淀屋橋odonaの前を歩いていたら谷町空庭プロジェクトの空庭さんと遭遇。「なにしてますのん?」と聞くとマルシェ・ジャポン・プロジェクトの「大阪マルシェほんまもん」に出店しているそうで、いま人気急上昇で絶賛売り出し中という「寺内マフィン」を買いました。
富田林市の寺内町にある「みりんの醸造蔵」を活かしてできた店舗「里庭カフェ」のプロデュースで、地元の素材を使い、膨張剤などを加えずに、石窯独特のやわらかい熱で焼き上げているとか。米粉100%で、季節の果物や野菜が入ってました。空庭さん曰く「新しい富田林・寺内町名物スイーツにしたい」とのこと。美味しかったです。オススメ!
ふと南船場の事務所から堺の実家まで歩いたらどうなるか?駅でいうと心斎橋駅から新金岡駅まで。夜9時出発で、約3時間ぐらいでつきました。距離でいうと15キロ。昔でいえば約4里です。
限定化された、均質的で、受動的な都市空間を逍遥しながらも、ぼくの意識はどこまでも純粋持続していく。自由意志の発露。ベルクソン的『時間と自由』の体感です。「都市遊歩者』(フラヌール)こそは真実の「エラン・ビタール」(生の躍動)を知る。
おかげで、いま、筋肉痛ですが。あいたたた(笑)
かつて兵庫県は日本の首都でした。1180年に平清盛が京都の平安京から兵庫の福原京に遷都。神戸市兵庫区にある「雪御所町」はちゃんと御所があったことの名残です。じつに美しい町名。いまもまちの人の誇りです。
ちなみに平安京を「千年王都」とコピーするのは間違いで、あいだにわずか半年ですが福原京遷都の時代(福原時代。笑)がありますから、正確には「四百年王都」の前期平安京(794〜1180)と、「七百年王都」の後期平安京(1180〜1868)となります。京都人は福原京をなかったことにしようとしてる。けしからん!・・・これ、ぼくがいうてるんちゃいますよ。福原の人らが、そういうて怒ってはりました(笑)
また、もし清盛の福原京が成功していたら、まさしく日本の歴史が回天する一大偉業(平清盛の夢のあと~荒田八幡神社:福原遷都八百年記念碑~)でした。いまこそ、ちゃんと福原京遷都の歴史を伝えましょう。
公務員の人件費を下げる。それは必要なことかも知れませんが、公務員も消費経済を担ってますから、給料が減るとデフレが推進します。そこで大切なことは民間の消費マインドを向上させること。それには最低賃金のアップが有効です。つまり民間の給料を上げる。公務員の仕事を民間に委託することで失業者を雇用するというのも手でしょう。
ところが民間の給料をあげると、今度は会社の経費(人件費)が嵩んで困ります。だから法人税の減税を実施する。しかし減税するとなると、国家予算がなくなります。だからまた公務員の人件費を下げる・・・こうやって「公務員削減」「最低賃金アップ」「法人減税」の3点セットを繰り返すことで、「小さい政府<大きい民間」によって景気を刺激して回復させる。
もちろん景気が好転して民間が潤えば、やがて税収もあがり、政府(官僚・公務員)も潤っていきます。ただ順番としては政府に税収が廻ってくるのは一番最後になります。まず民間。次に企業。政府は後回し。しかし政府が自分たちの利益を一番最後にするだけで、それを世間の人は「善政」と呼んで褒め称えます。いまは身内(政府・官僚)を最優先して、次に企業、最後に民間がようやく掬い上げられる。こういう構造は民間からいうと「悪政」と罵られる。
ただたんに公務員の人件費を下げたって、デフレになるだけで、まったく効果がなく。ちゃんと明確なビジョン(小さい政府<大きい民間路線)をもって、色々と畳み掛けてほしいです。
国家公務員給与、1割引き下げ方針…復興財源に
政府は30日、国家公務員給与を1割前後引き下げる方針を固めた。東日本大震災の復興財源確保の一環で、実現すれば約3000億円の人件費削減となる。5月の連休明けにも公務員労働組合に提示し、交渉を始める。政府は、関連する給与法改正法案などを今の通常国会に提出する方針だ。人事院勧告を経ずに給与改定が行われれば、1948年の人事院発足以来初めてとなる。
引き下げについて、枝野官房長官は30日午前の記者会見で、「具体的な引き下げ内容を政府内で検討している」と述べた。政府内では、引き下げ幅について、若手職員の削減幅を小さくし、その分、幹部職員の下げ幅を厚くする案が有力となっている。ただし、若手の給与が幹部職員の分を上回らないようにする。このため、総人件費の削減幅は最終的に1割に達しない可能性もある。
(2011年4月30日13時36分 読売新聞)
大阪あそ歩まち遊びプログラム「昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~」で立ち寄った、阿倍野の老舗ビリヤード場「保名倶楽部」にて。
昭和の日に昭和町まち遊び~どっぷり昭和町を満喫!~
まちおこし企画「どっぷり昭和町」の会場で昔懐かしい遊びを楽しみます。保名倶楽部では(南大阪で一番古いビリヤードのお店)、ここでは千代さんの長男でいらっしゃる放送作家の南川泰三さんからお話をうかがいます。名物せんべい屋さんでの試食、そして最後は国登録文化財の寺西家でしっとりと優雅な奧田真祐美さんのシャンソン。「昭和」を満喫できる盛りだくさんのまち遊びです。
この日は小説『玉撞き屋の千代さん』(ホーム社発行・集英社発売)の原作者で放送作家の南川泰三さんにもご登場いただいて、たっぷりと千代さんのお話や、昭和の思い出話などをお聞かせいただき、参加者のみなさんも大喜びでした。南川さん、本当に、ありがとうございました!
ナショナリズム(愛国主義)は危険です。なぜ危険であるか?というと、国家というコミュニティは大抵、軍隊という暴力装置を持っているからです。ただこの1点だけで、愛国主義は、狂気となりうる。その危険性を常にぼくらは認識しておかないといけない。
パトリオティズム(郷土愛)が救われているのは、ふるさとや都市というコミュニティは基本的に軍隊をもたないから。戦争という手段をもたないコミュニティであるから、どれだけ声高にパトリオティズムを叫ぼうとも、まぁ、酒場で酔っ払ったオッサンの自慢話みたいなもんで、微笑ましいもんです。
ぼくは、だから、パトリオティズムの錦の旗印を掲げる。安酒に串カツ食べて、さぁ、大いに、わがまち、郷土を語ろうではないか。
大阪市中央区今橋にある近代名建築大阪倶楽部です。大阪倶楽部、高麗橋野村ビル、大阪瓦斯ビルヂングは、大阪・船場地区を代表する近代名建築で、すべて建築家・安井武雄が絡んでます。
安井武雄は東大卒ですが変わり者で、卒論に和風建築を取り上げて、そんな慣例がなかった東大建築コミュニティからは干されてしまい、そこを「おもろいやっちゃ」と野村財閥の野村徳七が拾い上げました。
東京ではあかんくても、大阪では許された。大阪倶楽部、高麗橋野村ビル、大阪瓦斯ビルヂングは、そういう大阪人の懐の深さの証明で、誇りです。
かつて兵庫県は首都でした。1180年に平清盛が平安京から福原京に遷都。雪御所町はその名残です。じつに美しい町名。いまもまちの人の誇りです。
ちなみに平安京を「千年王都」とコピーするのは間違いで、あいだにわずか半年ですが福原京遷都の時代(福原時代。笑)がありますから、正確には「四百年王都」の前期平安京(794〜1180)と、「六百年王都」の後期平安京(1180〜1868)となります。
京都人は福原京をなかったことにしようとしてる。けしからん!
これ、ぼくがいうてるんちゃいますよ。福原の人らがそういうてます(笑)
大阪・堺旧港に転がっている旭橋の橋柱。この橋の袂に出来たのが旭館(朝陽館)で、そこで結成されたのが堺酒造。堺酒造が製造したのが「旭麦種」=現在の「アサヒビール」です。
つまり、ここは「アサヒビール発祥の聖地」なんですが、ご覧のありさまでして。まったく整備されずに放置状態。こういうとこが大阪なんですな。奈良や京都よりも古い、物凄い歴史都市なのに、それを全く顧みず、継承しようとしない。経済効率一辺倒でやってきた。
そういう実質主義の大阪気質は、それほど嫌いでもないのですが、これからの時代は経済効率ではなく、そういった日本古来の文化が武器になってきますから。早く大阪人は自分たちの物凄い武器に気づいて欲しいですな。