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生國魂神社 夏越大祓にて~『もののけ姫』のアシタカ=難波の天孫族・長脛彦~

2011 年 6 月 30 日



生國魂神社にて。たまたまですが夏越大祓のリハーサル中でした(笑)

かつて生國魂さんは上町台地の北端にありました。現在の大阪城がある場所で、そこは古代は海(大阪湾、河内湾)に囲まれた岬(半島)。記紀神話によれば、そこに上陸してきたのが日向の国からやってきた初代天皇・神武天皇で、しかし神武天皇は、難波津、上町台地に勢力を伸ばしていた謎の天孫族・邇芸速日命(ニギハヤヒ)に仕える長髄彦(ナガスネヒコ)との戦いで大敗北を喫して(これで神武天皇は長兄の五瀬命を亡くします)、難波の占領は諦め、熊野経由で大和・飛鳥の地へ入りました。俗にいう「神武東征」です。

その後、記紀では「邇芸速日命(ニギハヤヒ)は神武天皇に贈物をして帰順した」という記述がありますが、これはどうも怪しい。事の経緯からいえば敗北したのは神武天皇側で、実際は難波の天孫族に懲りたから、大和の天孫族が和睦の同盟を結んだ・・・というところでしょう。いずれにせよ完全に征伐したわけではなく、依然として長く難波の地にはニギハヤヒ勢力が存続していたようです(このニギハヤヒの一族が完全に掃討されるのは物部(神道派。難波の豪族)VS蘇我(仏教派。飛鳥の豪族)戦争だとぼくは思ってます)。神武天皇ですら、なかなか容易には手が出せなかった難波の天孫族の聖地が上町台地であり、生國魂神社でした。神話の中の大阪。深い。じつに深い。

ちなみに宮崎駿監督の映画『もののけ姫』の主人公アシタカのモデルは、この難波の天孫族・長髄彦です。長脛彦=脛が長い=足が高い=アシタカという連想からきてます(笑)

また「脛が長い」のは馬に乗っていたからかも知れません。狩猟・騎馬民族の身体的特徴です。神武天皇が苦戦したのもよくわかります。岡正雄氏の『日本文化の基礎構造』から推察すれば、神武天皇は、朝鮮半島経由の騎馬民族の流れで、長脛彦はモンゴル・満州・ツングース経由(日本海峡を越えて越の国から琵琶湖、淀川を経て河内・難波に入った?)の騎馬民族の流れなのかも知れません。そう考えると、ますます、古代の大阪は、興味深い。


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