大阪住吉 土佐藩住吉陣屋跡(坂本龍馬訪問の地)
大阪あそ歩ガイド、大阪龍馬会の長谷さんからの情報です。「大阪住吉 土佐藩住吉陣屋跡(坂本龍馬訪問の地)」(現在の東粉浜小学校や東粉浜幼稚園付近)の記念碑が建立されたそうです。住吉1800年の歴史に、また彩りが添えられました。
「場所は住吉村中在家にある。幕府からの拝領地に建てたもので敷地は一万七十九坪七合五勺。海浜に面し、構えはほとんど城郭といっていい。土佐藩では住吉陣営と通称していた。幕府が外国陸戦隊の堺上陸にそなえて建てさせたものである。吉田東洋が幕府の機嫌をとるために必要以上の経費を投じて造営した。武装も相当なもので沿岸に砲台をつくり、陣中にはオランダから購入したゲベール銃五百挺を用意し、陣営の指揮官には家老級を置き、藩士五百人を収容している」
司馬遼太郎『竜馬がゆく』 より
「幕府は万延元年(一八六〇)九月、大阪湾岸防衛のため土佐藩に対し、中在家村・今在家村(粉浜村の旧名)錯雑地に一万七十九坪余(約三・三ヘクタール)の土地を与え陣家を構築させた。土佐藩では後藤象二郎を普請奉行に、職人をはじめ木材・石材等にいたるまで土佐から運び込み、文久元年(一八六一)五月完成させた。絵図面によると、陣屋は西側紀州街道沿いを正面に、東側(上町台地西崖)を除く三方面にほぼ半周する形で堀を巡らせていた。正面の橋を渡った正門すぐに陣屋本殿、その東側に武芸所(文武館)、士大将・士分用宿舎は北側に間口三十五間の平屋建二棟を、郷士以下足軽宿舎は上町台地崖沿いに南北間口七十二間の二階建一棟、その他厩舎・火薬庫・射撃場・操練場などを備え、約三百人が常駐していた。任務の一端として、木津川口千本松付近から対岸にかけて鉄鎖をわたし、それを上げ下げして船の航行を制限するなど防備に努めたという」
『住吉区史』より