「人間」というのは「人と人とのあいだ」と書くわけですが、この「あいだ」ってのが「メディア」(中間、真ん中、媒体)です。要するに、「人」は「メディア」(間)をもつことで、はじめて「人間」となる。人間の条件とは、つまりメディアをちゃんと持っているか?ということでもあります。
またメディアの語源は「mediums」ですが、これは「人と自然」「人と超自然」のあいだに位置する女性のことで、要するに「巫女」でした。大阪の應典院という宗教的な場で、メディアの祭典「大阪メディフェス2013」をやるということは、メディアの原点回帰現象でもあるとぼくは勝手に解釈しています。
混迷するメディア文明の時代を考えるのに、これほど相応しい場はないともいえるでしょう。ぜひともご参加を^^
■9/21(土)「大阪メディフェス2013」(会場:應典院)にて日本全国の地方新聞で「まわしよみ新聞」を作成する「全国地方まわしよみ新聞」開催!
http://www.facebook.com/events/1404305863117813/
http://www.mawashiyomishinbun.info/archives/1158/
「まわしよみ新聞」は、「人と人とのあいだ」を取り持つメディア・デザインなんですが、「直観讀みブックマーカー」は、「人と超自然とのあいだ」を取り持つメディア・デザインです。「直観で本を開いて文章を抜き取る」という行為は、「まわしよんで記事を選んで切り取る」という行為よりも、明らかにロジックを飛び越えている。しかし、いまのぼくらに、現代社会にもっとも必要なものは「直観讀み」だと、「まわしよみ新聞」をほぼ1年間やり続けて、ぼくは確信しています。
「かごめかごめ」って、子供の遊びがあります。「駕籠の中の鳥」は目を隠している。そのまわりを子供たちが「かごめかごめ」と歌いながらグルグルまわる。「後ろの正面だあれ?」。よくよく考えると、じつに奇妙奇天烈な遊びです。そんなのわかるはずがない。だって駕籠の中の鳥は目を隠しているんだから。でも、子供たちには、わかる。なんでわかるのか?それは「直観」によってわかるんです。
近代社会が切り捨てたものが、これです。人間社会のルールを超えた、超自然なものとの出逢い。その知覚。霊性。ロジックではなく、直観の中にこそ、真実が、刹那、垣間見える。
■10/1(火)19時より「まちライブラリー@大阪府立大学」にて「直観讀みブックマーカー」を作ろう!
http://www.facebook.com/events/507316879357708/
メディアを生産する。メディアを消費する。そういう2極化は結局、メディアを貧しくする。メディアはもっと多様です。まわしよみ新聞は、メディア(新聞記事)を切って張ったり、編集したり、講談の材料にしたり、男女の出逢いの場にしたり、といろいろと遊んでますが、もっと極端に、メディアを食べたり、噛んだり、舐めてみたり、運んでみたり、脱構築してみたり、批評してみたり、飛ばしてみたり、ちぎってみたり、投げてみたり、捨てたりしてもええんや!それもメディアなんや!…ということをやるのが、今年の「大阪メディフェス2013」のキャッチコピー「メディアを捨てて、メディアになろう!」の意味です。
メディアってもともと「中間」を意味する言葉です。人と人(この中間は人と自然や人と超自然のときもあります。宗教や芸術はその役割を果たしてきました)のあいだにあるものはすべてメディアであるし、もっともっと中間のグラデーションを増やすことがメディアをより面白くする。それに挑戦しているメディア・プレイヤー(メディアを遊ぶひと)が日本全国からやってきます。ぜひともご参加してみてください。
■9/21(土)「大阪メディフェス2013」(会場:應典院)にて日本全国の地方新聞で「まわしよみ新聞」を作成する「全国地方まわしよみ新聞」開催!
http://www.facebook.com/events/1404305863117813/
http://www.mawashiyomishinbun.info/archives/1158/