御幸森天神宮 王仁博士「難波津の歌」 和文・ハングル歌碑
2010 年 12 月 26 日
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」
この歌は応神天皇の死後、大雀命と菟道稚郎子とがお互いに皇位を譲り合って3年間ほど空位となり、結果的に大雀命が跡を継いで仁徳天皇となったさいに、その治世の繁栄を願って王仁博士が詠んだ歌とされています。
面白いのが、ずっと時代が下って江戸時代に、この「難波津の歌」を、対馬の通訳館がハングルに翻訳して、それを朝鮮通信使に贈呈したこと。その墨書が、いまも兵庫県たつの市の旧家に所蔵されているそうで、「こういうものがあるのか!」と地元の関係者が驚き、尽力して、その結果、おそらく日本で唯一であろう和文とハングルの併記の歌碑が御幸森天神宮に建立されました。
じつは御幸森天神宮は、仁徳天皇がよく訪れたという鷹狩の森で、また古代にはこの辺りは猪飼野・猪飼津(猪甘野・猪甘津)と呼ばれた渡来人の大集落がありました。さらに猪飼野は、現在は日本最大のコリアタウンになっていて、1500年の時を越えて、日韓交流の歴史が現在進行形で積み重なっている・・・という実に不思議な、奇跡のようなまちです。
いかにも猪飼野、御幸森天神宮に相応しい和文・ハングル歌碑。これも大阪の歴史の奥深さの証明でしょう。
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