人類の文明の中で最も優れた発展形態の文明が遊牧文明。放牧は土地ありきの発想。牧草地があって、そこに馬や羊や山羊などを飼います。遊牧は違います。馬や羊を主体にして、彼らに合わせて人間が生活する。モンゴルなどでは馬が草を求めて、どこにいくかわからない。それに併せて移動していく。人間が馬の集団を引き連れるのではなく、馬の集団の中に人間が紛れ込んで、それで生活していく。馬と一緒に移動する生活だから、土地の所有という概念がありません。移動式住居(ゲル。中国式ではパオ)であるし、自然を汚すということがない。馬にまかせて草原にやってきて、馬にまかせて草原から去っていく。彼らが立ち去ったあとは、どこにも人がいたような痕跡がないそうで、そうやって中央アジア、ユーラシアを逍遙し続けた。
農耕文明も牧畜文明も科学文明も、基本、自然環境を人為的に破壊します。唯一、破壊しない文明が遊牧文明で。遊牧文明こそは、最も自然と寄り添う、人類の叡智に満ちた究極のエコロジカル文明といえます。その発祥は中央アジア高原のスキタイ民族(紀元前5世紀頃。歴史家ヘロドトスが「馬と一緒に生活している人間たちがいる」と驚きの眼で遊牧民族たちを記述している)とモンゴル高原の匈奴(こちらは前漢の歴史家・司馬遷が記録している)なんですが、その2つの遊牧民族のうち、スキタイ民族の本拠地こそが黒海北部・・・つまり現在のウクライナ。
ウクライナは人類史上最高の遊牧文明を産みながら、しかし長きに渡る権力闘争や民族紛争の結果、旧ソ連領土となり、共産主義、国家科学主義の果てに20世紀後半にはチェルノブイリ原発事故を引き起こし、まさに悲劇の地となりました。人類とはなにか?その素晴らしさと愚かさが並立している国家といえます。そこがいま旧ソ連を引き継ぐロシアの介入によって、戦火となろうとしている。もうちょっと、なんとか、ならんもんやろか?ウクライナは遊牧文明を産んだ人類以上でも輝かしい栄光の民のはず・・・遊牧に、中央アジアに、スキタイ民族に憧れる、極東の列島の民は呟く。
「まわしよみ新聞も直観讀みブックマーカーも、オープンソース&オープンフリーがモットーで、いつでも、どこでも、だれでもできるコモンズ・デザインです」とかいうてたら「コモンズってなんですか?」と聞かれたので説明のために書いた紙w
いまの世の中は「コミュニティ・デザイン全盛期」ですが、「コミュニティ」というのは「国家」とか「民族」とか「都市」とか「村」とか「会社」とか、ある種のルールやシステムで動く所属集団を指します。ルールやシステムから外れるようなことをしたら「村八分」にされたりする社会でもあります。コミュニティ(ルールやシステム)があることで人間は生きていけますが、しかし、その弊害として閉鎖的なんですな。またコミュニティはコミュニティと喧嘩したりする。A村とB村があって隣接していると、そこの境界ってのは、大体、イザコザがおきます。「この土地はA村のもんだ!」「いや、B村のもんだ!」という争いが必ず起きる。近代戦争ってのもコミュニティとコミュニティのいがみ合いであるわけです。コミュニティがあるがゆえに、こうした悲劇が起きる。
そこで昔の人は知恵をつけて、どっちにも所属しない「入会地」「入会山」というのを作ることにしたんですな。これが「コモンズ」です。この入会地、入会山は誰でも入れる。A村の人、B村の人はもちろん。どこの村にも所属しない旅商人や旅芸人といった外部の人なんかも自由に行き来できる。そこでタケノコがとれるとあれば基本的には、だれでもとっていいということになってます。但し、全部とってはいけない。シェアを大前提とする。全体で100個のタケノコあれば、A村は20個ぐらい。B村も20個ぐらい。旅商人、旅芸人も20個ぐらい。それぐらいで残しておく。全部所有しない。なぜならば入会地、入会山、コモンズだから。これをA村が100個とったとか、B村が100個とったとかしてしまうと=コミュニティ化すると結局、喧嘩、戦争になる・・・というわけです。
ぼく自身が「コミュニティ難民」(村八分にされた人間、村を追われた人間は、結局、コモンズ=入会地を渡り歩きながら、生きていくことになります)であることも理由のひとつですが、色んな意味でコミュニティにぼくは限界を感じているんですな。いま必要なのは閉じたコミュニティの活性ではなくて、開かれたコモンズの復活であろうと。コモンズに内在される「いつでも、どこでも、だれでもいい」というシェアやオープンフリーの知恵だろうと。なんでもかんでも線引きし、だれそれの所有と定めて権利を主張することを是としたのが近代です。おかげで世の中にコモンズがなくなってしまった。じつに窮屈で、ギスギスした世の中になってしまっている。ゆとりや遊びがない。それをなんとかしたい。それでコモンズを作ろうという意味で「コモンズ・デザイン」をやっていると。「まわしよみ新聞」や「直観讀みブックマーカー」はそういうぼくの思想を具現化したメディア遊び。燈籠の斧ですが、ぼくなりの革命です。
福岡県古賀市の「古賀すたいる」さんが西日本新聞社さんと連携して「まわしよみ新聞」を実施します!ご興味ある方はぜひともご参加してください!^^
■古賀すたいる
入門!西日本新聞の記者さんに学ぶ「世界が広がる!まわしよみ新聞」
http://koga-style.com/post-905/
日時:2014年3月28日(金) 13時~15時
場所:ギャラリーカフェ美葉(古賀市花見東7-14-1)
JR千鳥駅から7分。足に自信がある人は5分。
参加費:参加費無料ですが、1ドリンクはお願いします。
近松門左衛門の最高傑作『心中天の網島』。紙治の兄・粉屋孫右衛門が変装して武士にばけて小春を詮議し、弟の紙治を説教するのも紙治一家のため。紙治の恋敵の太兵衛も単に小春が好きなだけ。おさんの父・五左衛門が娘のおさんを実家に引き取るのも娘のため。おさんが夫・紙治と手を切ってくれと小春に手紙を送るのは子供たちのため。小春は「切るに切られぬお人なれど」といいながらも小春のために、「女の義理」で紙治と縁を切ろうとする。要するに誰も悪い人間などいない。あえていえば、女房もちの紙治が遊郭に通って小春と馴染みになったことが悪いが、当時は遊郭通いは商人のステータス。遊郭に通うことは当然の時代で、ただ、紙治は小春に本気で惚れてしまった。これは遊郭のルール違反だが、「本気で惚れてしまったこと」が悪いとすれば、これはもはや「人間として生まれてきたことが悪い」というのに等しい。惚れるということは、熱病のようなもので、もはや本人にもどうしようもないことであるから。不可抗力ではないか。
誰も彼もが精一杯、自分のできることをしようとし、動き回り、誰もまちがっていないのに、結局、破綻して、心中というカタストロフィを迎える。またこれは厳密にいえば心中ではない。紙治と小春は道行のすがら髪を切って出家する。さらに死に場所を変え、死に方まで変えた。小春は心中しようという紙治を拒否して、最期までおさんへの「女の義理」を突き通す。心中しようにも、じつは心中できなかった。男女の同時自殺(ダブルス―サイド)に過ぎない。しかしそれを近松は「心中天の網島」と書く。一体、誰と誰の心中なのか?これは要するに遊女・小春と妻・おさんの心中を指す。心中というのは死ぬことではなくて、心の中に誓いを立てて、それを全うすること(心中立て)をいう。おさんと小春は手紙のやり取りで確かに心中立てを行った。つまり「女の義理」の結果、小春は死んだ。勝手に紙治は、その小春に着いていったに過ぎない。紙治の悲哀はここに由来する。どうしても憎めない。
恐ろしいのは近松。心中の悲劇やら喜劇やらファルスやらを超えて、ついに人間の業を書ききった。その舞台が北の新地。いまも現役で男と女のまちであり続けている。しかしこのまちのほとんどの人が、近松や「心中天の網島」を知らない。それでいながら現代版の紙治と小春を再生産し続けている。大阪のこういう飄々としたところが、これまた恐ろしい。