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「脱・目的論的な人生」を。予定調和ほど貧しい人生はありません。幸福な偶然性。つまり「セレンディピティ」(偶察力)を楽しもうという企画。それが「まわしよみ新聞」です

2013 年 5 月 14 日

何度か色んなところで「まわしよみ新聞」をやっていて、たまに企画趣旨をカンチガイして参加するひとがいて、それはどういうカンチガイか?というと「すでに自分の興味・関心のある新聞記事を前もって切り取って参加する」という人です。要するに自分の中ですでに「語りたいこと」というものが予めにあって、それを語りたいがために、それに関連する新聞記事を用意して参加するというひとですな。勿論、こうした「目的論的」なスタンスで、まわしよみ新聞に参加しても当然いいわけですが、しかし、本当にぼくが「まわしよみ新聞」でやりたいなぁと思っていることは「脱・目的論的なメディア」でして。だから「その日に発行された新聞」を用意しておいて、そこで一斉にみんなでまわしよんでみましょう!とやっているわけです。

前もって記事(テーマ、主題)を準備や用意するのではなく、そうした「目的論的な集まり」ではなく、ただ漫然と、なんとなく、その場にみんなで集まって、なにかやってみよう・・・という試みです。どういう記事があるかよくわからないことで、「偶然の(記事、ニュース、世界の出来事)情報メディアとの出会い」というものが発生する。要するに自分の興味・関心のある記事(自分の中で内面化=固定化されたもの)ではなく、その「隣の記事」「隣の隣の記事」「裏面の記事」にこそ、自分の世界を超えた世界が広がっていて、そこにも意味や価値や楽しみや謎やドキドキやワクワクがある・・・ということを知ることができるわけです。自分はTPPに興味・関心がある。しかしTPPの記事の隣をなにげなく読んでみたら、そこの記事の方が妙に面白かった。そういう「ずらし」「はずし」「横滑り」が起こることが自分の世界を拡充するために大切なことだといいたいわけです。

いまの世の中はあまりにも「目的論的な生き方」を強制されていて、それがぼくには面白くない。しょうもない観光ガイドブックなんか読まずに(そんなものは破り捨ててしまえ!!)ある日、急にふらふらと電車に乗り、聞いたことのない駅で降り、まったく誰も知らない商店街を歩き、ふと出会ったおっちゃんと話をして、なんとなく話のついでに家に泊めてもらう。次になにが起こるかわからない。「最高の旅」とは「無目的に逍遙する旅」です。

「脱・目的論的な人生」を。予定調和ほど貧しい人生はありません。幸福な偶然性。つまり「セレンディピティ」(偶察力)を楽しもうという企画。それが「まわしよみ新聞」です。

■まわしよみ新聞公式サイト
http://www.mawashiyomishinbun.info/

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