大阪が生んだ究極の都市文化 「心中立」~なぜ浪華の男女は心中して、江戸の男女は心中しなかったのか?~
「心中」(心中立)というのは、江戸時代(元禄時代)の大阪が生んだ究極の都市文化(都市遊戯)です。江戸には心中はありませんでした。なぜ浪華の男女は心中して、江戸の男女は心中しなかったのか?
理由その1。遊女は遊郭に雇われている不自由な身分ですが、じつは江戸時代の「士農工商」の身分制度の中では、大阪の町民たちも最下級の人間扱いでした。つまり遊女と町民とは境遇が似ているんです。最下級の社会存在の遊女と町民が、柵だらけの「憂世」から逃げ出すには、死ぬしかなかった。対して江戸は町民ではなく武士社会ですので、遊女と武士は遊郭で出会っても、決して心中の対象にはなりません。あまりにもお互いの身分制度が違いすぎるわけです。武士には遊女に対する憐憫や哀れみはあっても運命をともにするような共感、共鳴はありませんでした。
理由その2。元禄時代に入ると、大阪は商品経済、貨幣経済が急速に発展し、人間存在の価値すら「資本化」する考え方が浸透していきました。この世は金次第という「浮世」です。つまり遊女は「一晩いくら」の存在ですが、町民だって「月に給料なんぼ」という存在です。そして、遊女も町民もちょっと計算してみれば、自分の「生涯賃金」が判明し、自分という存在の「商品価値」が手に取るようにわかるわけです。お金さえあれば遊郭から身請けできる。しかしそんなお金はどこにもありません。一生、馬車馬のように働いても自分の愛する女性を決して身請けできない。そういう冷酷・残酷な現実に直面します。そうなると「真実の恋愛」「自由意思」「人間らしい生き方」を手に入れるためには、もはや「死」(自分という存在価値のすべて)で支払う(償う)しかなかったわけです。
こういう、どうしようも逃れようのないガチガチの固定化した身分制度と、それに反比例するような卓越した商業主義の発達から、大坂に心中が流行ったわけです。「封建的な社会制度」(憂世、士農工商)と「近代的な経済観念」(浮世、元禄バブル、天下の台所)という、当時の大阪が置かれたアンバランスな社会的要因が深く作用した。江戸元禄だからでこそ生まれた、非常に稀有な時代の徒花、大阪文化の結晶。それが心中です。
対して武士という優越な社会的身分と、商業経済の概念に疎かった江戸には、心中という文化は生まれませんでした。それはつまり「武士」はいたが、「人間」がいなかったということです。また西欧にも「心中」という文化はないようです。「心中」は「double suicide」なんて呼ばれてます。言葉がないんですな。言葉がないということは、文化として成立していないということです。
井原西鶴や近松門左衛門の至高の芸術作品の数々は、その元禄の大阪の抱え込んだ社会矛盾の中から産まれてきた、大阪人の魂の苦悩の告発であり、レクイエム(鎮魂歌)です。江戸の封建社会(建前社会)に対して「人間らしく生きたくないのか?」という本音の問いであり、「大阪の反逆」が通奏低音のように流れている。それがゆえに、いまも激しく人の心を打ちます。