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直木三十五とタニマチ

2010 年 10 月 27 日

相撲の後援者を意味する「タニマチ」。その語源には色んな説がありますが、そのうちの1つが谷町4丁目で薄病院を開業していた薄恕一(1866~1956)氏に由来するというもの。

氏は病院内に土俵を設けるほどの相撲好きで、幕下力士を無料で治療したり、小遣いを与え、「貧乏人は無料、生活できる人は薬代一日四銭、金持ちは二倍でも三倍でも払ってくれ」と言う方針を貫いたとか。

ここまでは割と有名な話なんですが、面白いのが、この薄恕一氏が天才作家・直木三十五の叔父である康治(医者。若くして病没)と非常に仲が良くて、直木三十五の世話も見たとか。直木三十五が借金だらけの時に奈良・吉野の小学校の代用教員の職を与えたりしているんです。後年には「自分がこうして生きていられるのは薄先生のおかげ」というような感謝の一文まで残しています。

べつに薄恕一と直木三十五は親戚でもなんでもありません。もちろん直木三十五は相撲取りでもありません。単なる友人の甥っ子。しかし、知人が困っていたら、なんとか世話をしようとする。「タニマチ」という言葉は、相撲の後援者だけを意味する言葉ではなくて、大阪人の「弱きを祐ける美徳」を現す言葉として、ぼくは誇りに思っています。


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