江戸は消費都市。大坂は生産都市。
元禄時代の大坂は収入400万両、支出120万両で、毎年、約280万両の黒字でした。対して江戸幕府は収入70万両、支出140万両で毎年、約70万両の赤字でした。江戸は消費都市。大坂は生産都市として繁栄したことがよくわかります。
元禄時代の大坂は収入400万両、支出120万両で、毎年、約280万両の黒字でした。対して江戸幕府は収入70万両、支出140万両で毎年、約70万両の赤字でした。江戸は消費都市。大坂は生産都市として繁栄したことがよくわかります。
5月8日は何の日?大阪夏の陣で大坂城が落城した日です。この日、豊臣政権が滅び、淀殿が亡くなりました。画像は淀殿のお墓で、大阪市北区の太融寺にあります。命日にお伺いすると墓に白ユリが添えられてました。
じつは燃えさかる大坂城の中で、淀殿は自分の侍従の女性たちに「ここから逃げなさい」といって秘密の抜穴で逃亡させ、命を助けたとか。以後、彼女たちは淀殿の命日に集まって密かに淀殿の菩提を弔い、それは侍従の子孫にまで受け継がれ、1615年の夏の陣から2011年の現在に至るまで、その法要は欠かされたことがないんです。この日もわざわざ淀殿の故郷の小谷から侍従たちの子孫の方が来てました。白ユリを供えるのは、淀殿が白ユリを愛でたからとか。
この手の「知られざる歴史秘話」のようなものは、大阪のまちを歩けば、いたるところに、そこらじゅうに、ゴロゴロしてます。大阪は「文化不毛の地」「歴史なんかない」と思われがちですが、じつは物語の宝庫。日本最大の歴史都市、文化都市、物語都市が大阪です。そろそろ大阪への都市認識、都市イメージを改めてほしいですねぇ。
空堀の名店「洋食の店 もなみ」のハンバーグ。もなみさんは元は神戸の店でしたが震災で大阪に移転。神戸と同じようにサービスしてるのに、大阪人から「遅い」といわれて大変やったそうです(笑)しかし、負けてなるものか!とサービスを向上させて、いまでは大繁盛に。
名店というのは客が育てるんですな。オススメです。
毎年恒例(?)となりましたA’ワーク創造館の「イベント・企画デザイナー養成講座」を今年も実施します。ぼく、梅山くん(A’ワーク創造館スタッフ・2畳大学学長)、アサダワタルさん(日常編集家・オフィス事編kotoami主宰)の3人で、色々と「コミュニティ・デザイン」について語ります。ぼくは毎回、狂言役で「(イベント・企画デザイナー養成講座なのに)イベントなんてやめてしまえ!」と過激なことをいうんですが(笑)興味がある方は参加してください。
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イベント・企画デザイナー養成講座
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http://www.adash.or.jp/?p=2800
「講座やイベントをしなければいけないんだけど、いつも同じような感じになってしまって変化がない」「はじめは面白がって来てくれたけど継続しない」など感じていませんか。これからの時代を切り開いていくような新しい発想で生まれた事例をもとに、アイデアを形にしていく力を育てましょう。
この講座では、「イベント・企画」を一過性やルーチンなものではなく、特定のコミュニティ(家族・身内から、自分の住んでいる地域、都道府県、全国レベル、または社会的マイノリティな立場の集団まで)の中にある関心や問題意識などを探求・解決していくための「コミュニティデザインのための手段」としてを捉えます。そして、「企画書ができた後」の運営ノウハウを学ぶのではなく、「企画書に起こすまで」のアイデアを思いつくための基盤づくりと、思いついたイメージやアイデアを形にするためのコツを学びます。
講座は、全4回の講座+1回の個別相談(3日目までの間に実施)で構成されています。個別相談では、具体的なアイデアがあればワークショップに向けて内容の整理をおこないます。また、具体的なアイデアがなくても、モヤモヤを具体化させたり、そのヒントを探すお手伝いを一緒にします。
◎プログラム
1日目:【講義1】コミュニティデザインのツールとしての「大阪あそ歩」
2日目:【講義2】イベント・企画のデザインを始める前に
オプション:個別相談(3日目までの間に実施)
3日目:【ワークショップ1】「イベント制作ワークショップ」
4日目:【ワークショップ2】「イベント制作ワークショップ」
◎こんな人にお勧め
・NPOなどの団体や組織でイベントや講座、企画などを担当している方
・アイデアはあるけど、なかなか形にならないという方
・自分の住んでいる地域で何か始めてみたいが、モヤモヤしている方 など
◎講師
●陸奥 賢 (大阪あそ歩アシスタントプロデューサー/株式会社まちらぼ代表)
大阪あそ歩 http://www.osaka-asobo.jp/
大阪の「まち」を舞台にコミュニティ・ツーリズムを企画、実施している「大阪あそ歩」。2011年度には大阪市内150エリア以上で「まち歩き」「まち遊び」を展開します。新しいものを1から作るのではなく、元々ある面白いものを見てもらう。そんなコンセプトで、3年目を迎える今年も人気が拡大中。
●アサダワタル (日常編集家 / オフィス事編kotoami主宰)
1979年生。大阪市立大学法学部卒。音楽や美術などの表現領域で培った妄想を、都市政策、社会福祉、メディア制作などに転用させる数々のプロジェクトの構想・演出を手がける。活動コンセプトは「日常再編集」「分野ノマディズム」「積極的コミュニティ難民」。近年の代表的な活動として、自宅の一部を他者に開放する「住み開き」という概念を提唱。その活動について執筆した共著「編集進化論 editするのは誰か」がフィルムアート社より2010年9月出版。2011年秋には、単著「住み開き(仮題)」が筑摩書房より出版予定。ソロ「大和川レコード」、バンド「SJQ」(HEADZ/cubicmusic)にてライブ活動やCDリリース、神戸女学院非常勤講師、NPO「cocoroom」副代表理事、近江八幡ボーダレス・アートミュージアム「NO-MA」アドバイザーとしても超雑多に活動中。
日時:2011年7月6、13、20、27日(水曜日)19:00~21:00、全4回
参加費:¥12,600(教材費・税込み)
定員:15名(先着順)
会場:A´ワーク創造館
申込:まずはお電話にて。
06-6562-0410
ル・コルビュジエの『輝く都市』構想。人工都市ブラジリアの失敗で懲りたか?と思いきや、まったくデベロッパーも学会も大衆もまったく懲りてない。人間の真実のライフは『輝く都市』なんかにあるわけがない。それは曲がりくねった路地と赤提灯と人目を偲んで寄り添う不倫カップルで構成される。駅前ビル、曽根崎、堂山には、ほんまもんの人間がいる。それは近松門左衛門の『曽根崎心中』のお初・徳兵衛の昔から変わらない。だから美しい。
大阪あそ歩のまち遊び企画昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~で立ち寄り、お土産に買って帰りました。阿倍野名物の「はやし製菓本舗」さんの「浪花ことばせんべい」。郷土史研究家で『大阪ことば事典』編者の牧村史陽さんが「これが大阪やいうもんを作ろうやないか」と先代のご主人と考案して作られたとか。
全部で26種類あるんですが、面白いので100種類ぐらい作ってほしいなぁ・・・と勝手に思っております(笑)
明治20年(1888)、東京電燈が直流電送を開始。翌年に大阪電燈(1889)が出来て、こちらでは交流電送を開始しました。当時は世界各国でも「直流か?交流か?」で電力会社は悩んでいたんですが、大阪は「交流のほうが直流より長距離送電に向いている」として60ヘルツの交流方式を採用したんです。
ここで東京電燈と大阪電燈のあいだで有名な「交流・直流論争」が起きるんですが、東京電燈はメンツがあるので、これまで通りの直流方式(50ヘルツ)を採用。その後「直流は古い。交流の方が効率ええで」ということになって、大阪の大勝利!で話が決着するのですが、ここで東京電燈は嫌らしく、なんと明治28年(1895)になって「50ヘルツの交流発電」を始めました。
「直流と交流では負けた。しかし大阪と同じにするのは癪に触る。交流にはするが50ヘルツのままだ!」というわけです。こういう非効率な送電を推し進めた国家は日本だけやそうです。この東京電燈の後進が、ご存知、東京電力。原発事故でなぜ東日本が電力不足に陥って、西日本はお構いなしに賄えるか?というと、こういう歴史的経緯があります。
最初から東京電燈が素直に「60ヘルツの交流発電」にしておけば、現在のような原発事故が起こっても関西、西日本から電力を回すことができたはずなんです。今後、東日本が電力不足で「やはり東西の周波数を揃えよう」という話になったときは「大阪方式の60ヘルツに」と言いたいですな。つまらない意地を張って、今日の災厄を招いているのは東京電燈(東京電力)の責任ですから。
大阪駅は元は梅田墓(うめだばか)。大阪でも由緒ある墓地でした。大阪駅に来た人に、そういう「風土」をちゃんと話するべきだとぼくは思ってるんですが。大阪駅は、大阪とか東京といった空間的なつなぎの場だけではなく、生者と死者を時間的に繋ぐ場であるべきなんです。そういうことが、これからのまちづくり、くにづくり、ひとづくりに最も大切なことです。