「東京らしいグルメを!」というぼくのムチャなリクエストにお答えして、ライターさんに連れていかれたのが「駒形どぜう」さん。
http://www.dozeu.com/
大阪では「うなぎ」は名店、老舗も多いのですが、「どぜう」となると、なかなか見あたりません。まさに東京ならではの名物料理といえます。じつは生まれて初めて「どぜう」ってのを食べまして、食べる前は「臭みがあるのでは?」なんてことを思っていたのですが、まったく臭みなんてありません。骨まで柔らかくて、じつにヘルシーかつ美味しい鍋料理でした。これまた良い意味で予想を裏切られましたわ。
とくに驚いたのが、「どぜう汁」 で、甘くて、上品で、何杯でもおかわりしたくなる味でした。江戸甘味噌というのが味の秘訣だとか。これはほんと美味しかったですわ。お江戸を満喫した昼食でした。
原宿のあとは浅草でライターさんと待ち合わせ。
コーヒー好きなので東京でも行く先々で喫茶店に入りました。とくに浅草でいってみたかったのが喫茶アンヂェラス。創業は昭和21年という浅草きっての老舗喫茶です。俗にいう「ダッチコーヒー」(水出しコーヒー)の発祥店で、川端康成や手塚治虫といった文化人もよく通ったとか。川端も手塚も大阪生まれの大阪人。偉大な先輩に倣って、これは、ぼくもいっとかんとあかん(笑)
深みがあってじつに美味なコーヒーでした。ちなみにコーヒーのとなりにあるのは小さいロールケーキのアンヂェラス。これも名物だそうです。
某A社の会合に参加してから夜に銀座のバー「ルパン」へ。
http://www.lupin.co.jp/
中学の頃は安吾や太宰、織田作といった無頼派にはまりまして。ルパンは長いこと、ぼくにとっての憧れの場所でした。安吾が愛したゴールデン・フィズ。素朴な味ですが、美味しかったです。
裏路地の地下。ちょっとわかりにくいところにありますが、こういう店がちゃんと残ってるところが銀座やなぁと思いますわ。素晴らしい。
飛鳥といえば奈良の「遠つ飛鳥」が有名ですが、大阪にもあります。それが「近つ飛鳥」。
http://www.mediajoy.com/chikatsu/asuka_j.html
「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載がある。履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというもの。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさす。「近つ飛鳥」の地は、難波の津と大和飛鳥を結ぶ古代の官道──竹内街道の沿線にあたり、周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳が広がっている。また、南部の磯長谷には、敏達・用明・聖徳太子・推古・孝徳の各陵墓指定地など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、俗に王陵の谷とも呼ばれている。「新撰姓氏録」によると、当地周辺には百済系(飛鳥戸造、上曰佐)、新羅系(竹原連)、中国系(下曰佐、田辺史、山代忌寸)の渡来系氏族が居住していたという。
画像は石川流域から。近くには竹内街道も通ります。
http://mutsu-satoshi.com/2008/01/03/
大阪は深い。
銀座のあとに向かったのが上野です。放送作家時代にお世話になった先輩と一緒に上野精養軒へ。
http://www.seiyoken.co.jp/
上野精養軒は 1872年(明治5年)、三条実美や岩倉具視の援助で作られて夏目漱石や森鴎外の小説にも出てくる東京屈指の老舗西洋料理店です。名物のハヤシライスを食べましたが、ビーフの柔らかさとジューシーさに驚きました。
ハヤシライスの発祥には色んな説があるんやそうで。有名なのが丸善の創業者・ 早矢仕有的が考案した「早矢仕ライス」説と上野精養軒のコックの林さんが作った「林ライス」説。どっちが最初の考案者なのは議論があるそうですが、不思議なのが大阪では「ハヤシライス」のことを「ハイシライス」という店もあるんですわ。これもなんでなんでしょうかね?単に訛っただけなのか?
なんとなくですが、ハヤシライスというよりも、ハイシライスという方が古めかしくて、美味しそうに感じてます(笑)
18日から21日まで東京出張してました。その回顧録を書いていきます。といいますか、ただのグルメ記録です(笑)
18日早朝。東京駅について、まず向かったのが銀座の「カフェーパウリスタ」。とある雑誌の編集者さんと待ち合わせでした。
http://www.paulista.co.jp/
俗に銀座をブラブラすることを「銀ブラ」といいますが、これはじつはマチガイやそうで。「銀座のカフェーパウリスタ名物のブラジルコーヒーを飲むこと」がほんまの「銀ブラ」 やそうです。というわけで「銀ブラ証明書」を頂きました。お店さんがこういうのを発行してるんですわ。こういう小粋な遊び心が銀座らしいですな。
IWF準備委員会(LLPアートサポート、財団法人大阪21世紀協会、関西広域機構)が主催するインターナショナル・ワークショップ・フェスティバル[100 DOORS]でワークショップの講師をやります。
http://www.artcomplex.net/doors/100sche/
[100 DOORS]「中之島・船場のまちあるき~古地図で訪ねる近世大坂の繁栄」ワークショップ
●日付:2008年8月3日(日) 17:00~18:30
●開催場所:芝川ビル(淀屋橋)
●問合せ先:IWF準備委員会(大阪市立芸術創造館内)090-8468-2158
●料金:500円
●講師名:陸奥 賢(むつ さとし)
●参考URL:http://allabout.co.jp/gs/travelosaka/
●ワークショップの詳細:江戸時代の大坂の古地図とともに中之島・船場界隈を歩いて天下の台所として繁栄した近世・大坂を知る。
摂津名所図会、浪花百景、古地図などを用いて「バーチャル近世大坂まち歩き」をやります。けっこう面白い仕掛けと趣向になってます。ご興味ある方はぜひご参加を。
東京の地図を見ると頭を抱えます。やたらと交通の便がややこい。
(例)東京メトロの路線図
http://www.tokyometro.jp/rosen/rosenzu/pdf/network1.pdf
江戸の都市構造の特徴として螺旋形になった江戸城の堀川(暗渠化したり高速道路になったりしてますが)があります。渦を巻いて本丸(現在は皇居)に向かっている。簡単にいうと都市が「の」とか「@」みたいな形をしています。家康が江戸城を作ったときは、まだ太閤・秀吉が存命中で、疑り深くて、警戒心の強かった家康は、中心部に進入しにくい都市を造りました。螺旋状にして、攻めにくい「軍事要塞都市」を作り上げたんですが、現在の東京もその都市計画の名残というか、延長線上にあるようで、初めて見る人には、非常に複雑怪奇な交通網です。
対して大阪の地下鉄の路線図を見てください。
http://www.kotsu.city.osaka.jp/eigyou/route-map/subway_rosenzu.html
大阪は基本的に「碁盤目」で判りやすいんですわ。平安京(京都)の造りと似てますが、決定的に違うのが京都は南北を中心軸に作られた都市に対して、大阪は東西を中心軸として作られた都市であることです。大阪の東西とはつまり「海」(大阪湾)です。
現代に繋がる大阪の都市整備を行ったのは秀吉ですが、秀吉は天下統一後、海の彼方(大陸)への進出の野心を隠しませんでした。それで海に向かって、まっすぐストレートに、エネルギーを放射する都市を作り上げた。江戸時代の大坂が天下の台所として発展するのも「海運」の力が非常に大きいですし、大阪の中枢の「船場」は、文字通り「船着場」であったわけで、江戸時代の大阪人は、ある意味で、みんな「ミニ秀吉」でした。
ただ近代以降の大阪は東西軸をむりやり南北軸に転換しました。幅44メートルという超巨大な御堂筋を作った。いまでは大阪キタ(梅田)と大阪ミナミ(難波)といいますが、これは大阪の都市構造が東西軸から南北軸に変わったことの象徴です。この御堂筋を作ったのが東京出身の関一市長なんですが、ぼくは長い目で見れば、この都市計画には功罪あると思っています。近代都市として「大大阪」と呼ばれるほどの繁栄を迎えましたが、江戸時代の大坂人の「海への意識」(東西感覚)を御堂筋は遮断してしまいましたから。
現代大阪は古代の難波宮から続いていた都市の有り様とは異なる不自然な都市構造で、今後の大阪発展には「海」「東西」を意識した都市計画が非常に大切だと思っています。そういう意味では「水都大阪」って大切なことなんですが、一朝一夕で成立するものではないでしょう。なんせ御堂筋が出来てから80年間も大阪は誤謬し続けましたから。元に戻すには80年はかかるんやないでしょうか?
東京に話を戻すと、なにより面白かったのが、「地下」なんだから、どういう風に路線を通してもいいのに、地下鉄も地上と同じようなつくりになるんですな。なんでわかりやすい碁盤上の路線にならないのか?地下鉄なのに、わかりにくい螺旋状の軍事要塞都市の構造を維持してます。もしかすると東京の人は、いまだに「ミニ家康」なのかも知れません。
創業は室町時代の1532年。470年以上の伝統を誇る「本家小嶋」の芥子餅。
http://www.sakai-tcb.or.jp/souvenir/wagashi/w13.html
利休が「名菓」と賛美したという堺名産です。これでもか!というほどお餅が柔らかくて、また表面の芥子餅のプチプチ感がたまりません。ぜひ堺にまでやってきて、食べてほしい逸品です。