大坂人は鯛を好みました。「めでたい」の鯛。大坂ではかつて節分から数えて八十八夜までを俗に「魚島」といいました。春先になると瀬戸内には鯛が大量に現れて島のように見えたからで、この時期の鯛は豊漁で値段も安く、味も最高に素晴らしいので大坂商人たちは、常日頃、お世話になった得意先などに鯛を贈ったそうです。
対して、江戸は鰹です。鰹は「勝つ」に通じるので、武家社会に好まれた。また春先になると将軍様は「初鰹」を食べる習慣があって、江戸っ子は権威主義ですから将軍が食べている初鰹をなんとかして入手しようと躍起になりました。文化9年(1812)3月25日に魚河岸に入荷した初鰹の数は17本で、うち6本が将軍家。3本は高級料亭・八百善が2両1分で買い、そのうち1本は歌舞伎役者の中村歌右衛門が3両で買って大部屋役者にふるまった…なんて記録も残ってます。当時の下男、下女の1年間の給金が1両2分ぐらいで、どれだけ法外の値段やいうのがようわかりますな。いまのお金に換算すれば1本500万円とか600万円ほどです。「女房を質に入れても食べたい初鰹」という江戸川柳はこういう時代背景から生まれてます。
ちなみに鰹は回遊性の魚で太平洋をグルグル泳いでるんですが、本当は春よりも秋のほうが美味しいんです。「戻り鰹」というやつで海水温が低い影響で脂がのってるんですな。春の初鰹よりも安くて美味しい戻り鰹を好んだのが実は大坂人です。浪花っ子は将軍家が食べるからといって、まずくて高い初鰹を必死になって買いあさる江戸っ子を「江戸馬鹿」といって嘲ったとか。
大坂と江戸の都市の性格、文化特性の違いですな。実を取る大坂。名を取る江戸。
太平洋戦争前夜。アメリカと戦争をするかどうか?という御前会議での話。
総理大臣兼陸軍大将の東條英機があまりにも勇ましいので、当時の海軍大将の嶋田繁太郎は「いまの海軍の鉄量ではとてもじゃないがアメリカとは戦争なんてできない!」と抗弁しました。すると東条は「では陸軍の鉄の分を半分回せばいいのか?」。ここで嶋田は躊躇しました。もしここで「それでもできない」といえば東条のことだから「では海軍に鉄を使わせるのは無駄である!膠着している中国戦線を打破するために、すべての鉄を陸軍に回す!」と言い出しかねない・・・。
多少、鉄の配給が増えたくらいで、アメリカに勝てるわけがないということは、嶋田には当然の如くに判っていたんですが、海軍大将として「陸軍に負けてなるものか」という海軍の面子、組織利益が最優先してしまい、それが結果として陸軍は大陸で、海軍は太平洋で・・・という二面戦争を展開することになりました。自分たちの省益のみを考えて、国家を蔑ろにして無謀な戦争を拡大し続けて、ついには亡国に至る。「官僚が暴走すると、国は滅びる」という典型的な一例です。
「官僚は自分が所属する省庁の利益だけを追い求め、国全体のバランスを考えない」「省益のためなら国益すら軽んじる」…これ、別に太平洋戦争の話に留まりません。戦後日本もまったく同じことでした。「道路を作らないと!」「ダムを作れ!」「空港がいるぞ!」「新幹線だ!」「コメを守れ!」「労働者保護だ!」「医療保険だ!」「中小企業第一!」「大企業優遇!」と、各省庁が各省庁の論理で国家予算のブンどりに躍起になった結果、国家予算の総額では到底足りなくなって、国債を発行して、発行して、発行して、いまや空前絶後の、未曾有の国債発行総額1000兆円越えです。
ほんまはこういう事態に陥ったときは、国民から選ばれた政治家が「金が足らんのや!ええ加減にせえ!」とブレーキ役を担わないといけないんですが、官僚に取り込まれて「族議員化」してしまい、一緒になって「金を出せ!国債を発行しろ!」と旗降ってたんだから、いかんともしがたいです。官僚の手先になるんだったら政治家の存在意義なんかあらへんがな。
なにはともあれ「近代日本の病理=官僚統制国家体制」は、戦前も戦後も、じつはまったく変わっていないということです。1945年の広島、長崎の悲劇は、日本の戦前の軍事官僚の暴走が招いた結果でしたが、ぼくは、2011年の福島の悲劇だって、日本の戦後の経済官僚の暴走が招いた結果というように感じています。
今日は12月8日。真珠湾攻撃の日。
http://ja.wikipedia.org/wiki/真珠湾攻撃
われわれは、あの戦争から、なにを学んだのか?なにを学ばなければいけないのか?もう一度、ちゃんと、改めて、マジメに、誠実に、向き合わなければいけません。