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2010 年 10 月 のアーカイブ

西成・花園町 注文焼

2010 年 10 月 5 日 Comments off



西成・花園町にて。「たこ焼き」で「たこなし」を注文するとは・・・。


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西鶴・・・「上町者」の出自と視野

2010 年 10 月 4 日 Comments off

西鶴は鎗屋町で生まれて
錫屋町で亡くなりました。
墓は誓願寺。

つまり大坂三郷やのうて
船場、島ノ内、天満やのうて
「上町者」でした。

上町から眺めると、大坂三郷のことがよう見えます。
高台に登りて見ればいろはにほ。

出自が人間の肝要を示す。
西鶴の文学は、まさしく上町文学や思いますな。


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神も、胸算用にて、かくはあそばし置かれし

2010 年 10 月 2 日 Comments off

『銀壱匁の講中』より
人の分限になる事、仕合せといふは言葉、まことは面々の智恵才覚を以てかせぎ出し、其家栄ゆる事ぞかし。これ福の神のゑびす殿のまゝにもならぬ事也。大黒講をむすび、当地の手前よろしき者共集り、諸国の大名衆への御用銀の借入の内談を、酒宴遊興よりは増したる世の尉みとおもひ定めて、寄合座敷も色ちかき所をさつて、生玉、下寺町の客庵を借りて、毎月身体譣議にくれて、命の入日かたぶく老体ども、後世の事はわすれて、ただ利銀のかさなり、富貴になる事を楽しみける。

『闇の夜のわる口』より
大坂生玉のまつり、9月9日に定め置かれ幸はひ、家々に膾、焼ものもする日なり。我人の祝儀なれば、客人とてもあらず、年々に、こと徳つもりて、大分の事ぞかし。氏子の耗をかんがへ、神も、胸算用にて、かくはあそばし置かれし。

人の世は変わりませんな。西鶴は恐ろしい。


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道頓堀角座と千日前獄門台~虚実の皮膜にあった芝居小屋と刑場~

2010 年 10 月 2 日 Comments off

江戸時代、千日前は死刑場でした。江戸でいえば小塚原のようなとこで、磔柱が立ち並んで、獄門台には見せしめのために罪人の首が並びました。焼き場の煙は絶えず、昼でも人が通るとこやなかったそうで、大体、明治初期まで、そういう光景が続きました。

千日前から少し北に向かうと、所変わって道頓堀。ここは江戸時代は「道頓堀五座」というて、芝居小屋が並んでいました。船場の旦那衆が芸妓を連れて、道頓堀川戎橋を渡って、近松の浄瑠璃や藤十郎の歌舞伎を楽しみにやってきた。一番、大きな芝居小屋が角座で、この角座の楽屋からは獄門台のさらし首が見えたそうです。

大坂の芝居は、世話物で和事です。江戸芝居のような英雄悪漢傾城傾国が大活劇を繰り広げる!という荒事はしまへん。主人公は何の変哲もない一庶民で、金と色と欲と義理と人情の板ばさみ。犯してはならぬ罪咎に悩み、苦しみ、傷つけられ、最後は天網恢恢疎にして洩らさずの過酷な運命の裁きで、千日前の獄門台へと涙涙に送られていく。

大坂庶民は、道頓堀角座で、罪人たちのドラマに涙しました。その裏には、実際に千日前の獄門台が控えていて、芝居の主人公たち=哀れな罪人たちの末期が、リアルに、そこにあったんですな。ある意味、千日前刑場は最高の舞台演出であり、また裏を返せば、道頓堀の芝居は千日前の罪人たちに対する鎮魂歌であり、レクイエムだったわけです。

芝居なのか。真実なのか。わからない。虚実の皮膜こそが、もっとも面白い。芝居小屋と刑場。道頓堀と千日前というまちは、両隣りにあり、そういう関係です。大阪ミナミは、だから、恐ろしく、哀しく、美しい。


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