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断想:利休忌 利休の茶と大航海時代

2011 年 2 月 28 日

掛軸は宋代の牧谿。花は唐の椿。器は交趾焼(ベトナム)で、南蛮の袱紗の所作で、一服の茶を飲む。

堺が産んだ千利休の茶は、国、民族、海、文明、文化を越えました。その数寄は、まさに「世界」そのものを飲んでいたといっても過言ではありません。その舞台装置が、わずか「ニ畳半」「一畳半」の侘住まいであるのは当然です。静かな、寂しい、狭い、暗い空間であればこそ、見果てぬ世界に対する想像、イマジネーションが沸き立ち、駆り立てられ、飛躍するわけですから。

「茶道のワビ・サビは、日本的文化の粋」というのは後代の錯覚、誤解で、少なくとも利休が目指した茶は、世界そのものを鯨飲しようという、大航海時代とリンクした、インターナショナルな文化的冒険でした。利休の壮絶なる横死と、茶道の本拠が、東洋のヴェニスたる堺から、港(海)がない山城(京)に移って、その世界性(可能性)は萎み、封じ込められました。惜しい。実に惜しいことです。

以上、利休忌(2/28)の断想です。


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