断想:涅槃会
釈迦は経典も文字も偶像も、なにも残しませんでした。弟子や教団がいたことになっていますが、釈迦の生きざまの清浄さを思えば、それらは勝手に釈迦に感化されて付いていっただけで、釈迦自身は弟子を作ろうとか、教団を残そうという気なんて毛頭なかったように思います。おそらくは釈迦の没後に勝手に「私は釈迦の弟子であった」と自称する人物が何名か出てきたのでしょう。
実際に、仏教最初の経典も釈迦の死後100年ほど経って、ようやく登場してきますが、これらはすべて「如是我聞」(私はこう聞いた)から始まってます。又聞きで、発言責任を明らかにしようとしないところに、自称弟子たちの心苦しい背景を感じます。
キリストは自身では経典を残しませんでしたが、『旧約聖書』を説いた気配があります。また弟子や教団も残しました。釈迦と比肩すると、キリストは随分と社会的な性格だったといえます。これは要するにキリストは「救済」を目指して、釈迦は「解脱」を目指したからといえます。そして釈迦が目指した解脱とは、偉大な古代インド数学が発見した「ゼロ(0)」という概念の哲学化、実践化に近いと考えています。
生老病死、輪廻転生、因果応報からの解脱。仏教用語でいうところの「空」。なにもかもから解き放たれてゼロになる宗教。しかしゼロという概念は、あまりに取り留めがありません。抽象的すぎるし凡人にはよくわからない。これでは宗教としてなかなか成立しえません。そこでなんとかしようと「自称・釈迦の弟子たち」が、各人各様で解釈していきました。ゼロはまた凡ゆる思想、哲学、イデオロギーを内包します。それは「無限大(∞)」に等しい。だからでこそ、各人各様の解釈が成立しえたわけです。
つまり、ある男は「釈迦の本然とは慈悲(大日如来)だ」と云い、またある男は「いや。智慧(文殊菩薩)である」と云い、またまたある男は「いやいや。浄土(阿弥陀如来)なのだ」といったわけです。「西の海に沈む太陽を拝めば良い」といった男もいたし、「南の海に向かって補陀落渡海することだ」といった男もいた。各人各様が勝手に「釈迦のゼロ」を抽出、分析、演繹して、それが小乗や大乗、顕教や密教といったバリエーションに発展していった。これが仏教の面白いところです。
とくにユーラシア大陸のほぼ真ん中のインド大陸で勃興した仏教が、果てしなくトンデモになるのは極東の日本だと感じています。日本仏教はバリエーション具合が半端ないです。じつにユニーク。なにせ日本仏教には妻帯肉食OKなんてのありますから。中国や韓国仏教では考えられないことのようです。また過去には僧兵といって武装化したり、南無阿弥陀仏といって突撃したら浄土に行けるという殉教テロリスト、現在でも選挙になると○○党へ!と電話しまくる仏教徒もいます。釈迦がみたら驚くでしょうな。卒倒するかもしれません(笑)
以上、釈迦の入滅の日に。断想。