしまい、意味がない可能性がある。
③既存の権力構造である新聞社が協力するため、そこから抜け出した考えをもち、偏向報道を見抜く事は困難であるかもしれない。
④新聞紙面の文章の言い回しは、一般社会ではありえないか、あるいは非常に抽象的かつ曖昧な表現が多い。そのうえ最近の新聞は、固有名詞を除けば、文字の表記を常用漢字に限定したり、必要以上に開いた表記(話す→はなす)を採用しており、文章の読解力向上に特に効果があるとは言い難い。
⑤教師が意識して、特定の新聞のみ教材として用意するなどで、恣意的な教育が行われる可能性がある。
⑥そもそも、日本の新聞は諸外国のそれと比較して、出版部数や価格の割に、内容が非常に薄い(欧米の日刊紙の半分程度しかない)。
「まわしよみ新聞」をやっていると時々「NIEは盛り上がらないのに、なんでまわしよみ新聞はこんなに盛り上がっているんですか?」と聞かれるんですな。上記のような問題点を「まわしよみ新聞」が解決するのは思えませんが、ただ「まわしよみ新聞」というのは決して「NIE」的なベクトルを志向したものではないんです、とは答えています。要するに「まわしよみ新聞」とは「教育のため」とか大袈裟なものではなくて、単なる「遊び」でしかありません。新聞記事を使ったカードバトルか大喜利大会か与太話の類であって「NIE」をもじれば「PIN」(Play in Newspaper=新聞を遊ぼう)というものです。だから面白いし、誰でも夢中になってやってくれるんですな。
「まくら投げ」ってのがあります。誰が始めたのか知りませんが、発案したひとはまさしく天才でしょう。寝具のはずの「まくら」を投げて、なんと遊びの道具にしてしまった。おそらく、昔のまくらは固かったんでしょうが、時代が経るにつれて進化して、柔らかくて、肌さわりもよくて、心地いいものになっていった。そうなったときに、誰かがこれはぶつけても痛くない=ぶつけるゲーム=「まくら投げ」やろうぜ!となった。遊びの発想を導入することで、まくらに「まくら投げ」という可能性が生まれ、世界が広がった。
「まわしよみ新聞」をやっていて、結果として、教育的な効果やメディア・リテラシーの醸成にも繋がるのかもしれませんが、そこは二次的三次的なものだとぼくは思ってます。僕個人の想いとしては、もっと新聞で遊ぶってことが世の中には必要だし、それをやりたいんですな。ぼくは新聞を遊びたい。メディアを遊びたい。そうすることで、新しい可能性や世界が開けてきますから。
■まわしよみ新聞
http://www.mawashiyomishinbun.info/
今週土曜日9/28(土)10時からいよいよ「大阪モダン寺ツアー」やります!そのバイブルはこちら!工学博士横山秀哉先生の歴史的名著『コンクリート造の寺院建築』(彰国社)。こちらに記載されている大阪の名モダン寺のいくつかを巡りたいと思います。
木は1000年持つ。コンクリートはじつは100年しかもたない。モダン寺とは、つまり「もののあはれ」であり、「滅びの美学」を体感するツアーです。ぜひともご参加を!!
■9/28(土)10時より第1回「大阪モダン寺巡礼リサーチツアー」開催します!参加者募集中!
http://www.facebook.com/events/293710574103393/
なんだかんだで、明日・明後日(9/21、22)はいよいよ日本最大の市民メディア交流イベント「大阪メディフェス2013」(應典院にて)。早いもんですな。
とくに明日の21日は大阪メディア体験として6つのプロジェクトが用意されていて、「カフェ放送てれれ」「釜ヶ崎まち歩き@ココルーム」「まちライブラリー@大阪府立大学」「2畳大学」「なるへそ新聞@ブレーカープロジェクト」の中に混じって「まわしよみ新聞」も参加してるんですが、よくよく考えると、てれれさん、ココルームさんは「10年選手」で、まちライブラリーさん、2畳大学さん、なるへそ新聞さんも5年以上はやっていて、じつは「まわしよみ新聞」がスタートしてまだ1年も経っていないというヒヨッコ新参メディアなんですな^^; 「まわしよみ新聞」は、僕個人も驚くほどに急成長・急拡大していて、ほんまにありがたいことなんですが、じつはそれだけに足腰が非常に脆弱でドタバタですorz それはそれで楽しめたらええか、と思ってますがw 関係者のみなさん、ご迷惑をおかけしたらすいません。申し訳ございません。ごめんなさい。もう最初に謝っておきますm(_ _)m
なにはともあれ、今回の「大阪メディフェス2013」は、日本全国の市民メディアの動きがわかりますが、バラエティ豊かな6プロジェクトの参加で、図らずも「大阪メディアの10年の流れ」を可視化する企画にもなると思います。金も時間も人も知恵もない。あるのは「いっちょかみ」かつ「いちびり」な大阪人メンタリティのみ。中央集権的な東京メディアにはない大阪メディアの面白味や可能性や反則技(ww)を感じてもらえたら嬉しいですな。ぜひともご参加を!
■9/21(土)「大阪メディフェス2013」(会場:應典院)にて日本全国の地方新聞で「まわしよみ新聞」を作成する「全国地方まわしよみ新聞」開催!
http://www.facebook.com/events/1404305863117813/
「九州初!まわしよみ新聞ワークショップ」となった「NEWS cafe×space R design ~まわしよみ新聞に挑戦♪~」を主催してくれたまわしよみ新聞編集長の吉田さんのレポートです!いろいろと以下のような感想をもらいました!
■参加者の声①
・記事は内容も大事だけど、目をひくというのも大事。
・スマホでは見つけれない記事をみつけた。
・記事と自分の関係を探していた。
■参加者の声②
・同じ記事でも捉え方が違う!
・他者の切り抜いた記事が面白い!
・プレゼンを聞くことで記事の内容が身近に感じれた。
・記事の向こうを人を通して知ることが出来た。
・自分の気づかなかった楽しい記事がいっぱいあった!
・他者にプレゼンすることで記事の背景や記者の意図を感じることが出来た。
■参加者の声③
・新聞をつくる楽しみを味わえた
・みんなが注目した記事で新聞をつくると面白い!
・みんなの思いが形になった!楽しい!
・選んで切って貼っていく。デジタルよりもしっかり情報が刻まれていく気がした。
・今の福岡の関心事がここにある!
・新聞はみんなで読むと楽しい。
・「新」から「親」へ、変わらないと。
臨場感あふれるレポートで、九州のみなさんのあいだでも色々と盛り上がったようで、とても嬉しいです。企画者冥利ですねw 吉田さん、ご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました~!^^
■NEWS cafe×space R design ~まわしよみ新聞に挑戦♪~
https://www.facebook.com/notes/514808828602033
福岡(九州)初となる「まわしよみ新聞」ワークショップを開催しました!!参加者の声を交えながら、簡単に紹介させていただきます!
■他者性(Alterity)
己(私)の意識や能力には還元できない他者のもつ特性、たとえば非対称性・超越性・外部性などを指す。自我の絶対確実性から出発した近代哲学が見失った、他者の固有性や異質性を見直した語。
以上は『広辞苑』より。
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近代哲学はデカルトの『方法序説』にあるように「我思う故に我あり」という自己性の発見から出発しました。自己以外の存在=他者というものは非常に曖昧模糊で、胡乱で、未確定で、不随意なものだから、そこを人間世界の立脚点にすることはできない。他者性の排除によって秩序を構築していく。実際に自己性(「人間なんて基本的にみんな一緒ですよ」ということの安心と横暴)を規範とすることで近代文明が誕生し、ここ300年間ぐらいは、この世界モデルで突き進んでいきましたが、もう完全に限界で飽和状態で末期症状にあります。こんなことは思えば当然のことで、むしろ世界は自己性ではなくて、99.9999999%ぐらいは他者性に支配されている社会ですから、他者性というものをどう捉えなおして社会秩序を構築していくべきか?を考えないことには、ぼくらの世界は当然、立ち行かなくなってしまうわけです。
「コモンズ・デザイン」というのは、要するに「他者性との出逢い方」です。恐ろしくも美しい、麗しくも残酷な、このカオスモスな世界を証明する非対称性・超越性・外部性・固有性・異質性に触れるためのデザイン。いまのところ、ぼくはそこにしか、興味・関心がありません。そんな話をKIITO(デザイン・クリエイティブセンター神戸)でします。よろしければぜひとも。
■9/25(水)神戸KIITOにてトークイベント「.DOCKTALK~デザインの内と外~ゲスト:陸奥賢」
http://www.facebook.com/events/379747035461206/
「.DOCKTALK」は、神戸市が2012年7月に創刊したデザイン都市・神戸の取り組みを発信していくフリーペーパー『.DOCK』の公開取材イベントです。今回はまち歩きを通じて地域から地域の魅力を市民の手で発信していく「大阪あそ歩」や、新聞をみんなで回し読みして既存メディアの新しい可能性を探る「まわしよみ新聞」など、日常にある物事から新しい視点を発見・共有し続けている陸奥賢氏をお招きします。いわゆる業界的な「デザイン」の領域に収まらない、幅広い層に響く陸奥氏の「コモンズ・デザイン」についてお話をうかがいます。※事前にお申し込みください。参加申し込みは以下のURLでお願いします。
http://bit.ly/1bsBrTO
「人間」というのは「人と人とのあいだ」と書くわけですが、この「あいだ」ってのが「メディア」(中間、真ん中、媒体)です。要するに、「人」は「メディア」(間)をもつことで、はじめて「人間」となる。人間の条件とは、つまりメディアをちゃんと持っているか?ということでもあります。
またメディアの語源は「mediums」ですが、これは「人と自然」「人と超自然」のあいだに位置する女性のことで、要するに「巫女」でした。大阪の應典院という宗教的な場で、メディアの祭典「大阪メディフェス2013」をやるということは、メディアの原点回帰現象でもあるとぼくは勝手に解釈しています。
混迷するメディア文明の時代を考えるのに、これほど相応しい場はないともいえるでしょう。ぜひともご参加を^^
■9/21(土)「大阪メディフェス2013」(会場:應典院)にて日本全国の地方新聞で「まわしよみ新聞」を作成する「全国地方まわしよみ新聞」開催!
http://www.facebook.com/events/1404305863117813/
http://www.mawashiyomishinbun.info/archives/1158/
「まわしよみ新聞」は、「人と人とのあいだ」を取り持つメディア・デザインなんですが、「直観讀みブックマーカー」は、「人と超自然とのあいだ」を取り持つメディア・デザインです。「直観で本を開いて文章を抜き取る」という行為は、「まわしよんで記事を選んで切り取る」という行為よりも、明らかにロジックを飛び越えている。しかし、いまのぼくらに、現代社会にもっとも必要なものは「直観讀み」だと、「まわしよみ新聞」をほぼ1年間やり続けて、ぼくは確信しています。
「かごめかごめ」って、子供の遊びがあります。「駕籠の中の鳥」は目を隠している。そのまわりを子供たちが「かごめかごめ」と歌いながらグルグルまわる。「後ろの正面だあれ?」。よくよく考えると、じつに奇妙奇天烈な遊びです。そんなのわかるはずがない。だって駕籠の中の鳥は目を隠しているんだから。でも、子供たちには、わかる。なんでわかるのか?それは「直観」によってわかるんです。
近代社会が切り捨てたものが、これです。人間社会のルールを超えた、超自然なものとの出逢い。その知覚。霊性。ロジックではなく、直観の中にこそ、真実が、刹那、垣間見える。
■10/1(火)19時より「まちライブラリー@大阪府立大学」にて「直観讀みブックマーカー」を作ろう!
http://www.facebook.com/events/507316879357708/
メディアを生産する。メディアを消費する。そういう2極化は結局、メディアを貧しくする。メディアはもっと多様です。まわしよみ新聞は、メディア(新聞記事)を切って張ったり、編集したり、講談の材料にしたり、男女の出逢いの場にしたり、といろいろと遊んでますが、もっと極端に、メディアを食べたり、噛んだり、舐めてみたり、運んでみたり、脱構築してみたり、批評してみたり、飛ばしてみたり、ちぎってみたり、投げてみたり、捨てたりしてもええんや!それもメディアなんや!…ということをやるのが、今年の「大阪メディフェス2013」のキャッチコピー「メディアを捨てて、メディアになろう!」の意味です。
メディアってもともと「中間」を意味する言葉です。人と人(この中間は人と自然や人と超自然のときもあります。宗教や芸術はその役割を果たしてきました)のあいだにあるものはすべてメディアであるし、もっともっと中間のグラデーションを増やすことがメディアをより面白くする。それに挑戦しているメディア・プレイヤー(メディアを遊ぶひと)が日本全国からやってきます。ぜひともご参加してみてください。
■9/21(土)「大阪メディフェス2013」(会場:應典院)にて日本全国の地方新聞で「まわしよみ新聞」を作成する「全国地方まわしよみ新聞」開催!
http://www.facebook.com/events/1404305863117813/
http://www.mawashiyomishinbun.info/archives/1158/
徐々に申し込みが増えてきました!9/21と22の2日間でスタッフあわせて120名以上の参加者がいるようですが、しかし、まだまだ参加申し込み可能です。予約なしで当日いきなりの参加もOK。途中参加途中退出もOKです。ぜひともご参加ください!21日は6つの大阪流市民メディア体験を。22日は市民ニュースサイト「8bitNews」主宰の堀潤さんの基調講演とディスカッションです。
情報文明の時代。世界はまさにメディアによって動く。しかしメディアは「えらいひと」とか「有名人」とか「だれかさん」のものではありません。「ぼく」の、「わたし」のものです。それが奪われている世の中はおかしい。みんながメディアの当事者にならないといけない。何卒よろしくお願いします!
■9/21(土)「大阪メディフェス2013」(会場:應典院)にて日本全国の地方新聞で「まわしよみ新聞」を作成する「全国地方まわしよみ新聞」開催!
http://www.facebook.com/events/1404305863117813/
http://www.mawashiyomishinbun.info/archives/1158/